注察妄想は主に統合失調症で認められる症状の1つで、「被害妄想(自分が他者から害を加えられているという妄想)」の一種になります。
統合失調症では様々な症状が出ますが、注察妄想は統合失調症に特徴的な症状の1つです。注察妄想は患者さんにとって大きな苦痛を引き起こしているばかりでなく、適切に接さないと周囲にも害を及ぼす危険のある症状ですので、その背景と対処法については正しく知っておく事が望まれます。
この注察妄想とは一体どのような妄想なのでしょうか。
ここでは注察妄想について、このような症状が生じる原因や対処法などを詳しく説明していきます。
1.妄想とは何か?
注察妄想について理解していく前に、まずはそもそも「妄想」とは何かについて正しく知りましょう。
妄想という言葉は日常的にも使われていますね。しかし厳密に言えば「妄想」は健常の方に認められるものではなく精神症状の1つになります。
この妄想ってどのような症状なのか皆さんご存知でしょうか。
「妄想」という症状について「こういったものかなぁ」と何となくイメージは出来るけども、具体的にどのように定義される症状なのかと問われると答えられない方も多いのではないでしょうか。
妄想というのは、「本来であればあるはずのない事をあると強く思い込むこと」です。
妄想は、その文化における一般的な常識と照らし合わせて非現実的・非合理的だと考えられる内容を確信してしまうという症状です。
更にこの確信は「勘違い」「思い違い」という程度のものではなく、周囲がいくら説得・説明をしても訂正不可能な非常に強い確信になります。
妄想は「一般的な常識」と照らし合わせて「あり得ない事」になりますが、ではこの「一般的な常識」というのはどのように判断すればいいのでしょうか。
実はここが難しいところで、その地域・社会における一般常識というものから判断するため、この「一般常識」というものは厳密に定義する事は出来ません。そのため、「どこからを妄想と判断するのか」は難しい場合も多く、その患者さんの文化的背景・生活背景を十分に理解する必要があります。
例えば、今の日本で「私は神の生まれ変わりなのだ」と突然訴える人がいれば「これは妄想だ」だと判断される可能性が高いでしょう。日本の一般的な常識で考えれば、ある人が「神の生まれ変わり」である事は「あるはずのない事」であるからです。
しかし同じ内容を、宗教の影響が強い国の偉い人が突然訴えたのであればどうでしょうか。場合によってはこれは妄想とはされず、「確かにあの方は神の生まれ変わりなのだ」と「ありうる事」として受け入れられるかもしれません。
また、例えば「私は大財閥の御曹司です」と突然訴える人がいれば、これも妄想であるととらえられる可能性がありますが、この場合、事実である可能性もゼロではありません。安易に妄想と判断しては危険で、本人の名誉を棄損してしまう事にもなりかねませんので慎重な判断が必要です。
このように、発した内容が「妄想」として扱われるのかどうかは、その人であったりその人が住んでいる文化的な常識が大きく関わってきます。そういった背景を加味した上で、明らかにあやまった考えであるものを「妄想」と呼びます。
また妄想は「訂正不能な強固な確信である」ということも重要です。「私はあの人から嫌われているに違いない」という妄想があったとしても、周囲が「そんなことないよ」と説得した結果、「自分の勘違いかもしれない」と考えを修正できるようであれば、それは妄想とは言えません。
妄想というのは、どんなに説得や説明を重ねても一向に考えが変わらない、確固たる確信なのです。
2.注察妄想とは
妄想という症状の概念を理解したところで、次に「注察妄想」について詳しく理解していきましょう。
注察妄想はどのような妄想なのでしょうか。
注察妄想は被害妄想の1つであり、「自分が常に注察されている(見られている、監視されている)」という妄想になります。
妄想の定義は「本来であればあるはずのない事をあると思い込むこと」ですので、「私は監視されているのだ」「みんなからジロジロみられている」という訴えが、明らかにあり得ないというほどと判断され、かつそれが訂正不可能な確信である場合、注察妄想であると判断されます。
具体的に注察妄想の例を挙げると、
「部屋の中に監視カメラが仕掛けられていて、常にFBIに監視されている」
「窓の外から常に私の事を監視している人がいる」
「私が出歩くと、必ずスパイが後を付けてくるんです」
など、明らかにあり得ないような「注察(=見られる事)」を確信します。
注察妄想は被害妄想(自分が他者から害を加えられているという妄想)の一種と考えられており、主に統合失調症で認められます。
ちなみに社会不安障害や対人恐怖症といった疾患でも「自分が注目されている感じがして怖い」という「被注察感」を認める事がありますが、これは統合失調症の注察妄想とは異なります。
