うつ病などの「こころの病気」はしばしば誤解や偏見を受けてしまうことがあります。
うつ病は「気持ちの問題」ではなく「病気」なのは間違いのない事実ですが、目に見える部位に異常が生じないため、どうしても周囲から理解されにくい面があるのです。
うつ病を周囲に正しく理解してもらえず、その苦しみが原因で更にうつ病が悪化してしまう。臨床をしていると時々このような悲しい事態に遭遇してしまう事もあります。
一般的な疾患、例えば胃潰瘍だとか肺炎だとか骨折などは、血液検査や画像検査といった「目に見える」異常所見が得られるため、それが病気であると理解しやすいところがあります。
「レントゲン検査を撮ったところ、ここが折れていました」
「CT検査で肺炎の所見が認められます」
「胃カメラ検査をしたところ、胃壁が荒れていました」
医師からこのような検査所見を告げられれば、「そんなはずはない」「本当に病気なの?」と疑う人はいないでしょう。
現状のうつ病の診断では、これが出来ないのです。診断に当たってこのような検査がないため、誤解や偏見の原因となってしまいます。
しかし近年、うつ病の患者さんでは血液中のPEA(リン酸エタノールアミン)という物質が減少していることが発見され、うつ病の検査として使えるのではないかと大きな期待をされています。
うつ病を血液検査で判定できるようになれば、診断の精度が上がり、より正確な医療を提供できるようになる他、誤解や偏見で患者さんが苦しむことも少なくなるでしょう。
今日は、PEAとはどういったものでどのように使えるのかということについて紹介し、血液検査でうつ病が判定できるようになるメリットとデメリットについても考えてみましょう。
目次
1.PEA(リン酸エタノールアミン)とは?
うつ病は血液検査や画像検査では診断することができません。
そのため診断は、患者さんの訴えや言動から医師が判断するしかなく、医師によって診断の精度にばらつきが出てしまうことが問題となっていました。
ICD-10やDSM-5といった診断基準にのっとった診断をすることでばらつきは多少改善しましたが、それでも「落ち込み」や「不安」「悲しみ」などといった数値化できない症状を扱うため、どうしても診断にはばらつきが出てしまいます。
誰がみても明らかにうつ病といった症例においては、診断に多少のばらつきがあっても大きな問題にはなりません。
しかし、
「うつ病がどうか微妙なところ」
「うつ病が疑われるけども、他の疾患の可能性もある」
といったケースでは、診察所見以外の診断の根拠になるツールが欲しいところです。そのため、うつ病を判定できる検査はずっと待ち望まれていました。
そんな中、近年うつ病を血液検査で判定できる物質としてPEAが注目されています。
PEA(Phospho-Ethanol-Amine)は分子量の小さな化合物で、脳内に多く存在するリン酸アナンダミドから作られる物質です。
リン酸アナンダミドはそれ自体は活性を持たない物質ですが、アナンダミドとPEA(リン酸エタノールアミン)に分解されます。アナンダミドは主に脳の神経伝達物質の1つで、「快感」「喜び」などといった感情に関わる物質です。
アナンダミドはカンナビノイド(大麻などに含まれる麻薬の一種)に似ている物質であることから、「脳内麻薬」とも呼ばれています。
アナンダミドが作られる過程において同時にPEAも作られるのですが、アナンダミドは主に脳ではたらきますが、PEAは血液を通じて末梢に流れてきます。
そのため、PEAは血液検査にて測定が可能なのです。
近年の研究において、うつ病の患者さんではPEAが低下していることが注目されています。
PEAはリン酸アナンダミドから作られるため、PEAが低下しているという事は、リン酸アナンダミドも低下していることが考えられます。となれば、リン酸アナンダミドから作られるアナンダミドも低下しているはずです。アナンダミドは快楽・快感に影響する物質ですので、これが低下すればうつ病を発症しやすくなることは確かに筋が通っています。
