我が国では毎年3万人もの人が自らの命を絶っています。近年、自殺者数は減少傾向にはなってきましたが、いまだ多くの人が自らの命を絶っているのが現状です。
「どうすれば自殺を防げるのか」
これは私たち精神科医にとって大きな課題の1つです。
魔法のような答えはありませんが、大きな苦しみを抱える患者さんと向き合い続けていると、自殺を防ぐために、本人や周囲が出来る事はいくつもある事に気付きます。
自殺を考えてしまっている方、またその周囲の方にぜひ知って頂きたいと思い、自殺を防ぐためのヒントを紹介させていただきます。
1.死にたいに至る3つの要素
「もう死んでしまいたい」
みなさんはこのように考えてしまった事はあるでしょうか。
実は「死にたい」と考えた事があるという人は10人中2~3人はいると言われており、意外と少なくはありません。
しかし、こんなにも多くの人が「死にたい」と考えた事があるのに対して、実際に自殺を実行する方はその中のごく一部になります(とは言っても少ない人数ではありませんが・・・)。
仮に現在の日本の人口を1億2000万人とすると、2400~3600万人は「死にたい」と考えたことがあるという事になります。しかしその中で実際に自殺に至ってしまう人は約3万人という事です。
こう見ると、ほとんどの人は「死にたい・・・」と考えたとしても何とか思いとどまっているという事が分かります。
では「死にたい」という気持ちから思いとどまれる人と、思いとどまれず実行に移してしまう人は何が違うのでしょうか。
この答えを知るために、まず「死にたい」と考えてしまうようになる原因についてお話しさせてください。
私は仕事柄、多くの「死にたい」と向き合ってきました。命を絶つ事を考えてしまう原因は皆様々です。しかし死にたいと考える人の話を聞いていると、「死にたい」は次の3つの要素のいずれかによって生じている事に気付きます。
- 耐えがたい精神的苦痛
- 孤独
- 死に対する心理的ハードルの低下(判断力低下、酩酊、衝動性、自傷行為など)
これだけだと分かりにくいですので、1つずつ詳しく説明していきます。
Ⅰ.耐えがたい精神的苦痛
精神的苦痛は、いわゆる「ストレス」です。
オーバーワーク(過重労働)、人間関係のトラブル、金銭問題による悩みなど内容は様々ですが、本人が「苦しい」「つらい」と精神に苦痛が生じる出来事になります。
精神的苦痛は、自殺が頭をよぎるようになるもっとも大きな要因になります。
Ⅱ.孤独
孤独は、相談できる人・信頼できる人・安心して全てを話せる人が近くにいないという事です。表面上は友達や知り合いがたくさんいたとしても、自分の本音を話せる相手がいない場合も「孤独」に該当します。
つらい事があっても誰かに打ち明けられないというのは、大きなリスクとなります。
Ⅲ.死に対する心理的ハードルの低下
最後が心理的ハードルの低下です。
本来、「死にたい」は生命としては異常な思考です。私たち人間は自らの命を自分で絶つために生まれてきたわけではありません。生き物は皆、生きようとする本能を持っています。その本能に逆らう思考である「死にたい」は本来異常な思考なのです。
その証拠に自殺はヒト以外の動物ではまず認められません。
私たち人間も、正常な精神状態であれば本来自殺などはできません。にも関わらず自殺を考えたり実行してしまうのは、何らかの理由により精神状態が正常ではなくなってしまっている時なのです。これにより「死」に対する心理的ハードルが低下してしまっていると「死にたい」という考えが浮かびやすくなります。
心理的ハードルが低下する原因はいくつかあります。
代表的なものを挙げると、
- ストレスや精神疾患発症による判断力の低下
- アルコールによる酩酊状態
- イライラによる衝動性
- 自傷行為(リストカットやオーバードーズなど)による自傷意識の低下
などがあります。
ストレスや精神疾患によって判断力が低下すると、「死」を正しく認識できなくなる事があります。うつ病などを発症していて将来を必要以上に悲観的に考えてしまうようになると「将来良い事なんて何もあるはずがないし生きていても仕方ない」と本気で考えてしまうようになります。これは判断力が低下してしまった事により「死にたい」へのハードルが下がってしまった状態と言えます。
