精神科には、こころが疲弊してしまった患者さんが日々訪れます。そのような方々のお話を聞かせて頂くと、精神的ストレスの多くは「対人関係」が占めている事に気付きます。
対人関係でも良い対人関係は、むしろ心の安定に貢献してくれますので問題ありません。
問題は悪い対人関係です。
「職場の上司が理不尽でつらい」
「同居の姑と意見が合わずいつもストレスを感じている」
「夫にどうしてもイライラしてしまう」
もちろん人間関係は良いに越したことはありませんので、関係を良くするためにお互いが一定の努力をすることは重要です。
しかし現実を見れば、「人間関係が良くなるように努力をすれば、どんな時でも何とかなる」とはとても言えないケースは少なくありません。関係を良くしようと努力や工夫をしても改善が得られない場合、努力を延々と続けていたら、こころの疲弊は更に進んでしまうでしょう。これはむしろ悪い方向に進んでいるとも考えられます。
こんな場合でも、更に頑張って対人関係が良くなるように努力し続けるべきなのでしょうか?
今日は「人を嫌うというのは、悪いことなのか」とについて考えてみたいと思います。
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1.「嫌い」という感情は自然なもの
対人関係は良いに越したことはありません。誰もがそれに異論はないでしょう。誰だって、できれば人を嫌いたくもないし嫌われたくもありません。
会社や学校などのコミュニティで、皆が良い関係を持てているのは人間関係の理想だと言えます。
事実、私たちは幼い頃から、
「人を嫌ってはいけないよ」
「みんなと仲良くしましょうね」
と教わってきました。
これは正論であり、確かに人間関係を良好に保つために、私たちはお互いが「仲良くしよう」「相手の言い分も聞こう」といった工夫や努力をしていくべきなのは間違いありません。
しかし一方で現実を見ると、100%良好な人間関係の中だけで生きている人はほとんどいません。誰もが程度の差はあれ、人間関係の問題を抱えています。
他者に対して、
「腹が立った」
「むかついた」
「傷付けられた」
と感じた事のない人はいないでしょう。
「誰とでも仲良く付き合いましょう」というのは正論です。しかし、それを分かってはいても、どうしても好きになれない人もいます。
「この人の事は苦手かも」
「この人を好きになれない」
こう思う場合、その多くは「自分と価値観があまりに異なる」ことが原因です。自分が大事だと思っている事を大事だと考えてくれなかったり、自分が言われると傷つくことを分かってくれずに言ってしまったりする人になります。
人によって価値観が異なることは当然で、それが全て「嫌い」の原因になるわけではありません。しかし、あまりに価値観がかけ離れている人のことを私たちはなかなか好きにはなれません。
そのような人を完全に好きになるためには、自分の価値観を変えないといけません。しかし価値観というのはそう簡単に変えることはできません。更にあらゆる人を好きになるように努力するとなると、人と接するごとに価値観を変え続けなければいけなくなります。これは自分の価値観を無にするということであり、自分のアイデンティティを崩壊させ、むしろ心を不安定にすることにつながってしまいます。
自分と価値観が合わなくても、お互いがある程度の妥協をしてお互いの価値観を認め合って上手く付き合えるケースももちろんあります。しかし、信念や価値観の妥協をしても、それでもあまりにかけ離れていて、どうしても好きだと思えないということもあります。
このような場合、相手を「嫌い」だと思ってしまう事は本当に悪いことなのでしょうか。「自分は悪口を言う人が嫌いだ」という価値観の人が、悪口をたくさん言う人に対して「あの人嫌いかも・・・」と思ってしまうのは「悪」なのでしょうか。
「嫌い」という感情が沸いてしまうのは別に異常なことではありません。ましてや批判されるようなことでもありません。これは私たちのこころが、「この人とあなたは合わないよ」と発してくれている危険信号なのです。
「この人が嫌い・・・」と感じた時、その時の感情に任せて、そのまま理不尽に相手を嫌いになってしまうことはもちろん良くありません。そんなことをしたら友人は1人もいなくなってしまうでしょう。
しかし「嫌いかも」と感じた後、冷静に
「どうして嫌いと感じたのか」
「良い関係を築くための方法はないのか」
と考え抜き、関係修復を実践してもなお関係が良くならない場合は、「私はこの人の事をあまり好きではないな」と認めてあげてもいいと思うのです。
なぜこんな話をするかというと、患者さんの診察をしていると「嫌い」という感情を持っている自分い罪悪感を持ってしまっている方は少なくないからです。
「人を嫌うなんて私は汚い人間だ」
「私はなんて心が狭いのだ」
と。これによってこころの落ち込みはますますひどくなっていきます。
しかし、一定の努力をしたけども価値観が合わず好きになれない場合、「嫌い」という感情が沸いてきてしまうのは仕方のないことなのです。その時、「自分はひどい人間だ」などと自分を更に傷つける必要などありません。
2.嫌いという感情を持っている自分を認める
対人関係の問題から心が疲れてしまい、精神科を受診する方は少なくありません。
