どの時点から抗うつ剤を始めるべきなのか?

精神科を受診し、主治医から抗うつ剤の服薬を指示された時、

「今の自分に本当に抗うつ剤が必要なのだろうか」
「先生は薬と言うけれど、他の治療法ではダメなのだろうか」

このように疑問を感じる方は少なくないようです。実際、このような疑問から転院をしたりセカンドオピニオンを受けたりする患者さんもいらっしゃいます。

精神疾患は症状が目に見えないため、治療を行う根拠を明確にしにくいところがあるのです。

もちろん精神科医は精神科的な診察所見から治療方針を慎重に決定しています。しかし、

「収縮期血圧が180もありますからお薬を始めましょう」
「空腹時の血糖値が500もありますからお薬を使いましょう」

という明確な根拠の元で治療を勧めるのと比べると、

「落ち込みが強いからお薬を使いましょう」
「精神症状によって生活に支障が出ていますからお薬を飲みましょう」

といった治療の勧め方は、どうしても説得力としては弱くなってしまいます。

そのため、精神科では自分の治療に疑問を感じてしまう患者さんが他科よりも多いのです。

加えて、

「抗うつ剤をどのくらいの重症度から使用すべきなのか」
「抗うつ剤はどんな症状があった時に使用すべきなのか」

という「抗うつ剤の具体的な適応」も現時点ではそこまで明確に決まっていません。精神疾患は同じ病気であっても患者さんそれぞれで症状は大きく異なるため、「うつ病に使用する」という適応だけではあまりに漠然としており、だからこそ患者さんは不安になってしまうのでしょう。

今日は現時点での抗うつ剤の適応はどのように考えられているのかという事を、個人的な見解も含めてお話しさせて頂きます。

1.最終的な判断は主治医による

「自分に本当に抗うつ剤が必要なのか、疑問なんです」
「今の先生は抗うつ剤を飲むべきっていうけど、どうしても納得できない」

このような疑問から、セカンドオピニオンを求めて別の先生の意見を聞きにくる方がいます。

精神科は、治療判断となる根拠が「数字」「画像の異常」などの可視化できるものではないため、どうしてもこのような疑問を持たれやすいところがあるのです。

この疑問に関して、結論から言ってしまえば、

「今の主治医の先生がそう判断したのであれば、飲むべきでしょう」

というのが答えになってしまいます。

患者さんとしては、何とも納得できない回答になってしまうのですが、現状は、

  • うつ病かどうかの診断は医師が診察によって判断する
  • 抗うつ剤の適応も、主治医が患者さんの状態を見て判断する

ことになっています。つまり、医師が「うつ病であり、抗うつ剤の適応」と判断したのであればそれは正しいことにります。

加えて現時点では、

  • このようなうつ病患者さんには抗うつ剤を使うべき
  • このようなうつ病患者さんには抗うつ剤を使うべきではない

と言える根拠がまだ明確にはなっていないため、抗うつ剤の適応は診察をした医師が患者さんの状態を見て個々に判断するしかないのです。

しかしそれで終わってしまっては今日のお話の意味がありませんので、

「抗うつ剤をなるべく使用した方が良いのはどんな時か」
「抗うつ剤をなるべく使用すべきでないのはどんな時か」

というのを考えてみたいと思います。

まだ明確な結論が出ていないことですので、私見も含んでしまうことをご了承下さい。

2.抗うつ剤を安易に使うべきではないのはどんな時?

まずは、「一見抗うつ剤を使ってもよさそうに見えるけども、実は抗うつ剤をあまり使うべきではない状態」はどんな時なのかについて紹介します。

なおここで紹介するケースは、抗うつ剤を「安易に」用いてはいけないのは確かですが、絶対に用いるのが間違いだというわけではありません。

Ⅰ.正常内の心因反応

当たり前ですが、うつ病ではない場合は例え落ち込みや意欲低下などを認めても、安易に抗うつ剤を使うべきではありません。

これには、正常範囲内の心因反応などが挙げられます。

例えば、大切な人を失った時などでは、大きなショックを受けるのが普通です。むしろショックを受けない方がおかしいでしょう。しかしこれは病的な反応ではありません。ショックな出来事に遭遇したからこころがダメージを受けたということですから、生理的な反応になります。

もちろんこのような状態でも、こころのダメージがひどかったり長期間に渡る場合はうつ病にまで進展している可能性もあり、抗うつ剤を使うこともあります。

しかし安易に使っていいものではなく、やむを得ない場合に限られるべきです。

Ⅱ.うつ病以外で生じたうつ状態

うつ病以外で生じたうつ状態に対しても抗うつ剤の使用は慎重に判断すべきです。

例えば、双極性障害(躁うつ病)は気分が高揚する躁状態と気分が落ち込むうつ状態が繰り返される疾患ですが、双極性障害のうつ状態に抗うつ剤を用いるべきかというのは昔から議論されており、いまだ明確な決着はついていません。