またアルコールを大量に服用して酩酊状態になった時、ムシャクシャしていて衝動的になっている時なども、正常な現状認識が出来なくなるため死に対する心理的ハードルが下がりやすくなります。
リストカットや過量服薬(OD)などの自傷行為を繰り返している方も要注意です。自分を傷付けることを繰り返していると気付かないうちに自分を傷付けることに対する抵抗が少なくなっていて、自分を殺す事に対して「それは異常だ」という認識が弱まってきてしまうのです。
このような死に対する心理的ハードルを低下させる行為は、本来異常な考えである「死にたい」を身近なものにしてしまう危険があるのです。
2.「死にたい」が行動化してしまう時
前項で、死にたいという気持ちに至りやすい3つの要素を説明しました。
- 耐えがたい精神的苦痛
- 孤独
- 死に対する心理的ハードルの低下(判断力低下、酩酊、衝動性、自傷行為など)
この3つのいずれかが生じた時、「生きているのがつらいな」「死にたいな」という気持ちが沸いてきやすくなります。
生きていれば、この3つの要素のいずれかを認めてしまうという事は誰にでもある事です。そのため、これらの要素のいずれかを認め、「死にたいな」という気持ちが出てきてしまう事はそれ自体は大きく異常な事ではありません。
しかしほとんどの方は「死にたいな」という気持ちが湧いてきても、そこから実際に行動に移す事にありません。
では「死にたい」が実際に行動化してしまうのはどのような時なのでしょうか。
それは「精神的苦痛」「孤独」「死に対する心理的ハードルの低下」の3要素が全て揃ってしまった時なのです。
この3つが揃ってしまうと、高い確率で「死にたい」が行動化され、実際に自殺に至ってしまう事が多いのです。
逆に言えば、1つだけ、2つまでであれば、各要素の程度が強くても自殺に至る事はほとんどありません。
「とてもつらい事がある」と精神的苦痛があっても、「でも何でも相談できる人がいる」のであれば人は簡単には自殺しません。
「とてもつらい事があって」「相談できる人もいなくて」も、「自殺を冷静に異常なものとして判断できている」のであれば、やはりそう簡単には死なないものです。
しかし「とてもつらい事があって」「相談できる人もいなくて」「死に対するハードルが下がっている状態」であれば、衝動的に自殺をしてしまう可能性は一気に高まります。
これには、はっきりとした統計があるわけではありませんが、多くの「死にたい」と向き合ってきた一臨床家として、確かに感じる事です。
そしてここに自殺を防ぐヒントが隠されていると私は思うのです。
3.自殺を防ぐためにはどうすればいいのか
では自殺を防ぐためにはどうすればいいのでしょうか。
それは上記の3要素が全て揃わないようにする事です。
自殺はそう簡単に行える事ではありません。本当は自殺などしたくはないけど、追い詰められてしまい、死ぬこと以外の解決策が見えなくなってしまっている方が取る最後の手段が自殺なのです。
上記の要素が1つや2つまでであれば、何とか行動化せずに耐えられる方がほとんどです。そのため、出来る限りこの3つの要素をそろえてしまわないように注意しながら生活していく事は自殺を防ぐためにとても有効な方法だと考えます。
つまり、死にたいと考える方が自殺を防ぐためにとるべき方法は、
- 精神的苦痛を和らげる
- 人と触れ合う
- 死ぬための心理的ハードルを上げる
という事です。
では、より具体的にはどのような対策が考えられるでしょうか。
今自殺を考えてしまっている方、周囲に自殺の可能性がある人がいるという方に知って欲しい事を紹介します。
Ⅰ.精神的ストレスを緩和する
精神的ストレスが「死にたい」の一因になっている時、そのストレスを出来る限り緩和しようと工夫してみる事は大切な事です。
しかし実際はこの精神的ストレスは、なかなか取り除けない事がほとんどです。
そもそも簡単に取り除けるようなものであれば、最初から「死にたい」と深刻に考えるまで至りません。簡単に取り除けないからこそ、「死にたい」と考えてしまうわけです。
しかし考え方や工夫によっては完全に取り除けないにしても緩和させる事は出来ることがあります。
例えば職場の人間関係に大きな精神的苦痛を感じているとしましょう。仕事を辞めればこの苦痛からは解放される事は分かってはいますが、そうは言っても仕事を簡単に辞める事はなかなか出来ることではありません。
仕事を辞めれば生活が出来なくなってしまいますし、世間体もあるでしょう。家族からも非難されてしまうかもしれません。
