私たち人間は、社会の中で生きています。
1人で生きていける人はいません。どんなに強そうに見える人であっても、1人だけで生きていくことは極めて困難です。
私たちは、社会の中で多くの人と支え合いながら生きているのです。
多くの人がお互いに協力し合うという事は素晴らしいことです。しかし一方で社会的な生き物である私たちは、つい他人と自分を「比較」してしまいがちです。
精神科にいらっしゃる患者さんの中にもこのような傾向を持っている方は多く、
「あの人はあんなに頑張っているのに、それに比べて私は・・・」
「あの人はあんなに成績が良いのに、私ときたら・・・」
と他者と自分を比較した上で、自分に劣等感を抱いてしまい、落ち込んでしまうという事がしばしば見受けられます。
社会の中で生きている以上、他人と自分を比較してしまうのは仕方がないところもあります。しかし他者の自分を比較する、という方法を取る時は注意が必要です。なぜならば、この比較法はあまり公平ではない可能性が高いからです。不公平な比較をして、それで自分を不必要に低く評価して落ち込んでしまうなんてもったいないですよね。
今日は他者と自分を比較して落ち込んでしまう傾向がある方に、ぜひ知っておいて頂きたいことをお話します。
1.他人が気になるのは当たり前
私たち人間は社会の中で生きています。社会にはたくさんの人がいて、私たちは日々多くの人の力を借り、また時には力を貸しながら生活をしています。
毎日たくさんの人と接していると、どうしても他者と自分を「比べてしまう」ことがあります。
また、自分では比べようと思ってはいなくても、第三者によって「順位づけ」が行われてしまう事もあります。
- 試験の成績
- 100m走のタイム
- 営業の売り上げ
このような順位づけは学校や仕事において、日常的に行われているものです。
順位づけするという行為そのものは別に悪いことではありません。しかし順位は、優劣が「数字」というものではっきりと見えてしまいますので、どうしても「他者と自分を比較する」という視点になりやすくなってしまうのです。
このように社会で生きている私たちは、
「他者はどのくらい出来ているのだろうか」
「自分は一般的にみてどのくらいの出来なのだろうか」
と他者を気にし、自分とつい比較してしまいがちなのです。
他者と自分を比較して、それがいい方向に向くこともあります。
「自分の方がいい成績を取れた!これからも負けないように頑張ろう!」
「今回は負けたから、次回は勝てるように頑張ろう!」
こう思える比較であれば、それは悪いものではないかもしれません。
しかし反対に他者と自分を比較することで、「私はなんてダメなんだ・・・」と落ち込んでしまう方向に向かってしまうことも少なくありません。
他者と自分を比較して、落ち込んでしまう方に対して、
「他人は他人。自分は自分。だから気にしないようにしましょう」
とアドバイスされる方もいらっしゃいますが、日々社会で順位づけをされている私たちにとって、完全に他者を気にせずに生活するのは困難です。
社会で生きている私たちにとって、他者と自分を比べてしまうのは、ある程度仕方がないことなのです。あなたが人里離れた山奥に住んでいるのであれば、他人を気にしないで生きていくのも可能かもしれませんが、そういった環境で生活している人はごく少数でしょう。
しかし他者と自分を比べる時、「その比べ方が本当に公平なのか」は冷静に考えてみる必要があります。
でないと、不公平な比較方法のもと、
「私は劣っている」
「私はダメ人間だ」
と正確性に欠ける評価をしてしまい、間違った評価で落ち込んでしまうという、とてももったいない事になるからです。
そしてこのような落ち込み方をしている人は意外と多いのです。
2.他者と自分を比べるのは、自分に不利な比較法である
診察で患者さんのお話を聞いていると、患者さんが落ち込んでしまう原因の1つとして、
「他者と自分を比較して落ち込んでいる」
というケースが時々あります。
他者はこんなにすごい・頑張っている・結果を出している。でもそれに比べて自分は、全然出来ていない・・・。
こう落ち込んでしまうのです。
他者と自分を比較して、他者の方が高い結果を出している時、「負けた」と感じてしまい落ち込んでしまう。
この気持ちは理解できないわけではありません。
他者は80点だった。でも自分は60点だった。
この状況だけを見れば、「自分の方が点数が低い」わけですから、落ち込んでしまうこともあるでしょう。
しかし、ここで気を付けなくてはいけないことがあります。
他者と自分を比較する場合、その比較法はほとんどの場合で自分に不利になっている事を理解しなければいけません。
つまりほとんどの方は自分に不利な比較法を用いて、他者と自分を比較しているのです。そして不利な勝負で負けて、「自分の方が劣っている」と判断して落ち込んでいるのです。
これは本当にもったいないことだと感じます。
3.その比較方法は本当に公平なのか?
