こころがつらい状態が続いて精神科の受診を考えた時、誰もが「何とかして治したい」という気持ちを持って病院を受診します。
しかし実際に治療が始まると「治したい」という気持ちの裏に「治りたくない」という気持ちが無意識に生まれ、これが治療のジャマをすることがあります。
「病気を治したくない人なんているはずがない」
「病気は治したいものに決まっている」
このように思われるかもしれません。
しかし、こころの病気の場合「治したい」という気持ちの背景に「治りたくない」という気持ちが隠れていることは珍しいことではないのです。
そしてこの場合、「治りたくないという気持ちが自分の中にはある」ということを自分でしっかりと認識しておかないと、治療が思うように進まなくなってしまいます。
難治性の方・治療が長期化している方の中には、自分の中の「治りたくない気持ち」に気付いていなかったり、薄々気付いてはいてもそれを認めずにいることがあります。
今日は、こころの病気で見られる、「治りたくない気持ち」についてみてみましょう。
1.「治りたくない気持ち」というのはどういうものか
誰だって、病気を治したいから病院を受診するはずです。治りたくないのであればそもそも病院を受診するはずがありません。
そのため「治りたい気持ちの背景には治りたくない気持ちもある」と聞くと、「そんなはずはない」と思われる方も多いでしょう。
この「治りたくない気持ち」というのは、いわゆる「仮病」とか「病気のふりをしている」とか、そういった類の気持ちのことではありません。
こころの病気は、身体の病気とは異なった特殊な一面があります。
身体の病気の多くは、自分の中に「自分に元々なかった異常」が生じ、それを「除去」するのが治療になります。
風邪であれば、風邪の原因であるウイルスを除去するのが治療です。癌(がん)であれば、癌細胞という異物の除去を目指すのが治療になります。
身体の病気は「自分に元々なかった異常」を除去し、「元に戻す」ことがゴールになります。
対して、こころの病気の治療はやや異なってきます。
こころの病気の多くは「自分の中で形成されてきた異常」を「修復」していくのが治療です。ちょっと難しいですが、身体の病気と異なり、異常を「除去」するだけで済む問題ではないのです。
うつ病になってしまった時、その「落ち込んだこころ」を除去してしまう事は出来ません。落ち込んだこころというのは自分の一部であり、もしそれを消し去ってしまえば元の自分ではなくなってしまいます。
うつ病では、落ち込みやすいこころを修復し、今後は落ち込みにくくなるように修復していくのが治療なのです。
身体の病気とこころの病気は、治療スタイルにこのような大きな違いがあります。
こころの病気というのは、異常を生じている部分も自分の一部であるため、それを除去することが治療ということにはなりません。「落ち込んでいるこころ」は病気ですが、その「こころ」は自分自身であり、異物ではないのです。
「落ち込んでいるこころ」という自分の一部を修復するという事は、「今の自分を変えていく」という治療になり、これは「今までの自分の一部を捨てなくていけない」という側面を含みます。
人は誰でも変化することを無意識に恐れ、現状を保とうとする傾向があります。「今の自分を変えていく」というこころの治療に対して、「今のままを保ちたい」「変化したくない」という抵抗が生まれるのは何ら不思議なことではありません。
治療的には「変えなくてはいけない」ことを頭では理解していたとしても、一方で「変わりたくない」という気持ちも生まれてしまうのです。
2.「治りたくない気持ち」の実例
イメージしやすくするため、こころの病気での「治りたくない気持ち」の実例をいくつか紹介します。
Ⅰ.アルコール依存症
「治りたくない気持ち」の一番分かりやすい例は、アルコール依存症や薬物依存症のケースです。
依存性物質に対して依存状態になってしまい、それを治したいと決意して病院を受診したとします。
「もうアルコールは飲まないぞ!」
こう決意し、家にあるアルコールを全て捨て、飲み会の誘いも断って治療を頑張ります。
しかし依存形成されている状態で、依存性物質を立ち続けるのはかなりの努力を要します。
「ちょっとだけでいいから飲みたいな」
「1回くらいなら飲み会に参加してもいいだろう」
「アルコールほどいい気持ちになれるものはないよな」
治療中にこのような気持ちが浮かんでしまうことは必ずあります。
「治したい」という気持ちの背景に「治りたくない」という気持ちは確実に存在しているのです。
Ⅱ.うつ病
うつ病においても、「認知の歪み」が原因となっている場合は、背景に「治りたくない気持ち」が隠れていることがあります。
認知(=物事に対するとらえ方、考え方)の歪みがうつ病の原因となっている場合、それを治療するためにはお薬だけではなく、「認知行動療法」などの精神療法も行っていくことが推奨されています。
認知行動療法というのは、今までの自分の考え方のうち、うつ病の原因になりそうな考え方のクセを修正していくような治療になります。
有効な治療法ですが、「今までの自分の考え方を変えていく」という側面を含んでいるため、無意識下に「変えたくない」という抵抗が生まれることがあります。
「頭では『こう考えなくてはいけない』というのは分かっているんです。でもそれをなかなか実行に移せないんです」
このように治療がなかなか進まない事を悩まれる方がいらっしゃいます。これは、「治りたくない自分」「変わりたくない自分」と向き合っていない事が一因かもしれません。
3.「治りたくない気持ち」を認識することはなぜ大切か
病気がなかなか治らない時、一生懸命治療を頑張っていると、それに拮抗する形で「治りたくない気持ち」も頑張って抵抗していることがあります。