そのような方々に共通するのが、みなさん「優しすぎる」ということです。
このような方は、まず「嫌い」という感情を持っている自分に罪悪感を持ってしまっています。「人を嫌うなんて、私はイヤな人間なのだ・・・」と。この罪悪感が精神的ストレスとなり、こころを傷付けていきます。更にこのような方は対人関係を修復しようと一生懸命努力します。しかしその努力は実らず、延々と努力を続けているため、こころは更に疲弊しきっていきます。
この2つのストレスから、どんどんと精神状態は不安定になっていき精神科を受診するという事になってしまいます。
この場合、どうするのが良いのでしょうか。今まで以上に人間関係を修復する努力を続けていくことが本当に良いことなのでしょうか。
この場合、ストレスの原因は大きく2つあります。
- 人を嫌っている自分に対する罪悪感
- 対人関係修復の努力が実らない事
この2つのストレスが心をどんどん傷付けていくのです。
このストレスから逃れるためには、
- 人を「嫌い」だと感じてしまうことは、別に悪いことではない
- 努力しても改善しない対人関係もある
という2つの事を理解すればいいことが分かります。
他者に対して「嫌い」と感じることは別に悪いことではありません。それは自然な現象です。
もちろん、感情的な理由だけで「嫌い」と感じ、それに基づいて相手を傷付けるような言動を行うことはしてはいけません。しかしただ「嫌いかも・・・」と感じてしまう事には何の罪もないのです。
「『嫌い』という感情が沸いてくる自分は、悪い人間だ」
このように考えてしまう優しすぎる人がいますが、これは間違いです。そのような感情は、価値観が合わない方と会った時に自然と沸いてきてしまうものなのです。「嫌い」という感情は、自分と価値観が合わない人に合った時、自分の心の安定を保つために発される危険信号であり、その自然な現象に対して罪悪感を持ってはいけません。
また人間関係は良好であることが一番なのですが、中にはどうしても分かり合えない人間関係、相容れない人間関係というのもあります。対人関係を良くするためにはもちろん一定の努力・工夫をする必要性はありますが、ある程度努力しても改善がないのであれば、自分を傷付けてまでそれ以上の努力を続ける必要はありません。
努力をやめて、「分かり合えない人間関係もあるのだ」「どうも私はあの人が苦手みたいだ」と、これ以上修復の努力を続けない選択肢があってもいいのです。
どうしても好きになれない人がいる場合は、なるべく距離を取って接してもいいでしょう。
それはあなたが悪いことをしているという事にはなりません。そうする意味は相手を傷付けることではなく、そうすることが現状でお互いにとって一番良い関係になるという判断から行っているものだからです。自分も必要以上に傷つくことがなくなりますし、相手の悪口を言ったりしないのであればそれによって相手が大きな不利益をこうむることもありません。
また、その相手がどうしても距離を取れない人なのであれば、距離感を間違えず、踏み込み過ぎず最低限付き合うようにしてもいいでしょう。
3.嫌いを認めることで得られる効果
「私はあの人は嫌いかもしれない」
このような患者さんの感情を認めてあげると、そこから患者さんがストレスから解放されていくことを良く経験します。「人を嫌うなんてどんな場合もしてはいけない事」という観念から離れて、「どうしても上手くいかない人間関係もあるのだ」と理解することで、気持ちが楽になっていくのです。
このように「嫌い」という感情を受け入れてあげると、
「あの人を好きにならなくてはいけない」
「でも好きになれない自分がいる」
といった悪循環からやっと逃れることができるのです。
それだけではありません。「嫌い」を認めると他にも良い効果が期待できます。
Ⅰ.嫌われている事にも寛容になれる
「嫌い」を認めるともう1つ良い効果が得られます。
それは「人に嫌われていても寛容になれる」という事です。
あなたにとって苦手な人がいる以上、あなたの事を苦手だと感じる人もいるはずです。
「人を嫌うなんて、どんな場合でもしてはいけない」と考えていると、人から嫌われることに対しても過敏になってしまいます。事実、「人を嫌ってはいけない」と考えてしまっている方は、同時に「あの人に嫌われたんじゃないか」「あの人は私を嫌っていないだろうか」と常にビクビクしながら生きていることが多いのです。
しかしこれが、「どうしても上手くいかない人間関係もある」「苦手な人がいてもおかしい事ではない」という認識に変わると、「自分も嫌われることもあるだろう」という事が理解できます。自分も苦手な人がいる以上、自分の事を苦手だと思う人がいることも当然だと理解できるようになり、受け入れられるようになります。
もちろん、なるべく嫌われないように生きていきたいのは当然ですが、そうは言っても「嫌われてしまうこともあるんだ」と納得できるようになり、これは対人関係で必要以上にビクビクしなくなり、心の安定につながります。
Ⅱ.嫌いの肥大化を抑えられる
ある人のある部分が嫌いなのに、それを我慢し続けていると不思議な現象が起きます。
嫌いが肥大化していくのです。
最初は「あの人のいつも高圧的な話し方が嫌い」と嫌いな部分は1か所だけだったのに、それを我慢しているうちにストレスが溜まり、
