精神疾患を治していくに当たって、意外と大きな壁となるのが「周囲からの誤解・偏見」です。
精神疾患に対する偏見は昔と比べれば少しずつ少なくなってきていますが、未だ十分とは言えません。身体疾患と異なり精神疾患は病気が目に見えないため、周囲の人は状態を正しく判断しにくいという側面もあります。
患者さん本人が一生懸命治療を頑張っているのに、それを理解してもらえないばかりか「サボっている」「甘えている」と周囲に判断されてしまうのは非常にもったいない事です。なぜならば、こういった誤解・偏見により治療はどんどんと遅れていくからです。
精神疾患で加療中の方は、ただでさえ病気によって精神的なダメージを負っています。それに加えて、周囲からあらぬ誤解を受ければこころの傷は更に深まります。そしてこころの傷がより深まれば精神疾患の治りがより悪くなることも明らかです。
周囲の誤解・偏見によって精神疾患の治りがどんどん悪くなり、それによって更に周囲の誤解・偏見が強まる。
臨床をしていると、このような悪循環に陥ってしまう患者さんを見ることが少なくありません。
このような悪循環を断ち切るために、何か良い方法はないものでしょうか。
魔法のような方法はありませんが、1つの考え方を紹介させて頂きます。
1.精神疾患は誤解されやすい
精神科の治療というのは、一般疾患の治療と比べると、外からみていて分かりにくいものです。
例えば「風邪を引いているから今は休んでいる」という人がいれば、「風邪なら安静にしないといけない」と誰もが分かります。「病気=安静にするのが治療」という概念がありますから、ここで大きな問題が生じることはまずありません。「風邪なのに安静にするなんておかしい!」なんて言う人はいないわけです。
しかし同じように精神疾患で治療している人がいて、「治療のためにこのような事をしている」と言っても、身体疾患と違って精神疾患の治療は周囲に理解をされにくいところがあります。
例えば電車に乗るとパニック発作が出てしまうパニック障害の方がいたとします。これを治療するための1つの方法には暴露療法があります。これは苦手な電車に少しずつ慣れる訓練をする治療法で、まずは人が少ない時間帯から電車に乗る訓練から始めます。
平日の昼間、患者さんはパニック障害の治療のため電車に乗りに出かけます。本人は恐怖を抱えながらもパニック障害克服のために一生懸命電車に乗るわけです。しかしこれは、他者からみれば昼間にただ電車に乗っているだけに見えてしまいます。場合によっては「電車に乗ってどこか遊びに行っている」と思われてしまうかもしれません。
本人にとっては一生懸命頑張ってやっている「治療」なのに、周囲からは「平日の昼間からぶらぶら遊び歩いている」と誤解されてしまうことがあるのです。このような治療法は「病気=安静にする」という概念からはずれる行為であるため、「治療」と思ってもらえず「遊んでいる」「病気のふりをしている」と思われてしまうのです。
説明をすることで理解が得られる場合もありますが、中には治療なんだといくら説明しても理解が得られないこともあります。「その疾患の治療法ってそういうものなんだ」と思ってくれればまだ良いのですが、「電車に乗れないとか意味が分からない」「治療で電車に乗る病気なんて聞いたことがない」と思われてしまうこともあります。
「風邪を引いていて、つらいから寝ている」であれば、誰もが「それは仕方ない」と思うでしょう。しかし精神疾患は同じ疾患であるのに、同じように扱われない事があるのです。
精神疾患の治療をしていると、この誤解というものが治療のジャマをしてくることにしばしば遭遇します。せっかく一生懸命治療を頑張っているのに、周囲の誤解・偏見に傷付き、病気は改善するどころかどんどん悪化してしまうのです。
特に自分にとって一番の理解者である家族や恋人などに誤解されてしまうと、本人は大きく傷付き、それによって疾患の治りが明らかにどんどん遅くなっていきます。そして疾患の治りが遅れれば遅れるほど「いつまで家に閉じこもっているんだ!」「いつになったら治るんだ!」と周囲からより誤解されることとなり、更に治療が遅れていくという悪循環に陥ってしまうのです。
次第に患者さんも誤解を恐れるあまり、治療のための行動が行えなくなってしまいます。「パニック障害を治すために電車に乗りに行きたいけど、『遊びに行っている』と思われるのが苦痛だ」となってしまい、治療が進まなくなってしまうのです。こうなってしまえばいつまでも病気は治らないままです。
「誤解している人にちゃんと説明をすればいいじゃないか」という方もいらっしゃるかもしれません。しかし、精神的に疲れている患者さんにとって、自分の疾患について、どのようなものでどのような治療が必要で・・・、と説明をすることは非常に疲れる作業です。普通の人だって疲れることなのに、精神的に限界に達している人がそのような事をしていたら、それこそ精神状態は悪化します。
本来であれば、順調に治っていくべき疾患であったのに、このような誤解によって治りが悪くなるというのは本人にとっても周囲にとっても悲しいことでしょう。しかしこれは精神疾患の治療現場で、非常に多く生じている問題なのです。
2.治療経過を良くするために先生を上手く利用しよう
この悪循環を断ち切るためには何か方法はないのでしょうか。
魔法のような方法というのは残念ながらありません。少しずつ精神疾患に対する誤解や偏見が世間からなくなっていけば、将来的にはこのような苦しい思いをする患者さんは少なくなっていくでしょう。しかし、それにはまだまだ時間がかかるでしょう。
しかし何も方法がないわけではありません。