この時、自分の中に存在する「治りたくない気持ち」から目を背け、「自分は治したいんだ!」と無理矢理治療だけを強めても、なかなかいい方向には向かいません。
「治したい!」という気持ちを強く持って頑張れば頑張るほど、「自分は変わりたくない!」という無意識の抵抗もまた強くなっていくからです。
この場合で大切なことは、より強く「治したい!!」と治療を強めることではありません。
自分の中にある「治りたくない」「変わりたくない」という気持ちを、まずは自分自身が認めてあげることです。
先ほども書いたように、こころの病気において「治りたくない」「変わりたくない」という気持ちが生じることは、まったくおかしいことではありません。人は変化を恐れ、現状を保とうとする傾向があります。ましてや自分の「考え方」といった大切なものは、そう簡単に変えられないのが普通ですし、無理矢理変えようとすれば抵抗を感じるのは当然の事です。
何十年もその考え方で生きてきたのに、それをあっさりと「変える」ことができる人など、むしろ少数でしょう。
そのため、まず大切なことは、
「この考え方のせいで病気になったのかもしれないけど、でもそう簡単に変えることを認められないのは当然だよな」
「今までずっとこの考えで生きてきたんだから、すぐに変えられなくて当たり前だよな」
と「治りたくない気持ち」の存在を許し、それは決して異常なものではないんだと認めてあげることです。
これを行わなければ、いつまで経っても次のステップには進めません。
4.「治りたくない気持ち」との向き合い方
こころの病気の背景には「治りたくない気持ち」があることをお話しました。
治療がなかなかうまく進まないという方は、この「治りたくない気持ち」と上手に向き合うことが出来ていないのかもしれません。
まずはこの気持ちを正常なものだとして認めること、そしてこの気持ちと向き合っていくことが大切です。
「治りたくない気持ち」とどのように向き合って、こころの病気を治療していけばいいのでしょうか。
患者さんを診察しいて感じる、重要なポイントをいくつか紹介します。
Ⅰ.治りたくない気持ちが持つメリットを知る
無意識とは言え、「治りたくない気持ち」が抵抗をするという事は、治らない事による何らかのメリットがあるはずです。
まずは治りたくない気持ちがなぜ生じているのか、治らないことでどんなメリットがあるのかを明らかにしてみることです。
その上で、治らない事によるメリットと治る事によるメリット、それぞれを比べてみましょう。ここまでしてみると、「全体的に見れば、治ることによるメリットの方が大きいな」と実感できることがほとんどです。
このような過程を踏み、「治ること」に対して納得することができれば、「治りたくない気持ち」というのは小さくなっていきます。
あるいは、治ることに対して「実は大したデメリットはない」という事に気付く事もあります。これも同様でこの事実に気付けば、「治りたくない気持ち」は弱まっていくでしょう。
Ⅱ.治す事に失敗しても落ち込まない
治りたくない気持ちがあれば、治すことが上手くいかない事もあります。
「治したい気持ち」に「治りたくない気持ち」が対抗しているのですから、失敗することがあるのは当然です。また、「治りたくない気持ち」が生まれてしまうのも、おかしい事ではありませんので、時に失敗があることは仕方がない事なのです。
治療を失敗してしまう事に落ち込んでしまう方がいますが、「治りたくない気持ち」がある場合、ある程度失敗がありうるのは仕方がないことだと考えてください。
こころの病気においては当然の感情である「治りたくない気持ち」があれば、治療が失敗してしまう事もあり、それは自分の治療努力が低いとかそういう問題ではないのです。
治りたくない気持ちは、今までの自分を認めているからこそ生じている気持ちなのです。
Ⅲ.治すことは今までの自分を否定することではない
「あなたは〇〇という考え方のクセを持っていて、これがうつ病の原因となっています」
こういった事を治療者に指摘され、この考え方を治そうという治療が行われたとします。
その時「〇〇という考え方を変える」という治療を「〇〇という考え方を持っている自分はおかしい」と理解してしまう方がいます。これは大きなあやまりです。
例えば「すぐ他者に感情移入しすぎてしまうため、落ち込みやすい」という性格の人がいたとします。この方があまりに精神的に不安定になるようだと、「もうちょっと他者に対して適当に考える習慣をつけていきましょう」というアドバイスを受けるかもしれません。しかし、だからと言って「人に感情移入しすぎる性格はダメな性格」ということには全くなりません。
特にうつ病の患者さんを診ていて感じることですが、みなさん本当に他者を思いやる優しい性格をされています。典型的なうつ病の性格に「メランコリー親和型」がありますが、これは「他者を思いやり、自己犠牲をしてでも物事を一生懸命やる」といった性格であり、とても素晴らしい性格です。
メランコリー親和型が人としておかしい性格ではないことは明らかです。むしろ、他者のお手本となるような素晴らしい性格だとすら言えます。しかし素晴らしい性格なのだけども、こころに負担をかけやすい性格であるもの事実です。
考え方を修正するというのは「その考え方がおかしいから治す」という事ではありません。
その考え方や性格が素晴らしいものであったとしても、それが時に自分のこころを傷付けてしまうこともあります。だから、そこまでいかないような考え方に修正するということなのです。
自分のこころを守るために修正するのであって、決して「考え方がおかしい」ということではないのです。