しかし仮に仕事を辞められないとしても、
- 苦手な人とは可能な範囲で距離をとる
- 休憩をこまめに入れる
- 休日は思い切りストレス発散するよう意識する
といった工夫をすれば、精神的苦痛の全ては消えないにしても、多少は楽になるはずです。多少でも苦痛を緩和できる事は意味のある事です。
Ⅱ.人と触れる
「人と触れる事」、これは自殺を防ぐためにもっとも大切で有用な事です。
死にたいと考える事が多くなってきたら、出来る限り人と触れ合うようにしましょう。
注意点として、うわべだけの触れ合いでは意味がありません。むしろ、かえって孤独感を強めて逆効果になってしまう事もあります。
自分の本音を話せるような人、自分が安心して話せるような人と触れ合う事が大切です。
多くの場合、それは家族であったり、親友であったり、恋人であったりします。どうしても近くに話せる人がいない場合は、精神科・心療内科の医師やカウンセラーなどに話しても良いと思います。
また、市の機関や「いのちの電話」などで自分の率直な気持ちを聞いてもらう事も意味があります。
死にたくなってしまった時は、誰かに相談しましょう。それはあなたが思っているよりもずっと有用な対策になります。
人に話しても現実的に何か解決するわけではないかもしれません。
しかし「自分を分かってくれる人がいる」「自分は一人ではない」という安心感は生きるための大きな力を与えてくれるものなのです。
Ⅲ.心理的ハードルを高める
生活の中で、死に対するハードルを高める工夫をする事もとても有用です。
自殺というのは正常な思考の時には行う事は出来ません。何らかの理由で死に対するハードルが下がってしまっている時に衝動的に行われてしまうものなのです。
つまり、その衝動性に少しでも歯止めをかけてくれるものであれば何でも自殺予防に意味があります。
例えば、
- アルコールや薬物で酩酊して判断力が低下している
- 睡眠不足や栄養失調で判断力が低下している
- イライラやムシャクシャする事があって衝動的になっている
- 日頃からリストカットを繰り返しており、死に対する抵抗が少なくなっている
このような行動は、死に対するハードルを下げる行為であり、自殺を助長しやすくなります。
生活の中でこのような死に対するハードルを下げる行為を避ける事は、それだけでも自殺リスクを低下させる効果があります。
例えば自殺目的で過量服薬をしてしまう人には、お薬を取りにくい場所にしまったり、お薬を取り出しにくくするだけで、過量服薬のリスクが明らかに減る事が分かっています。お薬を準備する手間を増やすだけでハードルが少し上がり、それだけで過量服薬をしにくくなるのです。
また自殺の名所である橋に柵を付けただけで、その橋から飛び降り自殺をする人の数が減ったという報告もあります。柵といっても、その気になれば簡単に飛び越える事の出来る程度の柵なのですが、それでも「飛び越えなくてはいけない」という手間を増やすだけで自殺しにくくなるのです。
これらはいずれも心理的ハードルを少しではありますが高めてあげた結果、自殺を防げた例になります。
「今から死のう」と考えている方の精神状態はギリギリのところにいます。そして最後まで「死のう」「でも本当は死にたくない」という狭間で迷い続けています。
ギリギリの精神状態で迷っている時というのは、ちょっとしたきっかけで気持ちが自殺に向いてしまったり、反対に自殺を辞める方向に向くものなのです。
ちょっとだけハードルを高めるという方法を「そんな小細工をしても本気で死にたいと思っている人には無意味だ」と批判する人もいますが、これは自殺者の気持ちを全く理解できていないと言わざるを得ません。
自殺してしまった方のほとんどは、「本当は死にたくなかった」のです。本当は死にたくないけども、死ぬ以外に現状から逃げる方法が見つからない。だからやむを得ず自殺という方法をとっているのです。
本当は死にたくないという気持ちの人の前に少しでも自殺しにくくなるようなハードルがあれば、それは自殺に十分に歯止めをかけてくれます。
同じように、
- アルコールを飲まない。なるべく近くに置かない
- 刃物を近くに置かない
- イライラ・ムシャクシャした時はすぐに頓服を飲む
といった工夫も、小さな事ですが死に対するハードルを下げないために非常に有用な策となります。