専門的な用語というのは、その分野に関係のない方にとっては非常に分かりにくいものです。
医学用語も同様で、患者さんからすると「意味がよく分からない」という用語は非常に多いと思われます。私たちも、なるべく患者さんに分かりやすいような説明を心がけてはいるのですが、いつも使い慣れている専門用語でつい説明してしまう事もあり、患者さんを困らせてしまいます。
精神科で言うと、「向精神薬」という言葉は誤解されやすい用語の1つです。似た用語に「抗精神病薬」という用語があるため、両者を混同してしまうこともあります。
向精神薬って一体どのようなお薬の事を指すのでしょうか。また抗精神病薬とは何が違うのでしょうか。
今日は向精神薬について説明させて頂きます。また抗精神病薬との違いなどもお話します。
1.向精神薬とは
向精神薬とはどんなお薬のことを指すのでしょうか。
向精神薬は、その名の通り「精神に向かっていくお薬」のことです。もっと分かりやすく言い換えると、「精神に作用するお薬」のことになります。
精神に作用するお薬は全て向精神薬になります。つまり精神科で使われるお薬は基本的に向精神薬であり、向精神薬は非常に多くのお薬を含んだ総称だということです。
精神に作用するといっても、実体のない「こころ」にお薬が直接作用することはできません。実際は、感情や認知を作り出している「脳」に作用することが精神に作用するということになります。そのため、正確に言えば「脳に作用することで精神に影響を与えるお薬」が向精神薬だということになります。
臨床的な感覚としては、「精神疾患を治療するお薬」を向精神薬だとして私たちは使いますが、正確にはそれ以外にも精神に作用する物質は向精神薬に入ります。
例えば麻薬や覚せい剤・アルコールも「精神に作用するお薬」だと言えます。「薬」として作用するというよりは、害となることの方が多い物質ですので「向精神薬」と呼ぶことに違和感は感じますが、精神に作用することに違いはありません。そのため、これらも向精神薬に含まれます。
2.向精神薬には何があるのか?
精神に作用するお薬というのは非常にたくさんあります。そのため向精神薬も非常に多くのお薬を含んだ概念となっています。
具体的に向精神薬にはどのような種類があるのでしょうか。ここでは精神疾患の治療に使われる主な向精神薬を紹介します。
Ⅰ.抗うつ剤
主にうつ病や不安障害(パニック障害、社交不安障害、全般性不安障害など)、強迫性障害、PTSDなどの治療薬として使われる抗うつ剤も向精神薬の1つになります。
代表的な抗うつ剤を古いものから挙げると、
- 三環系抗うつ剤(TCA)
- 四環系抗うつ剤
- SSRI
- SNRI
- NaSSA
などがあります。
基本的に古いものほど副作用が多くなっています。SSRI、SNRI、NaSSAの3つは新規抗うつ剤と呼ばれています。これらは安全性が比較的高いため、まず最初に用いられている抗うつ剤になります。
抗うつ剤がどのように精神に作用しているかというと、主に脳のモノアミンを増やすはたらきがあります。
モノアミンとは、「セロトニン」「ノルアドレナリン」「ドーパミン」などの気分に影響する神経伝達物質のことです。セロトニンは落ち込みや不安に関係し、ノルアドレナリンは意欲や気力に関係し、ドーパミンは楽しみや快楽に関係すると言われています。
抗うつ剤は、「脳のモノアミンを増やす方向に作用する」という意味で向精神薬だと言えます。
Ⅱ.抗不安薬
抗不安薬は、不安・緊張・恐怖などを軽減させる作用を持つお薬です。不安障害の治療の他、その他の精神疾患においても補助的に用いられることがあります。
現在では主に「ベンゾジアゼピン系」と呼ばれる抗不安薬が用いられる事が多いのですが、ベンゾジアゼピン系抗不安薬は脳のGABA受容体(特にGABA-A受容体)のはたらきを増強することで、抗不安作用を発揮します。