「他者と自分を比較する場合、ほとんどの場合でその比較法は自分に不利になっている」
とお話しましたが、それは具体的にどういった事でしょうか。
他者と自分を比較する時に理解しておくべき重要な事として、私たちは
「自分の事は全て知っている」
けど、
「他者の事は一部しか知らない」
という事を忘れてはいけません。
そして大概、他者について知っている情報のほとんどは良い情報です。
これは当たり前で、自分の弱みとなるような悪い情報は、あまり人は言いたがりません。
- 最下位を取ってしまった
- 借金をしている
- 人をだました
このような悪い情報を進んで他者に話そうとする人は少ないでしょう。
例えば、「先月の営業成績が1位だった」という情報は、良い情報です。自慢したい気持ちもはたらき、この人は多くの人にこの情報を自ら伝えるでしょう。
しかし「先月の営業成績が最下位で、上司から『このままだとクビだ』と言われた」という情報であればどうでしょうか。これは悪い情報であり、なかなか人に伝えることが出来ない情報です。本当に信頼している人には相談するかもしれませんが、少なくとも誰にでも話せる話ではありません。
同じように、「先月、超高級ホテルに宿泊した」という良い情報は、周囲に話せることだし話したいことでしょう。しかし実はその人は浪費家で「そのせいで、今月の生活費が足りなくて生活できない」という事実があったとしても、その悪い情報は周囲には言わないでしょう。
ここからも分かるように他者から得られる情報というのは、基本的に良い情報の比率が高いのです。
そして私たちは他者の評価を、この「良い情報の比率が高い不公平な情報」をもとに判断してしまっているのです。
この上で、「他者と自分を比較する」とどうなるでしょうか。
「良い部分も悪い部分も分かっている自分」
VS
「良い部分しか知らない他者」
この勝負は圧倒的に他者が有利です。自分が負ける確率は高いでしょう。
更にうつ病などで自己評価が低下してしまっている方であれば、勝負はもっと不利になります。
「悪い部分ばかり見えている自分」
VS
「良い部分しか知らない他者」
この勝負はどう頑張っても他者に勝てるはずがありません。
診察の中で患者さんのお話を聞いていると、このような不公平な比較法で、落ち込んでしまっている方が意外と多いことに気付きます。他者と自分を比較して落ち込む傾向のある方は、「その比較法って本当に公平なの?」という客観的な視点を持ってみることが大切です。
4.不公平な比較をする事に意味はあるのか?
私たちは他者について、その全てを知ることはできません。
私たちがある他者について評価をしている時、それは「限定された情報」をもとに判断しています。そしてその限定された情報は、その人の情報のごく一部でしかありません。更に他者に関する限定された情報というのは、ほとんどが良い情報に限られます。悪い情報は人にはなるべく知られたくないものですから、極力出そうとしないからです。
こう考えると、他者と自分を比較する、という方法はそもそもが無理のある比較法であることが分かります。
営業成績がトップの他者と、営業成績が普通の自分を比較すれば、「営業成績」という面だけでは確かに負けているかもしれません。
でも、もしかしたらその他者は営業成績はトップだけども、仕事一筋であるせいで家庭は壊滅状態なのかもしれません。仕事に没頭するあまり、友人などとも疎遠になってしまい、いざという時に頼れる友人が誰もいないかもしれません。仕事を毎日深夜までやっているため、実は身体のあちこちが悪くなっているかもしれません。
でもあなたがその人について知っている情報は「彼は営業成績がトップだ」という事だけです。
家庭が壊滅状態な事も、友人がほとんどいなくなってしまったことも、身体のあとこちが悪くなっている事も知りません。そんな事はなかなか他人には言いませんから、分からないのです。
一方であなたの営業成績は普通であったとしても、あなたは家庭もとても大事にしていて家族とも良い関係であって、友人も大切にするためいざという時に頼れる友人がたくさんいて、健康にも気を遣っていて、身体に悪いところはないとします。
ここまで深く両者についての情報がそろって、公平に比較した場合、本当に営業成績がトップの他者の方が優れていると言えるでしょうか?
営業成績は確かに優れていますが、全体的な評価で見た場合はどうでしょうか。
自分と他者をもし正確に比較したいのであれば、このように多くの情報が不可欠なのです。
そのため、日常における限られた情報源のみで他者と自分を比較してしまうのは、実はあまり意味のないことなのです。
「確かに〇〇という分野では、他者の方が優れているのは事実」
「でもだからといって、自分が劣っているという事にはならないよね」
このように広い視野で判断できるようになると、不必要に落ち込むこともなくなります。