不安障害・恐怖症に伴う被注察感は、「そんな事はないと頭では分かっているんだけど、どうしても人の目が気になってしまう」というもので、注察妄想と異なり病識(=自分の症状が異常であるという認識)を認めます。
統合失調症では「陽性症状」と呼ばれる症状があります。
【陽性症状】
統合失調症に特徴的な症状の1つで「本来はないものがあるように感じる」症状の総称。「本来聞こえるはずのない声が聞こえる」といった幻聴や、「本来あるはずのない事をあると思う」妄想などが該当する。
陽性症状は主に脳のドーパミンの異常で生じると考えられています。
統合失調症では、脳のドーパミン分泌が過剰になっており、これにより幻覚・妄想が認められます。
注察妄想も陽性症状になりますので、このような機序が原因になっていると考えられます。
3.一次妄想と二次妄想
妄想は、「一次妄想」と「二次妄想」に分けられます。
これらは妄想に至った経過を「一般的な常識で理解することができるかどうか」で分けられ、理解できないものが一次妄想、理解できるものが二次妄想となります。
ちなみに注察妄想は一次妄想になります。
一次妄想と二次妄想について詳しく説明します。
Ⅰ.一次妄想
一次妄想は、「真正妄想」とも呼ばれます。
一次妄想は、「なんでそういった確信に至ったのか、常識的な考えでは理解できない」という妄想で、主に統合失調症で認められる妄想はこのタイプになります。
例えば、いきなり
・「自分は悪の組織に狙われている」
・「電磁波で攻撃されている」
・「自分は〇〇の生まれ変わりなのだ」
と患者さんが訴えた場合、いきなりこんな事を言われたら周囲は「なんでそんな風に考えているのか、まったく理解できない」と困惑してしまいますよね。これが一次妄想です。
一次妄想は、一見するとなぜそのような確信に至ったのか理解できません。しかし、よくよく聞くと「幻聴で『お前を殺す』という声が聞こえたから、自分が組織から狙われていると思った」などといった背景があることが分かり、経過を理解できることもあります。
そのため厳密に言えば真の一次妄想というのは少なく、一次妄想と二次妄想の区別というのはかなり曖昧な部分があります。
Ⅱ.二次妄想
二次妄想は、「状況からして、なぜそのような確信に至ったのかは理解できる」という妄想です。双極性障害やうつ病などで認められます。
例えば、うつ病で落ち込んでいる人には「私はひどい罪を犯してしまった・・・」という妄想が出現することがあります。うつ病に生じるこのような妄想は「罪業妄想」と呼ばれます。この場合、もちろん患者さんは実際に罪など犯していませんが、いくらそれを本人に説明しても理解してくれません。
しかしこの妄想は「うつ病によって気分が落ち込み、悲観的になっているからこのように考えてしまうのだ」という事は周囲も理解はできます。これが二次妄想です。
ただし先ほども説明したように、一次妄想も一見すると理解できないだけで、上記で説明したように患者さんなりの理由はあることがほとんどですので、「一次妄想」「二次妄想」といった分類法にはあまり意味がないのではないかという指摘もあります。
4.注察妄想の対処法・治療法
注察妄想を認める患者さんに対して、周囲はどのような対応をすればいいのでしょうか。また治療法にはどのようなものがあるでしょうか。
まずは対処法について考えて見ましょう。注察妄想が認められている患者さんに対して、周囲の方はどのように対応すればいいのでしょうか。
まず前提として妄想は訂正不能な確信ですから、いくら周囲が「それはありえないよ」と諭したところで患者さん本人は納得するはずがありません。
「常に監視されている」と訴える人がいれば、「いやいや、そんなはずないじゃない」とつい答えたくなるのが正常な考えですが、妄想の中にいる患者さんに対しての正論は有害無益である事をまずは知っておきましょう。
むしろ無理に説得を続ければ、「なんで分かってくれないだ」「そんなこと言うなんてお前も監視している仲間の一員なのか?」と激昂してしまったりと、むしろ関係がより悪化してしまうことにもなります。
そのためいくらおかしい発言や行動であったとしても、それを真っ向から否定してしまう事は良い方法とは言えません。
注察妄想を認めている患者さんに対しては、患者さんの話を否定も肯定もせず、ただ聞いてあげる事が基本です。これは注察妄想に限らず、妄想全般に言える事です。
注察妄想の中にいる患者さんは、「自分は狙われている」「自分は監視されている」という確信からかなり疑い深く、神経がピリピリしています。その時に本人を刺激するような接し方はよくありません。
「もし自分が恐ろしい人に追われている身だったら、どのような気持ちだろうか」とイメージし、その気持ちに寄り添うような接し方をするようにしましょう。
