うつ病の原因は、まだ明確に特定されておらず、今も多くの研究が行われています。
モノアミン仮説、HPA仮説、BDNF仮説など、様々な仮説が提唱されてきました。それぞれ一定の裏付けがあるもので、確かにうつ病の原因のひとつであろうとは考えられていますが、どの仮説もまだうつ病の核心には辿り着いていません。
最近ではキヌレニン仮説という、うつ病の仮説が新たに提唱されています。キヌレニン仮説はうつ病のみならず、もっと広く精神疾患全般の原因として考えられている概念です。
この仮説の面白いところは、この仮説に従うと、「肥満を改善させるとうつ病が改善する」「腸内細菌を整えることがうつ病の改善につながる」という結論が導かれるのです。
腸内細菌とうつ病なんて全く関係がなさそうですが、一体どういうことなのでしょうか。
今日はキヌレニン仮説について紹介します。
1.キヌレニン仮説とは?
キヌレニン仮説とは、精神疾患の発症にキヌレニンという物質が関係しているのではないか、というひとつの仮説です。
キヌレニンとは、トリプトファンという物質から合成される物質です。キヌレニンが多くなると、グルタミン酸(NMDA)受容体に影響を与えることで神経障害を起こし、ドーパミン活性を増加させ、双極性障害や統合失調症などの原因になると推測されています。
また上図から分かるように、トリプトファンはキヌレニンの他にもセロトニンを合成するはたらきも持っています。ということは、キヌレニンの合成比率が高くなると、その分セロトニンの合成比率が低くなるため、セロトニン量が低下します。そしてセロトニンが少なくなれば、うつ病の原因にもなります。
(モノアミン仮説によれば、うつ病はセロトニンの低下が一因だと考えられています)
ここから生まれたのがキヌレニン仮説です。
キヌレニン仮説とは、何らかの原因でキヌレニンの合成が活性化されることで、統合失調症、双極性障害、うつ病などの精神疾患が発症しやすくなるのではないか、という仮説です。
実際、統合失調症や双極性障害患者さんの脳脊髄液では、キヌレニン酸(キヌレニンの代謝物)が増加していることが報告されています。
2.どんな時にキヌレニンは上昇するのか
キヌレニン仮説からは、キヌレニンの合成を促進するような状況を作ってしまうと、精神疾患が発症しやすくなることが言えます。
では、具体的にキヌレニンの合成を促進する状況とはどんな状況なのでしょうか。
キヌレニン経路が促進される状況として「慢性炎症」が指摘されています。身体の一部あるいは全体が炎症を起こしており、それが長期間続いていると、どうやらキヌレニン経路が促進され、キヌレニンの増加、そしてそれに伴うセロトニンの低下が起こるようなのです。
では、私たちの身体はどんな時に慢性炎症を来すのでしょうか。慢性炎症を来す一例を見てみましょう。
Ⅰ.肥満
肥満は慢性炎症を生じると考えられています。
肥満というのは、脂肪が過剰に蓄積される状態です。脂肪細胞からは炎症性の生理活性物質(TNFαなど)が分泌されることが知られています。つまり、過剰な脂肪細胞の存在は慢性炎症を引き起こしてしまうのです。
キヌレニン仮説に従えば、脂肪細胞が増えすぎると身体全体に軽度の炎症が生じるため、キヌレニン経路が活性化されて精神疾患が増悪してしまうことになります。
Ⅱ.腸内細菌の乱れ
私たちの腸管には、腸内細菌が常在しています。人間の腸内には100兆個以上の腸内細菌がいると言われています。
「細菌」と言うと身体に悪いもののような印象を受けますが、腸内細菌は悪者ではありません。腸内細菌は、腸内で腸内フローラという生態系を維持することで腸内のバランスを保ち、私たちが健康に生活できることに貢献しているのです。
腸内細菌がバランスよく生育しているおかげで、私たちの腸内は余計な雑菌は生育しにくいようになっています。また腸内細菌は、腸内に入ってきた食べ物を人が吸収しやすいように分解してくれるはたらきを持つものもあります。
腸内細菌のバランスが乱れると、余計な雑菌が繁殖してしまい、腸管を中心に炎症が起こります。その状態が長く続けば慢性炎症に至り、キヌレニン経路が活性化され、精神疾患が増悪してしまうということになります。
Ⅲ.ストレス
ストレスも炎症の原因になります。
ストレスを受けると、脳内からの炎症性の生理活性物質の分泌が増加することが知られています。それが続けば慢性炎症の原因になります。
分かりやすい例としては、ストレスが続くと微熱が出てしまう人がいますね。これは身体が慢性炎症を起こしているからなのです。
つまり、長期間ストレスに晒されると慢性炎症が起き、キヌレニン経路が活性化し、精神疾患が増悪してしまうことになります。
3.キヌレニン仮説から考えるメンタルヘルス
キヌレニン仮説から考えると、
- 肥満
- 腸内細菌の乱れ
- ストレス
など、慢性炎症を引き起こす状態は、精神衛生上良くないということになります。
キヌレニンの増加・セロトニンの低下を引き起こし、それにより精神疾患を増悪させてしまうからです。
これを改善するには、
- 適度な運動
- バランスの良い食事
- 規則正しい生活
- 適度なストレスの環境
を心がける必要があります。
このように見てみると、特に目新しいようなことではありませんね。「うつ病には運動が良い」「食事のバランスが大事だ」なんて、今まで言われていたようなことです。既存の健康に良いと言われる生活習慣はやはりメンタルヘルス上も良いのだとキヌレニン仮説からも言うことができます。
適度な運動そして規則正しい食生活は、肥満改善には必須の事です。
「うつ病には規則正しい食生活が良い」「うつ病には運動が有効だ」ということは以前から言われていましたが、キヌレニン仮説からみてもやはり有効だということが再確認できます。それは、肥満改善や腸内細菌の適正化を促すことによって慢性炎症を改善させ、キヌレニンの低下、セロトニンの増加を促すからです。
また、過剰なストレスも慢性炎症の原因になります。「過剰なストレスはメンタルヘルス上良くない」という事は感覚的に誰もが分かっていることでしたが、キヌレニン仮説から見ても、これは正しいことが分かりますね。ストレスを適正化することは慢性炎症を改善させるからです。
4.キヌレニン仮説の注意点と今後の展望
キヌレニン仮説からは、
腸内細菌を整えたり肥満を改善させると、統合失調症、双極性障害、うつ病などに良い
ということが言えます。
しかしこれは現時点では「仮説」に過ぎないことは注意しなければいけません。
キヌレニン仮説は「絶対的なもの」ではなく、「そうかもしれない」という仮説に過ぎません。しかし仮説とは言っても、いくつかの研究結果ではキヌレニン仮説を支持する結果が出ていますし、臨床の実感からしても大きくはずれた仮説だとは感じません。
これから更に研究が進み、精神疾患の原因の真実にたどり着くことを願っています。
キヌレニン仮説が正しいのであれば、慢性炎症を抑えることは精神疾患の改善につながると言えます。
もしかしたら将来的には整腸剤タイプの向精神薬や、抗炎症剤タイプの抗精神病薬も生まれるのかもしれませんね。