ある特定の状況や対象に対して異常に恐怖を感じてしまい、それによって生活に支障が生じてしまうような状態を「恐怖症」と呼びます。
恐怖症は様々な状況・対象に生じます。比較的よく知られているものには「対人恐怖症」や「高所恐怖症」などがあります。他者に対して異常に恐怖を感じてしまうのが対人恐怖症であり、高い場所に対して異常に恐怖を感じてしまうのが高所恐怖症です。
そして恐怖症の1つに「視線恐怖症」と呼ばれる疾患があります。
これは「他者から視線を浴びているのではないか」という恐怖がぬぐえず、対人関係や人がいる場所において大きな苦痛を感じてしまう疾患です。生きていく上で人と接することは避けては通れませんので、視線恐怖となってしまうと生活に大きな支障が生じてしまいます。
視線恐怖症をはじめとした恐怖症の治療は時間がかかりますが、正しい指導者のもと、正しい治療を続ければ必ず克服できます。経験豊富な治療者とともにじっくりと時間をかけて治療を行っていくことが大切です。
今日は視線恐怖症について、その原因や治療法を紹介させていただきます。
1.視線恐怖症とはどのような疾患なのか
視線恐怖症というのは、どのような疾患なのでしょうか。
視線恐怖症というのは、他者からの視線に恐怖を感じてしまい、それにより大きな苦しみと生活への支障が生じてしまう状態を言います。
実際は他者から見られていなかったとしても、「見られているのではないか」と過敏に感じてしまう事で、
「自分がおかしいから見られているのではないか」
「悪口を言われているのではないか」
「笑われているのではないか」
などと悪い評価を受けているのではないかと考えてしまうのです。
視線恐怖症は、実は視線自体に恐怖を感じているのではありません。その根本にあるのは「他者からの評価に対する恐れ」です。他者から「悪い評価を受けているのではないか」と考えてしまい、それが恐怖となってしまうのです。この思考が極端になってしまうと、次第に視線を感じただけで恐怖を感じるようになってしまいます。
ちなみに視線恐怖症と似た病名として「自己視線恐怖症」というものがありますが、これは視線恐怖症とは異なるものです。自己視線恐怖症とは、自分の視線が相手を不快させているのではないかと考えてしまう疾患で、視線恐怖症とは他者からの視線に恐れを感じてしまう疾患です。
私たち人間は、多くの人間の中で生きていますので、ある程度は他者の評価や視線が気になるのは普通です。知らない人に突然凝視されたら誰だって「不気味だな」と恐怖を感じるでしょう。
しかし、ちょっと見られたくらいでは「たまたまこっちを見ただけかな」と考えるくらいが普通です。人が大勢いる街中を歩いていても、「誰も自分の事など見ていないだろう」と考え、視線は特に気になりません。
しかし視線恐怖症の方は、そうはいきません。ちょっと自分の方を見られた、あるいは見られたと感じただけで、「バカにされているのではないか」「悪い印象を持たれているのだ」と考えてしまい、恐怖を感じてしまうのです。
しかし視線が怖いと感じたらすぐに視線恐怖症になってしまうわけではありません。
正確な意味での「視線恐怖症」は他者からの視線に対して
- 一般的な常識から考えて、過剰な恐怖を感じていて
- それによって生活に支障が生じている
という状態を指します。
視線恐怖症の方は人からの視線が怖いため、次第に人を避けるように生活するようになってしまいます。これによって本人が苦しい思いをしていたり生活への支障が出ている場合、そこには治療の必要性が生じてくるのです。
2.視線恐怖症の原因は?
