ある特定の状況や対象に対して著しく強い恐怖を感じ、それによって生活に支障が生じてしまうような状態は「恐怖症」と呼ばれます。
恐怖症は様々な状況・対象に生じます。そのため恐怖症はとても多くの種類があります。
比較的よく知られている恐怖症としては、
- 対人恐怖症・・・他者に対して異常に恐怖を感じてしまう
- 高所恐怖症・・・高い場所に対して異常に恐怖を感じてしまう
などがあります。これらは皆さんも一度は耳にした事があるのではないでしょうか。
他にも、
- 閉所恐怖症・・・閉ざされた空間、狭い場所に過度に恐怖を感じてしまう
- 先端恐怖症(針恐怖症)・・・鋭いもの、尖ったものに過度に恐怖を感じてしまう
- 男性恐怖症・・・男性に対して過度に恐怖を感じてしまう
などもあります。このようにあらゆる状況・対象に対して恐怖症は生じる可能性があります。
これらと同じ恐怖症の1つに「巨像恐怖症」があります。
巨像恐怖症は、一般の方にはほとんど知られていない恐怖症です。「巨像」とは「巨大な像」の事です。典型例では人を形どった大きな像(仏像や人形など)に恐怖を感じます。また人の形をしていなくても彫刻や大きな岩や巨大船など「大きな物体」に恐怖を感じるという方もいらっしゃいます。
この巨像恐怖症は、なぜ生じてしまうのでしょうか。また治療法・克服方法などはあるのでしょうか。
ここでは巨像恐怖症について、その原因や治療法について紹介させていただきます。
1.巨像恐怖症とはどのような疾患なのか
巨像恐怖症というのは、どのような疾患なのでしょうか。
巨像恐怖症というのは、巨像(巨大な像)に対して過度な恐怖が生じ、それによって大きな苦しみと生活への支障が生じている状態の事です。
巨像とはざっくり言えば「巨大な像」の事で、典型的には人の形をした巨大な人形や仏像などが該当します。また人によっては巨大な彫刻物や岩、飛行機や船などに恐怖を感じる事もあります。
巨像恐怖症の方は、巨像を見ると強い恐怖に襲われます。ただ恐怖を感じるだけでなく、それによって自律神経のバランスが崩れ、様々な自律神経症状が生じます。
具体的には手足が震えたり(振戦)、脈が速くなったり(動悸)、汗が大量に出てきたり(発汗)、呼吸がうまくできなったり(呼吸苦)、ひどい場合は意識を失ってしまう事もあります(意識消失)。
しかし日常の生活の中で巨像というものは、そうそう遭遇するものではありません。そのため多少の注意をしていれば巨像を避けて生活する事は十分に可能です。
実際、巨像を見ると上記のような恐怖と自律神経症状が出てしまう方であっても、なるべく巨像に近づかないように注意する事で、大きな問題なく日常生活を送っている方は少なくありません。
このような場合、確かに「巨像が怖い」という症状はあります。しかし生活に大きな支障をきたしているわけではないので「巨像恐怖症」という病名は付きません。
ではどのような場合に「巨像恐怖症」と診断されるのでしょうか。
巨像恐怖症は、DSM-5という診断基準的には「限局性恐怖症(Specific Phobia)」の一型になります。
【DSM-5】
アメリカ精神医学会(APA)が発刊している精神疾患の診断基準の手引き。アメリカに限らず、精神疾患の診断に世界的に広く使われている。
DSM-5の診断基準を元に考えると恐怖症の診断のためには、
- 特定の状態や対象に対して、一般的な常識から考えて過剰な恐怖を感じていて
- それによって生活に支障が生じている
という事が重要になります。
つまり巨像が苦手であっても、それが一般的な基準から考えて過剰というほどではなかったり、巨像恐怖によって生活への大きな支障が生じていない場合などは、巨像恐怖症にはならないという事です。
例えば巨像に対して恐怖は感じるけどもそこまで強くはないという場合や、巨像は怖いけども別にそれで生活に支障があるとは感じないという場合は巨像恐怖症とは判断されず、治療の必要もありません。
反対に巨像に対して過度な恐怖を感じていて、それによって苦しみや生活への支障が出ている場合は、「恐怖症」の診断基準を満たす事になり、治療が望まれます。
過剰な恐怖を感じていて、なおかつ生活への支障が生じている場合というのは、その恐怖に対して治療を行った方が総合的にはメリットが高いと考えられるため、適切な治療が検討されるのです。
2.巨像恐怖症が生じる原因とは?