臨床では双極性障害のお薬(気分安定薬など)だけではどうしてもうつ状態が改善されないことも多く、やむを得ず抗うつ剤を併用してしまうケースは少なくありません。

しかし実は双極性障害に抗うつ剤が有用だという根拠は乏しく、また抗うつ剤によって気分を上げすぎてしまい人工的に躁状態を作ってしまうリスクもあり得ることから(これを躁転と呼びます)、双極性障害に抗うつ剤を用いることに対して批判的な専門家もいます。

現時点では、双極性障害に対して抗うつ剤を用いるのであれば、少なくとも抗うつ剤のみを用いることは好ましくなく、気分安定薬などの双極性障害のお薬と併用して慎重に用いるべきだというのがおおむねの見解です。

少なくとも安易に抗うつ剤を用いて良いものではないでしょう。

また、統合失調症の慢性期においても、時に抗うつ剤が用いられることがあります。慢性期では陰性症状と呼ばれる「意欲消失」「感情平板化」「無為自閉」などのエネルギーの低下した症状が認められるため、抗うつ剤が検討されることがあるのです。

陰性症状は抗精神病薬(統合失調症の治療薬)の効きが悪いため、デイケア・作業所に参加してもらったり、生活習慣を改善したりといった治療法が推奨されているのですが、なかなかこれらの治療法の導入が難しい患者さんもいます。そんな時、抗うつ剤が選択肢の1つに挙がってきます。

しかし実は統合失調症の陰性症状に抗うつ剤が有効だという根拠も乏しいのです。先日公表された「統合失調症の薬物治療ガイドライン」においても、統合失調症における抗うつ剤の使用は推奨されていません。

少なくとも安易に用いて良いものではありません。

Ⅲ.軽症うつ病

うつ病であったとしても、その程度が軽症である場合には、安易な抗うつ剤の投与は控えるべきです。

ちなみに「軽症」というのは具体的にどのようなうつ病を指すのでしょうか。軽症の定義は医学書や専門書によって微妙に異なるのですが、おおむねの感覚としては、

「うつ病の症状はあるけども、なんとか日常生活には支障が生じていない状態」

と考えて頂くと良いかと思います。

気分の落ち込みや意欲の低下はあるんだけど、なんとか仕事も行けていて、生活に必要な行動も何とか行えているような状態が軽症うつ病です。

軽症うつ病は、軽いからといって軽視していいものではありません。

放置すれば更に進行してしまうため、軽症のうちに発見し食い止めることは非常に重要です。また、エネルギーがまだ残っている軽症の方が衝動的な行動(自殺、自傷行為など)に至りやすいという指摘もあり、決して甘くみていい疾患ではありません。

そのため軽症うつ病であっても治療はしっかりと行う必要があります。

しかし治療に抗うつ剤を用いる際は慎重に判断しないといけません。

ガイドラインによっては軽症のうつ病には抗うつ剤などの薬物療法を推奨していないものもあり、全体的な見解としては「軽症うつ病には安易に抗うつ剤を用いるべきではない」というのが現在のうつ病治療の流れです。

軽症うつ病では、抗うつ剤による治療成績とプラセボ(何の成分も入っていない偽薬)による治療成績がほとんど変わらなかったという報告もあります。プラセボには副作用はありませんが、抗うつ剤は副作用が出る可能性があります。これで効果も同じとなると、抗うつ剤を使用することはむしろデメリットとなってしまいます。

全ての軽症うつ病の方に抗うつ剤が必要ないわけではありませんが、少なくとも安易に用いるべきではないと考えられています。

軽症うつ病では、抗うつ剤の投与を考える前に、

  • 生活習慣の改善
  • 認知行動療法などの精神療法(カウンセリング)

などで治療が出来ないかを必ず検討すべきです。

Ⅳ.非定型うつ病

非定型うつ病はうつ病の診断基準は満たすものの、一般的なうつ病とは異なる症状が多い疾患です。

非定型うつ病は、一般的なうつ病(定型うつ病)と比較して様々な相違点があるのですが、その1つに「抗うつ剤の効きが悪い」という事が挙げられます。

そのため、非定型うつ病においても、抗うつ剤の投与を考える前に、

  • 生活習慣の改善
  • 認知行動療法などの精神療法(カウンセリング)

などで治療が出来ないかを必ず検討すべきで、安易に抗うつ剤を開始してはいけません。

3.抗うつ剤を使うべきなのは?

次に、「このような場合は抗うつ剤を使った方が良い」と考えられている状態について考えてみましょう。

Ⅰ.重症うつ病

抗うつ剤は軽症例においてはプラセボ(偽薬)と治療成績に差がないという報告もある、と先ほどお話ししました。

しかし逆に重症うつ病においては、抗うつ剤とプラセボは抗うつ剤の方が有意に治療成績が良くなります。ここから、重症のうつ病に対しては抗うつ剤はある程度積極的に用いるべきだと言えます。