実際、健常な人においては血液中のPEA濃度は2.0~3.0μMですが、うつ病に罹患するとこれが低下し、1.5μM以下になることが報告されています。
PEAは血液検査にて簡単に測定することができることから、うつ病を判定する検査として使えるのではないかと期待され、現在研究・試験が進められています。
まだ保険診療にはなっていませんが、自費診療にてすでに導入している医療機関もあります。
2.PEAとうつ病・精神疾患との関係
PEAは主にうつ病を判定するために用いられます。
しかしそれだけではありません。PEAはうつ病以外の疾患においても利用できる可能性があるのです。
うつ病とそれ以外の精神疾患とPEAについて紹介します。
Ⅰ.PEAとうつ病
PEAとうつ病の関係をかんたんに言うと、
PEAが低いほど、うつ病の程度が重くなる
と言えます。
先ほども紹介した通り、
- 健常な人においては血液中のPEA濃度は2.0~3.0μM
- うつ病患者さんにおいては血液中のPEA濃度は1.5μM以下となる
ことが確認されています。
PEAの精度はおおよそ90%程度と言われており、これはかなり高い数値です。現在のうつ病の検査というと、CES-D、QID-Sなどといった質問紙検査がありますが、PEAは精度としてはこれらよりも高いでしょう。
また、PEAはうつ病の診断に使えるだけではなく、うつ病の経過を判定する指標としても使えます。
実際、うつ病患者さんに適切な治療を行うと、PEAも徐々に上昇してくることが確認されています。つまり、PEAを定期的に測定することで「自分がどのくらい良くなっているのか」というのを血液検査という客観的な数値で見ることができるという事です。
Ⅱ.PEAと双極性障害
PEAはうつ病だけではく、双極性障害(躁うつ病)においても異常値を示すことが報告されています。
双極性障害は、躁状態(気分が高揚する)とうつ状態(気分が落ち込む)を繰り返す疾患ですが、躁状態においては血液中のPEAは上昇する傾向があるようです。
健常者の血液中のPEA濃度は2.0~3.0μMと紹介しましたが、躁状態の患者さんでは血液中PEA濃度は3.0μM以上に上がることがあります。
Ⅲ.PEAと不安障害
PEAは不安障害圏の疾患(パニック障害、社会不安障害、全般性不安障害など)でも異常値となるのでしょうか。
不安障害圏においてはPEA値は健常者と同等の数値になることが多いようです。中には高値になる症例もあるようですが、検査として有用なほどの精度ではないようです。そのため、現時点ではPEAは不安障害圏の疾患の診断・経過評価にはあまり有用ではないと考えられています。
しかしPEAは、うつ病なのか不安障害なのか判断がつきにくい症例に対して、「どちらの疾患の可能性が高いのかを鑑別する」目的での施行も有用であると言えます。
Ⅳ.PEAとPTSD(心的外傷後ストレス障害)
PTSD(心的外傷後ストレス障害)では、PEAは健常者より高めになることが報告されています。
Ⅴ.PEAと統合失調症
PEAは統合失調症においても軽度低下する事が報告されています。
しかしうつ病と異なり、その程度はわずかであるため、診断に使えるほどではないと判断されています。
3.PEAを測定する方法
PEAは血液検査で測定できます。
内科や健康診断などで行われる一般的な採血と同じ方法ですので、患者さんにそこまで特別な負担がかかる検査ではありません。
一般的な採血と同様に、
- 前日の飲酒は控えること
- 空腹時に採血をすること
が推奨されています。
ただしPEAは一般の検査会社では測定できないため、専用の検査会社(HMT株式会社様)に送り、そこで測定を行います。そのため、結果を知るまでにある程度の時間がかかります。
検査結果が返ってくるまで、おおよそ1~2週間程度かかるそうです。
4.PEAで自分に合うお薬が分かる?