巨像恐怖症は何故生じるのでしょうか。
巨像恐怖症が発症する原因は明らかではありません。
しかし次の3つの要因が合わさる事で発症するのではないかと考えられています。
- 遺伝的要素(本能)
- 幼少期に大人に威圧された経験
- 性格傾向
1つずつ詳しく説明していきます。
Ⅰ.遺伝的要素(本能)
私たち動物は、本能的に自分より大きいものに対して恐怖を感じます。
自分よりもはるかに体格が大きい人が襲ってきた時と、自分よりも小柄な人が襲ってきた時ではどちらが怖いでしょうか。明らかに前者だと思います。
私たちは本能的に自分よりも大きいものを見ると「怖い」と感じるものなのです。
仏像や大きい人形、巨大な彫刻物などは、それを「動かないもの」「自分を襲ってこないもの」と理性で認識しているからこそ恐怖を感じませんが、それは理性が本能を抑えているからであり、本能においては多少の恐怖は発生しているのです。
実際、巨像恐怖症に限らず恐怖症のほとんどはその対象や状況が「健常な人であってもある程度は怖さを感じるもの」です。
例えば、
- 高所恐怖症(高いところに恐怖を感じる)
- 先端恐怖症(ナイフなど尖ったものに恐怖を感じる)
といった恐怖症は分かりやすいと思います。
これらの恐怖症の対象(高いところや尖ったもの)は明らかに恐怖を感じるものである事に違和感はないでしょう。
他にも、
- 電話恐怖症
- 対人恐怖症
なども一見すると分かりにくいですが、本来「顔が見えない相手と話す」「知らない相手に近づく」という事は不安・恐怖を感じてもおかしい事ではありません。
このように恐怖症の対象というのは、そのほとんどがよくよく考えれば健常の人にとっても少なからず恐怖を感じるものなのです。
巨像恐怖症も同じです。
私たち動物は、自分よりも巨大なものに対して本能的に恐怖を感じます。
何らかのきっかけにより、その恐怖が更に高まってしまうと「巨像恐怖症」と呼ばれる状態になってしまうのでしょう。
巨像恐怖症に限らずほとんどの恐怖症は、このように「元々本能的に多少の怖さを感じるもの」に対して、何らかの恐怖を増強するような体験が加わってしまう事で発症する傾向があります。
また恐怖を感じる巨像というのは、
- 神秘的なもの
- 謎を感じるもの
- よく分からないもの
などが多くを占めます。仏像などは宗教的側面もあり、神秘性があります。また海外の宗教的な彫刻などもそうです。このような神秘的であったり謎が多いものに対しても私たちは本能的に「不安」を感じます。
Ⅱ.幼少期に大人に威圧された経験
幼少期(小さい子供の頃)は、大人が「巨像」になります。
大人は自分の何倍も大きくて、本能的には恐怖を感じるものです。しかし多くの子供は、大人に守られて成長していきます。その中で「大人は巨大だけど怖いものではない」と学び、大人に対して恐怖を感じずに成長していきます。
一方で幼少期に、
- 大人から威圧されたり、脅されたりしていた
- 大人から殴られたりした経験がある
という場合、「巨像=怖いもの」というイメージがより明確についてしまうため、巨像恐怖症は発症しやすくなると考えられます。
Ⅲ.性格傾向
巨像恐怖症をはじめとした恐怖症は、
- 心配性
- 不安が強い
- 完璧主義
といった性格傾向のある場合に生じやすいと考えられています。
このような性格傾向の方は不安や恐怖を感じやすい傾向があるため、小さいきっかけでも巨像恐怖症をはじめとした恐怖症に罹患しやすいのです。
3.巨像恐怖症はどのように克服すればいいのか?