視線恐怖症は何故生じるのでしょうか。
その原因は1つではありません。また必ず原因があると言えるものではなく、原因が分からずに発症してしまうことも少なくありません。
視線恐怖症に限らず恐怖症は、過去にその状況で怖い思いをした事がある、といった経験から生じることがあります。特に感受性豊かな幼少期にこのような体験をしてしまうと「この状況は恐怖だ」と脳が認知してしまいやすく、それがその後も続いてしまうことになります。
例えば、
「小学生の頃、中学生の不良ににらまれてひどい暴力を受けた」
「幼少期、家庭環境が悪くて、親からいつも冷たい視線を浴びていた」
などという経験から、視線恐怖症を発症してしまう方もいらっしゃいます。
しかし中には何の原因もないのに発症してしまう症例もあります。この場合、もともとの遺伝的要素や素質も関係している可能性があります。これは視線恐怖症という疾患自体が遺伝するというわけではなく、不安や恐怖を感じやすい素因が元々あると、小さなきっかけでも恐怖症が発症してしまうことがあるという事です。
日本人は他の人種よりも不安を感じやすい傾向があることが指摘されており、これは人種的な素因もあると思われます。不安や恐怖を感じるのは脳の扁桃体という部位やセロトニンという物質が大きく関わっていることが知られており、私たち日本人はこれらのはたらきが他人種よりも強いのかもしれません。
つまり扁桃体のはたらきが強いような方では視線恐怖症をはじめとした恐怖症が発症しやすいことが考えられます。
そのような方は、元々
- 心配性
- 完璧主義
- 神経質
などの性格傾向が認められます。
3.視線恐怖症はどのように治療・克服すればいいのか?
恐怖症を治すためには2つのアプローチが必要です。
重要なことは、この2つのアプローチというのはどちらか好きな方を選べば良いというわけではなく、どちらも並行して行っていく必要があります。多くの方が恐怖症の治療を失敗してしまうのはこの事を理解していないからです。片方の治療法だけで完結しようとしてしまうため、うまく行かなくなってしまうのです。
視線恐怖症は、何らかの原因により、視線に対しての過剰な恐怖が植え付けられてしまい、それが持続していることで生活に支障を来たしています。
これは、
- 他者からの視線に対しての異常な認知を修正する(考え方を治す)
- 実際に視線に慣れていく(行動を治す)
の2つのアプローチを並行していくことが大切です。
考え方と行動、2つの面から治療を行わなければ恐怖症の克服は出来ません。これはよく考えれば当たり前のことです。
いくら「別に誰も自分のことなんてそこまで見てないよね」と考えだけを学んでも、それが机上の空論でしかなければ、その考えは深くは理解されません。考え方だけを変えても実体験が伴わなければ、私たちの脳は深いレベルでの理解はしてくれないのです。
そのため考え方を変えた上で、実際にそれを「体験する」という行動は必ず必要になります。
また反対に、行動だけを頑張るというのも危険です。「あえて他者からの視線に挑戦してひたすら慣れていく」という方法だけでは、一時的には視線恐怖は治るかもしれませんが、根本の「他者からの視線は自分に対する否定的な評価だ」という認知の歪みが治されていないため、すぐに再発してしまいます。
そのため、視線に対する考え方を修正しながら、同時に行動でも慣れていく。この2つの治療法を必ず併用するようにしましょう。
それでは治療・克服法を1つずつ見ていきましょう。
Ⅰ.考え方を治す
視線恐怖症が生じている原因の1つは「視線」に対して必要以上に「怖い」と考えてしまっていることです。これを正常範囲内の「怖い」に下げることが出来ればいいのです。
誰だって人からの視線を浴びれば多少は緊張するものです。視線に対しての恐怖をゼロにする必要はありません。「生活に支障がない程度の恐怖」にまで下げれれば十分なのです。
視線恐怖症の方は、「他者からの視線」に対して妄想的なほどに認知(ものごとのとらえ方)が歪んでしまっています。
他者がたまたまあなたの方を向いただけであったとしても、
「私が変だからこっちを見たんだ」
「きっと私の事を心の中では笑っているんだ」
と、そのとらえ方が妄想的な内容になってしまっています。
この視線に対する「認知のゆがみ」を修正する治療は視線恐怖症においても有効です。
これは基本的には「認知行動療法」の考え方になり、カウンセリングの形式で認知の修正を図っていくことが理想です。独学で行うのは難しく、出来れば精神科医や経験豊富なカウンセラーとともに行っていくようにしましょう。
ただし認知の修正だけを行ってもまずうまく行きません。学習という形式で認知の修正だけをしようとしても、実体験が伴わなければ、深いレベルでの理解は出来ないからです。
そのため、次項の「慣れていく」という治療法も並行していく必要があります。