「あの人の顔が嫌い」
「あの人の声が嫌い」
「あの人の臭いが嫌い」
と本来であれば嫌う必要のないものにまで「嫌い」は波及していきます。
次第に「生理的に無理」などといった解決しようのない「嫌い」になってしまい、これでは相手にも非常に失礼なことになってしまいます。
しかし「あの人の高圧的な話し方は私は嫌いだ」と認めてあげると、それ以上は嫌いが波及しにくくなります。「嫌い」と認めたことで冷静に接することができるようになるからです。
むしろ「嫌い」な部分を認めてあげた方が、相手を嫌いにならずに済むという一見すると不思議な現象が生じるのです。
4.重要な他者に嫌いと感じてもいいのか
「嫌い」という相手が「一般の他者」なのか「重要な他者」なのかは重要です。
ここで言う「一般の他者」というのは、会社の上司であったり友人であったりとった、いわゆる他人です。一方で「重要な他者」というのは、夫であったり妻であったり両親であったりと自分にとって重要な位置づけの人です。
嫌いである対象が「一般の他者」であった場合、問題はそこまで複雑化はしません。
一般の他者はまだ比較的距離が取りやすいからです。会社の上司がどうしても好きになれなければ、最悪の場合転職をすれば一気に疎遠になれます。友人が好きになれない場合も自然と距離をとって疎遠になることは不可能な事ではありません。いずれも簡単にできることではありませんが、その気になればやれることではあります。
それよりも精神科を受診するような問題となるのは、「重要な他者」が問題となることが多いように感じます。
「夫と意見が全く合わずどうしても嫌いになってしまうのです」
「同居している姑が苦手なんです」
「親のことがどうしても好きになれません」
このような理由から心が疲弊してしまう方は多いのです。
重要な他者が原因である場合、簡単に「嫌う」という選択肢が取れないことは事実です。
一緒に過ごす時間も長く、距離を取ろうとしても簡単に取れる関係ではないからです。
では、このような重要な他者の場合は、「嫌い」になってはいけないのでしょうか。
そんな事はありません。
もちろん、重要な他者である以上、一般的な他者よりも関係修復を努力・工夫する必要があるのは当然です。良好な人間関係になれるのであればそれに越したことはありません。
しかしどうしても良い関係が築けない場合、「嫌い」という感情が沸いてしまう場合はその感情を受け入れることは悪いことではありません。
診察をしていて、特に絶対に切れないと感じる関係は「親」です。親との対人関係が不良である場合、長く苦悩している方は多くいらっしゃいます。
もちろん親は大切にしなくてはいけません。しかし、
「子どもの頃からDVを受け続けて、今でも親の事を好きになれない」
「今でも親の口調がちょっと強くなると、それだけでとてもつもない恐怖に襲われる」
「でも周囲からは親を大切にしないなんて冷たすぎると言われる」
と苦しんでいる方を診ると、「どんな時でも親は嫌ってはいけない」という一般的な常識を常に無理強いするのはあまりに酷だと思うのです。
「親には感謝もしている」
「でもDVをしてきた親は嫌いで、今でも怒鳴る親は嫌いだ」
このように、「嫌い」を認めてあげてもいいのではないでしょうか。
無理矢理、
「親の事を好きになれるように考え方を修正していきましょう」
という治療をしても、それには限界があります。
むしろ「嫌い」という感情があるという事を認めたうえで、適切な距離感を考えて接していった方がこころの安定につながることが多いように感じます。
ただし、重要な他者の場合、今後もある程度の距離感で付き合う必要がある事がほとんどです。そのため、「全てが嫌い」と考えてしまうのは良くありません。相手のどこが嫌いなのか、そして嫌いじゃないところはどういったところなのかを冷静に見極めて、付き合っていきましょう。
5.安易に人を嫌ってもいいという事ではない
今日お話したい事は、決して「人をどんどん嫌ってもいいよ」という事ではありません。
人間関係は良好である事に越した事はなく、皆と仲良く過ごせる事が一番いいに決まってます。また、「嫌い」という感情が沸いてきたら、それを簡単に認めるのではなく、まずは「この感情は変えることができないだろうか」と努力・工夫をすることは忘れてはいけません。
しかしそこまでしても良好になれない人間関係もあるし、「嫌い」と思ってしまう事もあります。
その時、自分のこころを痛めつけてまで「好きになる努力」 をするのではなく、「自分はあの人のこういったところは嫌い」という感情を認めてあげて、それを認めたうえで適切な距離感を持って付き合っていくのも、こころを安定させて過ごす1つの方法だという事が今日お話したいことです。
人間関係で苦しんで精神科を訪れる患者さん方のお話を聞いていると、
「人を嫌ってはいけない」
「どんな理由があっても親を嫌うなんて人としてありえない」
といった常識に縛られ、こころがどんどん疲弊していく人はとても多くいらっしゃいます。
そのような方に、「それ相応の理由があって、『嫌い』だという感情を持ってしまっているあなたは、別に悪くもないんだよ」という事を分かっていただきたく、今日の記事は書かせて頂きました。