ある特定の状況や対象に対して、過度に恐怖を感じてしまい、それによって生活に支障が生じてしまうような状態は「恐怖症」と呼ばれます。
恐怖症は様々な状況・対象に対して生じます。比較的よく知られているものには「対人恐怖症」「高所恐怖症」などの恐怖症があります。人に対して異常に恐怖を感じてしまうのが対人恐怖症であり、高い場所に対して異常に恐怖を感じてしまうのが高所恐怖症です。
そして同じく恐怖症の1つに「先端恐怖症」と呼ばれる疾患があります。
先端恐怖症は、先端が鋭いもの、尖っているものに対して過度に恐怖を感じてしまう疾患です。「針恐怖症」と呼ばれることもあります。
先端恐怖症はあまり広く知られていないため、対応が間違っているケースが多々あります。疾患だという認識すらないため、わざと先のとがったものを見せられてからかわれたり、「そんなの怖がるなんて情けない」と叱責されてしまうような事もあり、精神科医として非常に残念に感じています。
周囲が思っている以上に本人は先端恐怖に対して強い苦痛を感じており、これは疾患なのだという認識を多くの方に持って頂きたいと願っています。
恐怖症の治療は時間がかかりますが、正しい指導者のもと、正しい治療法を続ければ必ず克服する事ができます。そのため、放置し続けるのではなく、ぜひ適切な治療を行ってください。
ここでは先端恐怖症という疾患について説明させていただきます。
1.先端恐怖症とはどのような疾患なのか
先端恐怖症というのは、どのような疾患なのでしょうか。
先端恐怖症は、「尖っているもの」「先端が鋭いもの」に対して過剰に恐怖を感じてしまい、これによって日常生活に支障が生じてしまう状態です。
尖っているものや鋭いものは、実際に殺傷力を持つものもありますので、これらに対してある程度の恐怖を感じるのはおかしい事ではありません。例えばいきなりナイフを突きつけられれば誰でも恐怖を感じるでしょう。
しかし尖っているものに対して、過度に恐怖が生じてしまうと生活に支障が生じるようになります。例えば、包丁やカッターなどは確かに殺傷力があるものですが、適切に使えば生活に大きく役立つものであるため、日常生活の中で普通に使われています。
これらは「使い方を間違えれば怖いものだけど、正しく使えば決して危険ではないし、むしろ役立つもの」というのが正しい認識であり、実際にほとんどの方はこのように認識することで日常の生活の中で包丁やカッターを大きな恐怖なく使っています。
しかし先端恐怖症では、そのような認識が行えません。包丁やカッターも「怖いもの」として認識してしまっているため、包丁やカッターを見ることも出来ないし、使うことも極めて困難です。
しかし包丁やカッターは日常の至るところで見かけるものですので、このような状態では生活に支障を来たすのは明らかでしょう。
このように「先端恐怖症」は、尖っているものや先端が鋭いものに対して
- 過度な恐怖を感じていて
- それによって生活に支障が生じている
という状態を指します。
尖っているもの、鋭いものを「怖い」と感じるだけで先端恐怖症になるわけではありません。恐怖を感じていても、生活において大きな支障が生じていない程度に治まっているのであれば、それも先端恐怖症には該当しません。
例えば、主婦の方が包丁に対して普通よりは強い恐怖を持っているけど、何とか家事を行えているのであればこれは先端恐怖症にはなりません。しかし包丁を見ただけで、恐怖で全身の震えが止まらなくなる、という状態であればこれは問題です。主婦として必要な家事なども出来なくなってしまうでしょう。この場合は先端恐怖症に該当するようになります。
このように先端恐怖症とは、ただ「尖っているものが怖い」というだけでなく、その恐怖が明らかに過剰であり、それによって生活に支障が出ている状態を言うのです。
どのような「尖っているもの」に恐怖を感じるかは人によって異なりますが、
- ナイフ
- カッター
- 包丁
- ネジ
- 錐(きり)
- 針
- とげ