巨像恐怖症はどのように克服すればいいのでしょうか。
巨像恐怖症を克服する場合にまず覚えておいて欲しいのが、「巨像を怖いと感じる自分は異常」だと考えてはいけないという事です。
私たちが本能的に巨大なものを「怖い」と感じるのは正常な反応なのです。巨像恐怖症の方に生じている恐怖は異常ではありません。ただ、恐怖の程度が強すぎるというだけなのです。
そのため巨像恐怖症の治療を行う際は、「巨像に対して恐怖を全く感じないようにしなければいけない」と考えてはいけません。本来多少の恐怖を感じるものに対して全く恐怖を感じないようになるのは困難ですし、このような無理な治療目標ではまず失敗してしまいます。
巨像を怖いと思うのは普通の事と理解し、「怖い」の程度を正常にまで弱める事が正しい治療目標です。
そしてもう一つ、治療前に確認して頂きたい事があります。
巨像は日常生活の中では遭遇する事はほとんどありません。そのため、巨像に対して恐怖があるけど大きな支障なく生活できているよ、という方も少なくないでしょう。このような場合、巨像恐怖に対する治療は必ずしも必要ありません。
治療を始める前に、巨像恐怖によってあなた自身に何か「困る事態が生じているのか」を十分に考えて下さい。
先ほども説明したように、巨像恐怖症というのは、
- 巨像に対して過剰な恐怖を感じていて
- 更にそれによって日常生活に大きな支障が生じている
場合に診断されるものです。
巨像に多少の恐怖を感じていても、日常生活にそこまで大きな支障が生じていないのであればそれは巨像恐怖症とは言えず、治療の必要はありません。
また巨像に過剰な恐怖を感じていても、同じように生活に特に支障がないのであれば、これも無理に治療する必要はありません。
では巨像に過剰な恐怖を感じていて、更にそれによって日常生活に大きな支障が生じている場合は、どのように治療をしていけばいいのでしょうか。
巨像恐怖症をはじめとした恐怖症を治すためには2つのアプローチが必要です。
重要なことは、この2つのアプローチというのはどちらか好きな方を選べば良いというわけではなく、どちらも並行して行っていく必要があるという事です。
多くの方が恐怖症の治療を失敗してしまうのはこの事を理解していないからです。片方の治療法だけで完結しようとしてしまうため、うまく行かなくなってしまうのです。
巨像恐怖症の方は、何らかの原因により巨像に対しての過剰な恐怖が植え付けられてしまい、それが持続していることで生活に支障を来たしています。
これには、
- 巨像を「怖い」と過剰に感じている認知を修正する(考え方を治す)
- 実際に巨像を見る事に慣れていく(行動で治す)
の2つの治療アプローチを並行していくことが大切です。
考え方と行動、2つの面から治療を行わなければ恐怖症の克服は出来ません。これはよく考えれば当たり前のことです。
いくら「別に巨像ってそこまで怖いものではないよね」と考えだけを変えようとしても、それが机上の空論でしかなければ、その考えは深くは理解されません。考え方だけを変えても実体験が伴わなければ、私たちの脳は深いレベルでの理解はしてくれないのです。
そのため考え方を変えた上で、実際にそれを「体験する」という行動は必ず必要になります。
また反対に、行動だけを頑張るというのも危険です。「あえて巨像がある場所に行ってみて、ひたすら慣れていく」という方法だと、一時的には巨像恐怖は治るかもしれませんが、根本の「巨像は非常に怖いものなのだ」という認知の歪みが治されていないため、すぐに再発してしまいます。
そのため、巨像に対する正しい考え方を修正しながら、同時に行動でも慣れていく。この2つの治療法を必ず併用する事が理想的な治療・克服法になります。
それでは治療・克服法を1つずつ見ていきましょう。
Ⅰ.考え方を治す
巨像恐怖症では、「巨像」に対して必要以上に「怖い」と考えてしまっています。これを正常範囲内の「怖い」に下げることが出来ればいいのです。
先ほどからお話しているように、巨像に対してある程度の恐怖を感じるのは普通ですので、その恐怖をゼロにする必要はありません。「生活に支障がない程度の恐怖」にまで下げれれば十分なのです。
巨像恐怖症の方は、現実の「巨像」に対しての認知(ものごとのとらえ方)が歪んでしまっています。
自分よりもはるかに大きい「巨像」ですが、本能的に多少の恐怖を感じるのは仕方ないとしても、そもそもこれらの巨像は自分に害を与えるものではありません。
実際、巨像のほとんどは観光地などに設置されており、むしろ人々を楽しませる事が目的である事がほとんどです。
これを自分自身に深く理解させることが必要で、このような巨像に対する「認知のゆがみ」を修正する治療が巨像恐怖症においては有効です。
これは基本的には「認知行動療法」の考え方になり、カウンセリングの形式で認知の修正を図っていくことが理想です。独学で行うのは難しく、出来れば精神科医や経験豊富なカウンセラーとともに行っていくようにしましょう。
ただし認知の修正だけを行ってもまずうまく行きません。学習という形式で認知の修正だけをしようとしても、実体験が伴わなければ、深いレベルでの理解は出来ないからです。