Ⅱ.視線に慣れていく
実際に視線に少しずつ慣れてみるという作業も、視線恐怖症を克服するためには必要です。
恐怖を感じるものに敢えて挑戦するのを「暴露療法」と呼びますが、視線恐怖症の治療に対しても暴露療法は有用になります。
ただし、暴露療法は「どの程度の恐怖に暴露させるか」という判断が非常に難しいため、これもできれば独自に行うのではなく精神科医などの専門家とともに行うことが理想です。ポイントは「自分がギリギリ耐えられる程度の恐怖に暴露していく」というのが理想で、今の自分がギリギリ耐えられる程度がどれくらいかを見極めることが非常に重要です。
暴露療法は、恐怖に少しずつ触れて慣れていくという治療法になり、最初は弱い恐怖から慣れていき、成功したらより強い恐怖に挑戦するという流れになり、必ず段階的にやっていく必要があります。いきなり自分の限界以上の恐怖に暴露させてしまうと、恐怖がかえって強まってしまう可能性もあります。
そのため、まずは自分が怖いと思う状況を思いつく限りすべてリストアップし、それぞれどのくらい恐怖を感じるのかを10段階で表してみることから始めます。例えば、
・学校 恐怖の強さ8
・近所のスーパー 恐怖の強さ5
・家の前の道路 恐怖の強さ4
・親戚の集まり 恐怖の強さ2
などといった感じです。このような表は「不安階層表」と呼びます。
不安階層表を作ったら、恐怖の低いものから1つずつ克服していきます。小さな成功を積み重ね、成功体験を積んでいくことが大切です。かんたんなものから少しずつ克服していくことで自信がつき、恐怖が和らいでいくからです。今の例でいえば、「じゃあまずは親戚の集まりに顔を出してみよう」という事からチャレンジすればいいのです。
時間も最初は短い時間でも構いません。1時間いることがつらければ、最初は30分でもいいのです。
また、それでもつらいようであれば、「恐怖が和らぐ要素」を加えたうえで挑戦するという方法もあります。例えば、抗不安薬などのお薬を飲んで恐怖を和らげてから参加しても良いでしょう。親など特定の人と一緒だと安心できるようであれば親の隣について参加してもよいでしょう。
それで慣れていけば、「次は抗不安薬なしで挑戦してみよう」「次は親から離れて挑戦してみよう」とまた一段階負荷を上げていけばいいのです。
暴露療法の成功の鍵は、段階を多く作り、少しずつ少しずつ達成していって自信をつけていくことです。協力者やお薬を利用して、段階を細分化することが出来ると、暴露療法の成功率は高まります。
協力者というのは「一緒に居て安心できる人」であることが絶対条件です。これは通常家族や恋人、親友などになります。また抗不安薬の処方は医師しかできないため、やはり暴露療法は精神科医と連携しながら行うことをお勧めいたします。
Ⅲ.失敗することもある
視線恐怖症は通常子供のころから認め、大人になっても続きます。
そのため通常は短くても数年、長い場合は数十年以上、視線恐怖症を抱えながら生きてきた方がほとんどです。このように長い期間苦しんできたのですから、いくら最適な治療をはじめたといってもいきなりキレイに治るものではありません。
治療の経過中には悪化してしまったり、失敗してしまうこともあります。しかしそれであきらめないでください。
失敗や悪化を経て、その中で少しずつ少しずつ治っていくというのが恐怖症の治り方です。
失敗してしまったり悪化を経験すると、「これはきっと治らないのだ・・・」と絶望的になってしまう方が多いのですが、そうではなく、「経過中に失敗することもある。みんなそうやって少しずつ治っていくのだ」と考えるようにしてください。
Ⅳ.補助的にお薬を使うことも
恐怖の程度が強い場合は、補助的に不安や恐怖を和らげるお薬を併用することもあります。
良く用いられるのが先ほども紹介した「抗不安薬」です。抗不安薬は、即効性もあるため暴露療法で暴露する前に服薬することでも効果が得られ、使い勝手の良い治療薬になります。しかし一方で慢性的に使用を続けると依存が生じることもありますので注意が必要です。
長期的に不安・恐怖を抑えたい場合は「抗うつ剤」が用いられることもあります。不安や恐怖はセロトニンと深く関係していると考えられているため、抗うつ剤の中でもセロトニンを増やす作用に優れるものが使われます。抗うつ剤は飲んですぐに効果が出るものではありません。服薬して早くても1週間、通常は2~4週間ほどかかります。しかし依存性はありませんので、長期的に不安を抑えたい場合に適しています。
お薬は視線恐怖症の治療を助けてくれる有効な方法の1つです。しかしあくまでもお薬で症状を抑えているだけであるため、お薬だけで治療がうまくいくことはありません。お薬の力を借りながらも「考え方を修正する」「暴露して慣れていく」という克服法を行っていく必要があります。