うつ病の治療には「抗うつ剤」が用いられます。
抗うつ剤は1950年代にイミプラミン(商品名:トフラニール)の抗うつ効果が発見されて以降、少しずつ進歩を続けており、現在ではSSRI、SNRI、NaSSAといった安全性に優れる抗うつ剤が主に用いられています。
抗うつ剤はうつ病患者さんにとって有効な治療法の1つです。
しかしその効果が十分かというと、抗うつ剤の効きが十分ではない患者さんも少なくないのが現状です。現在の抗うつ剤は「モノアミン仮説」という仮説に基づいて作られていますが、モノアミン仮説だけではうつ病の原因の説明がつかないのは明らかで、他の作用機序を持つ抗うつ剤の開発が待たれています。
そのような中、2000年頃から「麻酔薬のケタミンに強力な抗うつ作用があるようだ」という報告され、近年大きく注目されるようになってきました。
ケタミンの抗うつ効果の作用機序を解明し、ケタミンを安全にうつ病治療に利用できるようになれば、うつ病治療を劇的に進化させてくれる可能性があります。
現時点ではまだうつ病治療薬として用いることは出来ないケタミンですが、今日はケタミンの抗うつ作用について紹介させて頂きます。
1.ケタミンとは
ケタミンはNMDA受容体拮抗薬と呼ばれており、1970年より主に手術時の全身麻酔薬として発売されたお薬です。
商品名は「ケタラール」で静脈麻酔薬として販売されています。静脈麻酔薬は主に手術などで全身麻酔をする際の「導入」に使われます。ケタミンで全身麻酔の導入をし、その後は吸入麻酔薬に切り替えることもありますし、補助的にケタミンによる静脈麻酔を続けることもあります。
人にも用いますが、動物に対しても用いられ、以前は「麻酔銃」の成分としてもよく使われていたお薬です。2007年からはケタミンは麻薬指定となってしまったため現在は麻酔銃としては使いずらくなっているそうですが、
- 即効性に優れ、
- 短時間の作用に留まり、
- 呼吸抑制や血圧低下が少なく、
- 筋肉注射でも一定の効果が出る
ケタミンは動物麻酔に用いるお薬としても向いているお薬なのです。
しかしケタミンはいいところばかりではなく問題もあります。ケタミンは、
- 依存性がある
- 統合失調症のような精神病症状を引き起こすことがある
ことから、気軽に用いることが出来るお薬ではありません。
先ほど麻薬指定されたと書きましたが、これもケタミンが危険ドラッグとして乱用されているという問題があったためです。
ケタミンは「フェンサイクリジン(PCP)」という物質と類似の物質であり、PCPと同様にグルタミン酸などが作用するNMDA受容体という部位をブロックするはたらきがあります。
フェンサイクリジン(PCP)は「幻覚剤」として薬物乱用に用いられることもあるお薬で、PCPを摂取すると統合失調症に似たような症状を発症することが知られています(「グルタミン酸仮説」参照)。ケタミンもPCPと同じくNMDA受容体をブロックする作用を持つため、摂取すると統合失調症のような症状が出現することがあります。
実際、ケタミンの副作用としては
- 悪夢
- 興奮
- 錯乱
などが報告されています。
2.ケタミンと抗うつ作用
静脈麻酔薬であるケタミンは、主に麻酔科の先生が使うお薬です。しかし最近、精神科領域で大きく注目を浴びるようになっています。
その理由は「ケタミンに強力な抗うつ作用がある」ことが報告されるようになったからです。
ケタミンは、麻酔薬であり乱用・依存性の問題から麻薬指定もされているお薬ですから、安易に使えるものではありません。
しかしその抗うつ作用は
- 非常に強力で
- 即効性があって
- 1回の投与で1週間程度効果は持続して
- うつ病で一番怖い症状である自殺念慮を改善させる
という特徴があります。
そのため現在の抗うつ剤だけでは十分に改善しない難治性うつ病の方などにとって、医師の管理のもとで慎重に投与すれば、うつ病治療の「切り札」として有用である可能性があり、研究も進められています。
現在使われている主要な抗うつ剤は、
- SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)
- SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)
- NaSSA(ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬)
などの「新規抗うつ剤」と呼ばれる抗うつ剤です。これらは昔の抗うつ剤と比べれば改良されてきてはいますが、効果が発現するまでには早くても1週間、通常は2週間程度はかかると言われています。
また、その抗うつ効果に関してはおおよそ、
- 1/3の患者さんには効き
- 1/3の患者さんには一部効き、
- 1/3の患者さんには効かない
というもので、効果がないわけではありませんがまだ十分とは言えません。
これらの抗うつ剤と比べてケタミンは、明らかに優れた強力な抗うつ作用を発揮し、また投与後数時間で効果が発現することが確認されています。
3.ケタミンはなぜうつ病に効くのか
麻酔薬であるケタミンがうつ病に効くのはなぜでしょうか。
実はこの機序はまだよく分かっていません。
ケタミンの主な作用はNMDA受容体をブロックすることですが、最近の研究では抗うつ作用はこのNMDA受容体をブロックする作用以外の作用も関わっているのではないかとも指摘されています。
具体的にはうつ病の原因として取り上げられることの多い「セロトニン」にケタミンが何らかの影響を与えるのではないかとも考えられています。現時点ではまだ明確に解明されてはいませんが、今後の研究の結果が待たれるところです。
またケタミンは脳血流を増やすという作用があります。もしかしたらこの作用も抗うつ作用に関係しているのかもしれません。
ケタミンは、
- 強力な抗うつ作用を持ち
- 即効性があり(早い人だと投与数時間後)
- 1回の投与で1週間程度効果は持続して
- 自殺願望という最悪の症状をしっかり抑えてくれる
ため、この機序を解明することは大きな期待を受けています。
ケタミンがどのようにうつ病を改善させているのかの機序が分かれば、「うつ病がなぜ生じているのか」という原因を突き止めることにも繋がります。また研究によってケタミンと同様の効果を持っていて安全性が高い抗うつ剤の開発に成功すれば、うつ病治療は劇的に進化する可能性があります。
ケタミンの強力な抗うつ作用は「歴史的な発見」とまで言う研究者もいるほどであり、その機序の解明には大きな期待が寄せられています。
ケタミンは効果だけを見れば理想的な抗うつ剤であるようにも見えます。
しかし、
- 作用機序が明確に分かっていないこと
- 依存性がある事(危険ドラッグとして乱用されることもある)
- 時に統合失調症様の症状を誘発してしまうといったリスクもあること
から、現時点では安易に抗うつ剤として患者さんに用いるのは危険でもあります。
しかし、うつ病患者さんへの切り札として活用できる可能性にあるお薬です。