そのため、次項の「慣れていく」という治療法も並行していく必要があります。
Ⅱ.巨像に慣れていく
実際に巨像に少しずつ慣れてみるという作業も、巨像恐怖症を克服するためには必要です。
恐怖を感じるものに敢えて挑戦するのを「暴露療法」と呼びますが、巨像恐怖症の治療に対しても暴露療法は有用になります。
ただし、暴露療法は「どの程度の恐怖に暴露させるか」という判断が非常に難しいため、これもできれば独自に行うのではなく精神科医などの専門家とともに行うことが理想です。ポイントは「自分がギリギリ耐えられる程度の恐怖に暴露していく」というのが理想で、今の自分がギリギリ耐えられる程度がどれくらいかを見極めることが非常に重要です。
暴露療法は、恐怖に少しずつ触れて慣れていくという治療法になり、最初は弱い恐怖から慣れていき、成功したらより強い恐怖に挑戦するという流れになります。
暴露療法は必ず段階的にやっていく必要があります。いきなり自分の限界以上の恐怖に暴露させてしまうと、恐怖がかえって強まってしまう可能性もあるためです。
そのため、まずは自分を巨像に暴露するための段階を作ってみましょう。
例えば、
1.抗不安薬を1錠服用し、信頼できる人と一緒に巨像を見にいく
2.抗不安薬を半錠服用し、信頼できる人と一緒に巨像を見にいく
3.抗不安薬を服用しないで、信頼できる人と一緒に巨像を見にいく
4.抗不安薬を服用しないで、信頼できる人と巨像を見にいくが、その人には少し離れた位置にいてもらう
5.抗不安薬を服用しないで、信頼できる人と巨像を見にいくが、その人には入口で待っていてもらう
6.抗不安薬を服用しないで、一人で巨像を見にいってみる
などといった感じです。このような表は「不安階層表」と呼びます。
不安階層表を作ったら、恐怖の低いものから1つずつ克服していきます。小さな成功を積み重ね、成功体験を積んでいくことが大切です。かんたんなものから少しずつ克服していくことで自信がつき、恐怖が和らいでいくからです。
時間も最初は短い時間でも構いません。巨像を数秒見るだけでも十分でしょう。
暴露療法の成功の鍵は、段階を多く作り、少しずつ少しずつ達成していって自信をつけていくことです。協力者やお薬を利用して、段階を細分化することが出来ると、暴露療法の成功率は高まります。
協力者は「一緒に居て安心できる人」であることが絶対条件です。これは通常家族や恋人、親友などになります。また暴露療法は補助的に抗不安薬などの不安・恐怖を和らげるお薬を使う事がありますが、これらのお薬の処方は医師しかできないため、やはり暴露療法は精神科医と連携しながら行うことをお勧めいたします。
Ⅲ.失敗することもある
治療を行う際の心構えとして「失敗してしまう事もあるのが普通」と理解しておくことは大切です。
治療を始めたからといって、症状が直線状にきれいに治っていくことはまずありません。
良くなったり悪くなったりを繰り返しながら徐々に徐々に底上げされて治っていくような経過が普通です。
恐怖症の方は、非常に長い期間苦しんできた事がほとんどです。短くても数年、長い場合は数十年以上、巨像恐怖症を抱えながら生きてきた方もいらっしゃるでしょう。このように長い期間苦しんできたのですから、いくら最適な治療をはじめたといってもいきなりキレイに治るものではありません。
治療の経過中には悪化してしまったり、失敗してしまうこともあります。しかしそれであきらめないでください。
失敗や悪化を経て、その中で少しずつ少しずつ治っていくというのが恐怖症の治り方です。
失敗してしまったり悪化を経験すると、「これはきっと治らないのだ・・・」と絶望的になってしまう方が多いのですが、そうではなく、「経過中に失敗することもある。みんなそうやって少しずつ治っていくのだ」と考えるようにしてください。
Ⅳ.補助的にお薬を使うことも
恐怖の程度が強い場合は、補助的に不安や恐怖を和らげるお薬を併用することもあります。
良く用いられるのが先ほども紹介した「抗不安薬」です。抗不安薬は、即効性もあるため暴露療法で暴露する前に服薬することでも効果が得られ、使い勝手の良い治療薬になります。しかし一方で慢性的に使用を続けると依存が生じることもありますので注意が必要です。
長期的に不安・恐怖を抑えたい場合は「抗うつ剤」が用いられることもあります。不安や恐怖はセロトニンと深く関係していると考えられているため、抗うつ剤の中でもセロトニンを増やす作用に優れるものが使われます。抗うつ剤は飲んですぐに効果が出るものではありません。服薬して早くても1週間、通常は2~4週間ほどかかります。しかし依存性はありませんので、長期的に不安を抑えたい場合に適しています。
ただし巨像は日常ではほとんど遭遇しないため、日頃から不安・恐怖を抑えておく必要はあまりありませんので、巨像恐怖症の治療の場合は抗うつ剤はあまり使わず、抗不安薬を必要な時のみ使うという方法で治療が行われる事が多いです。
お薬は巨像恐怖症の治療を助けてくれる有効な方法の1つです。しかしあくまでもお薬で症状を抑えているだけであるため、お薬だけで治療がうまくいくことはありません。お薬の力を借りながらも「考え方を修正する」「暴露して慣れていく」という克服法を行っていく必要があります。