このような状況に陥ってしまった患者さんに対して、私が時々アドバイスする方法があります。
それは
「先生を上手く利用しちゃってください」
と言うことです。
そのような誤解や偏見を受けた時は、全部先生のせいにしてしまうのです。
医者というのは疾患の専門家でもあり、疾患の治療に当たってその発言には大きな力があります。
「先生にこのように言われました」
「先生にこのように診断されました」
と、「医師の指示でやっている」という事を強調するだけで、周囲の反応はやはり違ってきます。これは私自身の治療経験からも確かに感じることです。疾患の治療に当たって、身体疾患と異なるような治療法をしなくてはいけない時は「先生の指示なので、こうしている」という事を特に強調するようにしてください。
例えば精神疾患を発症してしまって、休職をしなければいけなくなった場合、
「来月から1カ月休職することになりました」
と言ってしまうとと、周囲の人は「甘えているのではないか」「サボりたいだけではないのか」などを悪く誤解してしまうことがあります。中にはあなたに直接「ちょっと甘えてるんじゃないか?」などと心無い言葉を言ってしまう人もいるかもしれません。
この時、
「先生の指示で、1カ月休職することになりました」
「勤務継続は許可できない、と医師から言われてしまいました」
と「先生の指示」なのだということをはっきりと伝えると、状況は幾分違ってきます。
「先生の判断」での休職だということですから、「あなた」の判断ではありません。先生が医学的所見から判断しているわけですから、当然「あなたが甘えている」という事にはなり得ません。
周囲から誤解や偏見を受け続けていると、次第に自分自身でも「自分のこころが弱いだけなのか」「自分が甘えているだけなのかな」と誤解・偏見が正しいような錯覚に陥ってしまうことがあります。しかしそこで「先生の指示でやっている」という事を改めて再認識すると、自分自身も自信を持って今の治療に取り組むことができるようになります。
同じように、先ほどのパニック障害の方の例でも、治療のために昼間に電車に乗る訓練をするときは、
「先生の指示で、次回までに昼間の電車に少し乗ってみることになりました」
「先生に、今の時期は電車に乗ってみる時期だと言われました」
と「先生の指示でやっているのだ」という事をはっきりと伝えるようにしましょう。
ちなみにこれは、「先生に責任をなすりつけている」ことには全くなりません。
先ほどは「先生のせいにしちゃいましょう」と、まるで責任を先生になすりつけているような書き方をしてしまいましたが、実際に疾患の治療は先生の指示のもとでやっているわけですから、そもそもが最初から先生の責任なのです。
あなたは精神疾患にたまたまかかってしまい、その治療をしているのです。この時、周囲の誤解は治療を邪魔するものです。私たち医師は、患者さんが一日でも早く治るように援助する責任があります。
「周囲の誤解」という治療を邪魔する要因がある以上、それを除去することに努めるのは医師として当然の責任でしょう。
「先生の指示でやっている」と強調することは、周囲の誤解・偏見を緩和するだけでなく、自分自身の気持ちも楽にしてくれるという効果があるのです。
3.直接の説明・診断書という方法もある
「先生の指示でやっています」といってもどうしても理解をしてくれない人もいます。その場合はどうしたらいいでしょうか。
どうしても治療の理解を得られない場合は、その人に一度診察に同席してもらってもいいでしょう。
突然来られると先生も予定がありますので困ってしまうと思いますが、事前に、
「どうしても理解してくれない人がいて、そのために先生に言われた治療が進めにくい」
「先生から一度説明してもらえないか」
と先生に伝えて、先生が十分な時間を取れる時に来院すれば良いでしょう。
患者さん本人の口から病気の説明をしようとすると、「自分が楽をしたいから、そのように言っているだけではないのか」と悪くとらえてしまう人もいるものです。しかし専門家である医師からしっかりと説明すると「そういうことなら分かりました」と言って頂けることも少なくありません。医師から直接説明することが疾患にしっかりと向き合うきっかけとなり、「精神疾患を軽く考えていた、申し訳ない」と考え直してくれる方もいらっしゃいます。
説明することで、その後の治療の妨害因子が1つ消えるのであれば、これは絶対にすべきことでしょう。
しっかりと説明をするのには確かに時間がかかります。これを「忙しい先生に迷惑をかけてしまうのではないか」と考えてしまい、遠慮してしまう方もいらっしゃるかもしれません。しかし、例えば数十分の時間をかけて周囲の誤解が解け、それで患者さんの病気の治りは数か月・数年早まるとしたら、これは迷惑どころか、患者さんにとっても先生にとっても嬉しいことでしょう。
誤解や偏見はある程度の時間をかけてでも改善させる価値のあるものなのです。
また、診断書として「間違いなく、これが医師の指示だ」と明記するという方法も有効です。診断書はれっきとした証明書であり、虚偽のない書類になります。発行にお金がかかってしまいますが、診断書に現在の病名と経過、そして現時点で必要な治療について明記してもらえば、これは証明書ですから強い説得力を持ちます。
中にはいくら医師が説明しても、診断書を発行しても精神疾患に理解をしてくれない方も確かにいらっしゃいます。しかしこのような過程を踏む中で「専門家である先生の指示でやっているんだ」という気持ちを改めてしっかりと持つことができれば、それだけでも気持ちは少し軽くなります。
治療も堂々と出来るようになるはずです。