などのように実際に殺傷力のあるものから、
- 鉛筆
- ボールペン
- 指(指さされるだけで恐怖を感じる)
- 傘
- お箸
など、日常で普通に使うものまで多岐に渡ります。
先端恐怖症に対してあまり理解がない方は「怖いなら先の尖っているものに近づかなきゃいいじゃないか」と言いますが、実際はそんな簡単な話ではありません。
私たちは普段、「尖っているもの」をそこまで意識していないため気付かないのですが、日常には尖っているものは実はたくさんあるのです。このようなものを見るだけで異常な恐怖を感じるとなれば、これは生活が非常に苦しいものとなることは明らかです。
例えば女性であれば、メイクで使う「アイライナー」も怖くて使えなくなってしまいます。患者さんは尖っているものを「見る」ことに一番恐怖を感じるため、目の周囲にアイライナーを持ってくるというのは大きな恐怖を感じるそうです。本当は皆と同じようにメイクをしたいのにできない、というのは大きな苦痛を感じるでしょう。
また指で指されるのが怖いということから、「コンタクトを付けることが出来ない」「指刺されるのが怖くて授業でいつも恐怖を感じている」という方もいます。コンタクトは指の上に乗せて目に運ぶため、これも大きな恐怖を感じてしまいます。
患者さんの中にはお正月に飾る「門松」も怖くて見ることができない、という方もいらっしゃいました。その方は門松が怖くて、お正月に親戚に挨拶に行ったり、買い物にいったりすることができなくなってしまうとおっしゃっていました。せっかくの楽しい正月が、この方にとっては怖いイベントになってしまっているのです。
先端恐怖症の患者さんは、尖っているもの・鋭いものに対して異常なほどに恐怖を感じているため、このようなものを避けながら生活していく傾向があります。
確かにうまく工夫すれば、尖っているものを避けて生活をすることはある程度は可能です。最近は鉛筆やペンを使わなくてもパソコンで文章は書くことができます。包丁が持てなくても、食べ物はコンビニで買ったりあるいは同居者に作ってもらうことも出来ます。
傘やお箸も先端がとがっていないものも探せばありますので、そういったものを使えば恐怖はそこまで強くはならないでしょう。
しかしそれを一生続けるのは、なかなか大変な事です。注意して避けていても、生活の中でどうしても尖っているものに遭遇してしまう事もあるでしょう。
普段から尖っているものを避けていると、いざ尖っているものに遭遇してしまった時、より強い恐怖を感じるようになります。どうしても必要な時にそうなってしまうと、時には大問題になってしまいます。
例えば、病気が疑われる状態であり、詳しく調べるためには血液検査がどうしても必要だ、という状態になったとします。血液検査をしてちゃんと原因を調べないと命に関わるような大問題が生じる可能性があるのに、先端恐怖でどうしても採血を受けられなかったらどうなるでしょうか。そうこうしているうちに病気がどんどん進行してしまう可能性があります。
そのため、「尖っているものを避ける」という解決策で乗り切ろうとするのではなく、先端恐怖症はしっかりと治すことが望ましいのです。
2.先端恐怖症はどのような原因で生じるのか
先端恐怖症は何故生じるのでしょうか。
その原因として様々な説が提唱されていますが、多くの症例において、先端恐怖症は過去に「尖ったもの」「鋭いもの」にて怖い想いをしたエピソードがきっかけとなって発症するようです。
特に感受性が豊かな幼少期にこのような体験をしてしまうと「尖ったものは恐ろしいもの」と脳が強く記憶してしまうため、その後に成長してからも先端恐怖が持続する事になります。
実際、
「嫌がる中、無理矢理押さえつけられて注射をされた」
「子供のころ、ヒステリーを起こした母が父に包丁を向けたのを見てしまった」
などという経験から、先端恐怖症を発症してしまった方もいらっしゃいます。
しかし中には何の原因もないのに先端恐怖症が発症してしまう事もあります。この場合、もともとの遺伝的要素や素質も関係している可能性があります。