PEAは「うつ病の診断」のために用いる検査ですが、実はそれ以外にも面白い結果を示すことが分かっています。
それは、PEA値によって自分に向いているお薬が分かるかもしれない、というものです。
現在、うつ病に対してまず最初に検討される代表的なお薬には、
- SSRI
- SNRI
の2つがあります。
【SSRI】
選択的セロトニン再取込み阻害薬。脳内のセロトニンの濃度を上げるお薬。ルボックス・デプロメール(フルボキサミン)、パキシル(パロキセチン)、ジェイゾロフト(セルトラリン)、レクサプロ(エスシタロプラム)がある。
【SNRI】
セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬。脳内のセロトニンとノルアドレナリンの濃度を上げるお薬。トレドミン(ミルナシプラン)、サインバルタ(デュロキセチン)、イフェクサー(ベンラファキシン)がある。
セロトニンのノルアドレナリンも、気分に影響する物質ですが、
- セロトニンは落ち込みや不安を改善させる
- ノルアドレナリンは意欲や気力を改善させる
と考えられてます。
現状ではうつ病患者さんにSSRIを使うかSNRIを使うかの判断は、主治医が個々に行っています。
うつ病や不安障害の方をSSRIで治療した場合と、SNRIで治療した場合のPEAの推移を見ると、面白い事に、
- SSRIはPEAを下げる方向にはたらく
- SNRIはPEAを上げる方向にはたらく
傾向があることが報告されました。
ここから、
- PEAが低い場合はSNRIを選択する
- PEAが高い場合はSSRIを選択する
と、PEAの数値によって、自分に最適な抗うつ剤がある程度分かるという可能性があります。
5.血液検査でうつ病が分かるという事
PEAは現在、まだ一部の医療機関でしか行われていない検査です。
しかし今後PEAについての研究が進んでいけば、近い将来は実臨床で普通に行われる検査になるかもしれません。
今までの精神科の診断方法というのは、診察所見から行わざるを得なかったため「あいまいさ」「ばらつき」がどうしても出てしまう方法でした。しかしそれが、「検査」という明確化できる方法で診断が行えるようになることはとても意義のあることです。
うつ病が検査で判定できる一番のメリットは、「誤解や偏見が減る」ことではないかと思います。
明確な根拠がないために
「本当に病気なの?」
「気持ちの持ちようなんじゃない?」
と精神疾患に偏見や誤解を持ってしまう方はまだいらっしゃいます。
しかし検査でそれがはっきりと数値として出れば「病気なのだ」と理解しやすくなります。そうなれば周囲も正しい対応を取りやすくなるし、患者さんも不当な扱いを受けずに済むでしょう。
しかし一方で、この検査の精度は100%ではないことには注意しなくてはいけません。これは、PEAが正常だから健常とは必ずしも言えないという事です。
PEAでうつ病を判定できてしまうと生じるデメリットとしては、PEAが過信されすぎてしまい、「PEAが正常であるうつ病患者さんは仮病だと誤解されてしまう」ことが考えられます。
この場合、
「検査で陰性なのに病気のふりをしているなんて信じられないヤツだ!」
と、今までよりも偏見は更にひどくなってしまう恐れもあります。
そうならないためには、PEAを「うつ病が100%判定できる検査」だとという誤解が生じないよう、私たち医療者が正しい情報をみなさんに伝えていく必要があります。
PEAはこれからの精神科医療に大きく貢献する検査となると思っています。
しかしうつ病の診断がPEAだけで出来るようになる、とは考えられません。どんな疾患でも同じですが、診断というのは熟練した医師が総合的に判断するものであって、PEAなどの検査は診断を補助するための有用なツールの1つである、というのが正しい認識でしょう。
6.PEAの測定をしたい方は?
現時点では保険診療の対象とはなっていないため、自費で検査を受けることになります。
現時点では成人のみを対象としているため、検査を受けることが出来るのは20歳以上となります。
料金は医療機関によって異なりますが、1~2万円程度が多いようです。
まだ導入している施設も多くはなく、首都圏のクリニックがほとんどになります。
実際に受けてみたい方は、「うつ病 PEA」と検索すればPEA測定検査を行っている病院が見つかると思います。