ちなみに重症の定義も明確には定まっていないのですが、おおむねの感覚としては、

「うつ病の症状があり、日常生活に大きな支障をきたしている状態」

と考えていただくと良いと思います。

具体的には、うつ症状によってほとんど仕事に行けない、全く動けない、生活に必要な活動がほとんど出来ない、などが該当します。

Ⅱ.メランコリー親和型によるうつ病

メランコリー親和型うつ病の方に、抗うつ剤が比較的よく効く事は昔から経験的に知られていました。

メランコリー親和うつ病は「内因性うつ病」とも呼ばれ、メランコリー親和型性格を持つ方が発症するうつ病の事です。

【メランコリー親和型性格】

・ルールや秩序を守る、几帳面
・自分に厳しく、完璧主義、責任感が強い
・他者に対しては律儀で誠実。衝突や摩擦を避ける

などの「秩序志向性」を持つ性格傾向。

もちろんメランコリー親和型であっても軽症であった場合などでは、まずはお薬以外の治療も検討すべきです。しかしメランコリー親和型は比較的お薬が効きやすいことを考えると、他のタイプのうつ病と比べればより積極的にお薬を導入しても良いのではないかと思われます。

ちなみに、メランコリー親和型とそれ以外のうつ病で抗うつ剤の効きに差はない、という報告もありますので、この意見には批判的な専門家もいると思います。

ただ私の臨床経験から見ると、やはりメランコリー親和型の方は抗うつ剤の効きが良いように感じています。

4.抗うつ剤を使うべきか悩むような症例

抗うつ剤の使用を判断するポイントについて、私見も含めてですがお話ししてきました。

しかしうつ病の症状は様々であり、同じうつ病でも症状は患者さんによって大きく異なります。そのため、教科書的にキレイに判断できないような事も多々あり、専門家であっても抗うつ剤を使うべきかの判断に迷ってしまうケースはあります。

例えば、明らかに重症のうつ病である場合は、抗うつ剤を使うべきかについて大きく悩むことはあまりないでしょう。

しかし臨床をしていて、判断に迷うケースの1つに、

「一般的には抗うつ剤の適応にならないけども、その他の治療が導入できない時」

があります。

例えば軽症うつ病の患者さんは、一般的には安易に抗うつ剤から始めるべきではなく、まずは精神療法(カウンセリングなど)や環境調整から始めましょうと言われています。

もちろんこれは正論でしょう。

しかし、

「カウンセリングは費用面・時間面から受けることができない」
「カウンセリングで認知の修正をしようとしても、なかなか日常で実践できない」
「睡眠をしっかりとるという生活指導がなかなか実行できない」

というような場合が、臨床では少なからずあります。

お薬以外の治療が望ましいのだけど、そのお薬以外の治療がなかなか導入できない、あるいは患者さんに実践する余裕がないような場合です。

この場合、お薬を使わずに経過を見ていても改善はなかなか得られないでしょう。それでも「この患者さんは抗うつ剤の適応ではないから」とかたくなに抗うつ剤の服薬を避けることは本当に正しいのでしょうか。

こういった場合、

「本当は抗うつ剤はあまり推奨されないけど、やむを得ない」

と考えて抗うつ剤を処方する先生も多いと思います。

これはある程度仕方のないことでしょう。

「本当は抗うつ剤を使わないで治すのが一番いいのだけど、カウンセリングはお金の面で受けられないということですし、なかなか生活習慣の改善も行えない日が続いてますので、抗うつ剤を使ってみるのはどうでしょうか」

と患者さんに抗うつ剤を処方する理由をしっかりと説明した上で処方を検討することは、教科書的には間違っているのかもしれませんが、現実的には十分検討される選択肢になります。

一般的な「抗うつ剤と安易に使うべきでないケース」であっても、患者さん個々の事情により、抗うつ剤が検討されるケースはあり、一概に

「この症例に抗うつ剤を使うのは正しい」
「この症例に抗うつ剤を使うのは間違っている」

と言えるものではないのです。

5.自分に抗うつ剤が必要なのか疑問に感じる場合は

今回このようなお話をしたのは、「自分の受けている処方に疑問がある」という質問を時々頂くためです。

現在当サイトでは、個別の疾患に関する質問はお受けできない状態になっているため、少しでもお役に立てるようにと考え、記事にて書かせていただくことにしました。

今日のお話から言える事は、お薬の処方に疑問がある場合は、まずは主治医に理由を聞いてみるべきだと言う事です。今日は一般的なお話をしましたが、典型的な「お薬を使った方がいいケース」以外で抗うつ剤が使われている場合も、主治医に何らかの考えがあって抗うつ剤が処方されている事がほとんどです。

本来であれば、それがどんな考えなのかを事前に患者さんにしっかりと説明し、納得してもらってから処方すべきなのですが、忙しい先生だと時に十分な説明の時間がどうしても取れないこともあります。

また実は主治医はしっかりと説明していたのだけど、その時の患者さんの精神状態が不安定であったがために、患者さんがしっかりと理解できていなかったということもあるでしょう。

そのため、まずは主治医にしっかりと自分の疑問をぶつけてみましょう。患者さんは自分の受けている治療について尋ねる権利があります。自分が飲んでいるお薬なのですから、それに対して質問をするのは何らおかしい事ではありません。

それをせずに転院してしまったり、セカンドオピニオンを求めたりする方もいらっしゃるのですが、まずは主治医の見解を聞いてから判断するようにしましょう。