かと言って肯定するような発言もよくありません。注察妄想を支持してしまえば、患者さんの確信を後押ししてしまい、「やっぱりあいつが監視していたんだ!」と無関係な人に危害を加えてしまう危険もあり、その後の患者さんの人生や周囲の無関係な人に不利益を与えてしまう可能性があります。
否定も良くない、かと言って肯定も良くない。ではどうすればいいのでしょうか。
注察妄想に対する対処法(接し方)として重要なのは「否定もせず肯定もせず、ただ患者さんの話を真剣に聞いてあげる事」です。
患者さんがそのような気持ちになっているという事に対しては否定も肯定もせず、ただ「あたなたは今、そういった気持ちなのですね」という事を理解する姿勢を持ちましょう。妄想に対して同意するのではなく、「あなたは今そういう気持ちなんですね。その気持ちはとてもつらいと思う」と「気持ち」に焦点を当てて寄り添う事です。
そして可能であればなるべく受診を促すようにして見て下さい。
妄想の中にいる患者さんは、妄想の内容について確信は持っているものの、一方で何らかの「助け」を求めている事も少なくありません。本人の中では「常に監視されている」「追われている」と感じているのですから、当然ですよね。
また統合失調症に罹患して長い方である場合、自分自身でも「この考えは、なんかおかしい」という病識をどこかに感じている事もあります。
このような時に、信頼している人や尊敬している人が受診を促してくれると、意外と耳を傾けてくれる事もあるのです。実際に上司や家族に連れられて、嫌々ながらもちゃんと病院まで来てくれる方は少なくありません。
このような受診を可能にするためには、普段から信頼関係をしっかりと作っておく事も大切になります。
受診を促すポイントも本人のつらさや気持ちに寄り添う事です。例えば「あなたはおかしい事を言っているから病院に行きましょう」では同意してくれる人はほとんどいないでしょう。
それよりも「常に監視されていると感じているのは、とても苦しいと思う」「このままだと神経がやられてしまうのではないかと私は心配だ」「監視が続いてあなたの精神が疲弊しないよう、病院にいって安定剤や睡眠薬などをもらうのはどうか」などと気持ちに寄り添った受診を促してあげると比較的理解は得やすい傾向があります。
病院まで来てくれれば精神科医は注察妄想についての対処法を熟知していますので、本人の訴えを聞き、上手に治療を導入してくれるでしょう。
治療法ですが、治療としては、注察妄想を引き起こしている疾患(主に統合失調症)の治療を行う必要があります。
妄想に対しては、基本的には「お薬を使って治す」ことが治療になります。お薬を使わずに治す方法があればそれが一番いいのでしょうが、現実的にはお薬以外の方法ではなかなか治す事は困難です。
注察妄想は主に統合失調症で認められます。注察妄想をはじめとした統合失調症の陽性症状には「抗精神病薬」が用いられ、これは非常によく効きます。
抗精神病薬にもいくつかの種類がありますが、まずは安全性の高い(副作用の少ない)、第2世代抗精神病薬から使うのが一般的です。
具体的には、
などがあります。基本的に抗精神病薬は、脳のドーパミンのはたらきを抑える事で症状を抑えるお薬になります。妄想をはじめとした陽性症状は脳のドーパミン過剰によって生じていますので、抗精神病薬は比較的よく効くのです。
ドーパミンをブロックする作用だけを見れば、
といったSDA(セロトニン・ドーパミン遮断薬)が最も優れます。
しかし、
といったMARTA(多元受容体作用抗精神病薬)は鎮静作用に優れるため、「神経が疲れて眠れないのではないですか」といった説明で服用を同意してもらいやすく、これらが用いられる事もあります。
しかしMARTAは糖尿病の方には使えませんので注意が必要です。
またこれら第2世代抗精神病薬が使えなかったり、効果不十分な場合は、古い抗精神病薬である第1世代抗精神病薬が用いられる事もあります。
第1世代は効果はしっかりしていますが、副作用が多めであるため、使用は慎重に考えなくてはいけません。
第1世代抗精神病薬には、
などがあります。
ちなみに注察妄想をはじめとした妄想を認めていても、日常生活に問題のない程度のものであれば無理に治療しない事もあります。多少の妄想があっても、お薬でそれを改善させるメリットよりも、お薬の副作用などのデメリットの方が総合的に考えて大きいと判断される場合はそのまま様子を見る事もあります。
例えば、「自分は常に隣の人から見られている」という注察妄想を持っている方がいたとします。しかし、それで隣人に大きく迷惑をかけたりしておらず、「自分を監視するなんて変わった人だ」と思っている程度であれば、無理矢理治療する必要などありません。
このケースにおいて治療が必要なのは、「隣の人が監視している」という妄想のもと、「自分に危害を加えるのではないか」と確信して相手に敵意を持ってしまうような場合です。
これらのケースでは、妄想によって他者に迷惑をかけたり、その人の将来に大きな不利益をもたらすため、治療の必要が出てきます。