先端恐怖症という疾患自体が遺伝するわけではなく、不安や恐怖を感じやすい素因が元々あると、小さなきっかけでも恐怖症が発症してしまうことがあるのです。
日本人は他の人種よりも不安が強い傾向があることが指摘されており、これには人種的な素因もあると思われます。不安や恐怖を感じるのは脳の扁桃体という部位やセロトニンという物質が大きく関わっていることが知られていますが、私たち日本人はこれらのはたらきが他人種よりも強いのかもしれません。
このような方は、元々
- 心配性
- 完璧主義
- 神経質
などの性格傾向が認められるため、このような性格傾向の方も先端恐怖症を発症しやすいという事が出来ます。
3.先端恐怖症はどのように治療・克服すればいいのか
先端恐怖症は治す事が出来るのでしょうか。またどのような治療法が有効なのでしょうか。
先端恐怖症を治すためには2つのアプローチが必要です。
この2つのアプローチは、どちらか好きな方を選べば良いという事ではありません。どちらも重要な治療のため、並行して行っていく必要があります。
多くの方が恐怖症の治療を失敗してしまうのはこの事を理解していないからです。片方の治療法だけで完結しようとしてしまうため、うまく行かなくなってしまうのです。
先端恐怖症は、何らかの原因により、尖っているものに対しての過剰な恐怖が植え付けられてしまい、それが持続していることで生活に支障を来たしています。
これを克服するためには、
- 尖っているものに対しての異常な認知を修正する(考え方を治す)
- 実際に尖っているものに慣れていく(行動を治す)
という2つのアプローチが必要です。
考え方と行動、2つの面から治療を行わなければ恐怖症の克服は出来ません。これはよく考えれば当たり前のことです。
いくら「尖っているものでも、正しく使えば安全なんだ」と考え方を改めようとしても、実際に恐怖を感じている「もの」に向き合わなければ、それは机上の空論に過ぎません。考え方だけを変えても実体験が伴わなければ、私たちの脳は納得してくれないのです。
そのため考え方を変えた上で、実際にそれを「体験する」という行動は必ず必要になります。
また、同様にいくら行動だけを頑張っても不十分です。
「あえて尖っているものに触れてひたすら慣れていく」という方法は確かに上手にやれば一時的には先端恐怖症は克服できます。しかし根本的な「尖っているものは怖い」という認知が変わっていないため、無理矢理身体を慣れさせても、些細なきっかけで容易に再発してしまいます。
尖っているもの・鋭いものに対する考え方を修正しながら、同時に身体も慣れさせていく。このように2つのアプローチを併用して治療は行っていきましょう。
それでは具体的な治療法・克服法を詳しく見ていきましょう。
Ⅰ.考え方を治す
先端恐怖症では、尖っているものに対して必要以上に「怖い」と考えてしまっています。これを正常範囲内の「怖い」に下げることが出来ればいいのです。
尖っているもの、鋭いものに対する「認知(ものごとのとらえ方)」が歪んでしまっているため、これを修正する治療は先端恐怖症において有効です。
これは基本的には「認知行動療法」の考え方になり、カウンセリングの形式で認知の修正を図っていくことが理想です。独学のみで行うのはなかなか難しいため、出来れば精神科医や経験豊富なカウンセラーとともに行っていくようにしましょう。
ただし認知の修正だけを行っても、それだけではうまく行きません。認知の修正とともに、次項の「慣れていく」という治療法も並行していく必要があります。
Ⅱ.尖っているものに慣れていく
実際に尖っているものに少しずつ接していき、慣れていく。このような行動も先端恐怖症を克服するためには大切です。
恐怖を感じるものに敢えて挑戦する治療は「暴露療法」と呼ばれますが、先端恐怖症の治療に対しても暴露療法は有用です。
ただし、暴露療法は「どの程度の恐怖に暴露させるか」という判断が非常に難しいため、これもできれば独自に行うのではなく精神科医などの専門家とともに行うことが理想です。
暴露療法は、恐怖に少しずつ触れて慣れていくという治療法になり、最初は弱い恐怖から挑戦していき、成功したら少しずつより強い恐怖にも挑戦していきます。
このように必ず段階的にやっていく事が必要で、いきなり自分の限界以上の恐怖に暴露させてしまうと、恐怖がかえって強まってしまう可能性もあります。
そのため、今の自分が何とか耐えることが出来るレベルの恐怖というのを見極めることが暴露療法を成功させるには非常に重要になってきます。この判断はやはり専門家が正確に行えるため、出来る限り精神科医や臨床心理士と一緒にやるようにしましょう。
また慣れるための補助としてお薬なども有効で、これもうまく併用することで成功率が上がります。
例えば、どうしても鉛筆に恐怖を感じてしまう、という方の暴露療法を行う時を考えてみましょう。まずは鉛筆を見るのに慣れてもらう必要がありますが、見るだけでもなかなか出来ない場合もあり、そうなると治療がなかなかそこから先に進みません。このような場合は、お薬の力も借りるという方法もあるのです。
鉛筆を見る前に抗不安薬を服薬していただき、お薬で不安・恐怖をある程度和らげてから挑戦させると成功率が高まります。それで慣れてくれば、徐々にお薬を使わないでも見ることが出来るようにレベルを上げていけばいいのです。
お薬を併用することで、より細かく治療ステップを踏めるようになるため、暴露療法の成功率が高まります。また「恐怖を感じてもお薬を飲めば大丈夫」という安心感を患者さんに与えてあげることで、気持ちに余裕が生まれ、これが成功率を高めてくれることもあります。
抗不安薬の処方は医師しかできないため、やはり暴露療法は精神科医と連携しながら行うことをお勧めいたします。
Ⅲ.失敗することもある
先端恐怖症は通常子供のころから認め、適切な治療が行われなければ大人になっても続きます。
そのため通常は短くても数年、長い場合は数十年以上、先端恐怖症を抱えながら生きてきた方がほとんどです。このように長い期間苦しんできたのですから、いくら最適な治療をはじめたといってもいきなりすぐに治るものではありません。
治療の経過中には悪化してしまったり、失敗してしまうこともあります。しかしそれであきらめないでください。
失敗や悪化を経て、その中で少しずつ少しずつ治っていくというのが恐怖症の治り方です。
失敗してしまったり悪化を経験すると、「これはもう治らないのだ・・・」と絶望的になってしまうかもしれません。しかし治療中に一時的に悪化するのはよくある事です。
そのため、絶望するのではなく、「経過中に失敗することもある。みんなそうやって少しずつ治っていくのだ」と考えるようにしましょう。
Ⅳ.補助的にお薬を使うことも
恐怖の程度が強い場合は、補助的に不安や恐怖を和らげるお薬を併用することもあります。
良く用いられるのが「抗不安薬」です。抗不安薬は、即効性もあるため暴露療法で暴露する前に服薬することでも効果が得られます。
このように使い勝手の良い治療薬ですが、慢性的に使用を続けると依存が生じることもありますので注意が必要です。
長期的に不安・恐怖を抑えたい場合は「抗うつ剤」が用いられることもあります。不安や恐怖はセロトニンと深く関係していると考えられているため、抗うつ剤の中でもセロトニンを増やす作用に優れるものがよく使われます。
ただし抗うつ剤は飲んですぐに効果が出るものではありません。効果を実感するためには服薬して早くても1週間、通常は2~4週間ほどかかります。しかし依存性はありませんので、長期的に不安を抑えたい場合に適しています。
お薬は先端恐怖症の治療を助けてくれる有効な方法の1つです。しかしあくまでもお薬で症状を抑えているだけであるため、お薬だけで治療がうまくいくことはありません。お薬の力を借りながらも「考え方を修正する」「暴露して慣れていく」という克服法も合わせて行っていく必要があります。