GABA受容体の刺激は、
- 抗不安作用(不安を和らげる)
- 筋弛緩作用(筋肉の緊張を和らげる)
- 催眠作用(眠くする)
- 抗けいれん作用(けいれんを抑える)
といった4つの作用を来たすため、抗不安薬は抗不安作用以外の効果も狙って投与されることがあります。
ベンゾジアゼピン系抗不安薬以外では、セディール(一般名ダンドスピロン)というお薬があります。セディールは「セロトニン1A部分作動薬」と呼ばれ、脳のセロトニン1A受容体という部位に作用することで抗不安作用を発揮します。その効果は弱く穏やかな効きですが、副作用も少なく、特にベンゾジアゼピン系で問題となるような耐性・依存性も生じません。
このように、抗不安薬も「脳のGABA受容体やセロトニン1A受容体に作用する」という意味で向精神薬だと言えます。
Ⅲ.睡眠薬
睡眠薬は主に催眠作用(眠らせる作用)を持つお薬のことです。
代表的な睡眠薬を古いものから挙げると、
- バルビツール酸系睡眠薬
- ベンゾジアゼピン系睡眠薬
- 非ベンゾジアゼピン系睡眠薬
- メラトニン受容体作動薬
- オレキシン受容体拮抗薬
などがあります。
バルビツール酸系は昔に使われていた睡眠薬で、その副作用の重篤さから現在ではほとんど用いられていません。バルビツール酸系は脳のGABA受容体を強力に増強することで催眠作用を発揮すると考えられています。
ベンゾジアゼピン系は、バルビツール酸系の副作用のを軽減させたお薬で、同じく脳のGABA受容体を増強することで催眠作用を発揮します。バルビツール酸系と異なり、命に関わるような重篤な副作用がほとんど生じないのが特徴です。
非ベンゾジアゼピン系はベンゾジアゼピン系を更に改良したようなお薬で、脳のGABA受容体のうち、睡眠に特に関係するω1受容体という部位に選択的に作用するお薬です。これにより催眠作用のみを得られ、他の余計な作用が起こりにくいのが特徴です。
メラトニン受容体作動薬は、眠気を導く「メラトニン受容体」という脳にある受容体を刺激することによって自然な眠りを促すお薬です。効果は弱めですが、安全性も高いお薬です。
オレキシン受容体拮抗薬は、脳において覚醒を維持する物質である「オレキシン」のはたらきをブロックするお薬です。覚醒させる物質がブロックされるため、眠くなるという機序になります。
それぞれ作用機序は異なりますが、いずれも脳に作用することで催眠を促しているお薬であり、これらも向精神薬と言う事が出来ます。
Ⅳ.抗精神病薬
抗精神病薬というのは、統合失調症の治療薬の事です。「精神病に対抗するようにはたらくお薬」という事で抗精神病薬という名称になっています。
抗精神病薬も多くの種類があり、それぞれ細かい作用は異なります。しかし、大きく言うと「脳のドーパミンのはたらきをブロックする」のが抗精神病薬になります。統合失調症は1つの原因として、脳のドーパミンが過剰になっていることが指摘されているため、ドーパミンのはたらきをブロックする抗精神病薬は統合失調症の治療に効果が期待できます。
抗精神病薬には第1世代(定型)と第2世代(非定型)があります。
第1世代は古い抗精神病薬で、現在ではあまり使われることはありません。「フェノチアジン系」と呼ばれるドーパミン以外にも様々な受容体をブロックする作用に優れるお薬と、「ブチロフェノン系」と呼ばれるドーパミンのみを選択的にブロックする作用に優れるお薬があります。
第2世代は比較的新しい抗精神病薬で、現在の統合失調症治療の主流となっている治療薬です。全体的に第1世代よりも精度が高くなっており、副作用が少なく統合失調症を治療することが出来ます。
SDA(セロトニン・ドーパミン拮抗薬)と呼ばれるドーパミンのみを選択的にブロックする作用に優れるお薬、MARTA(多元受容体作用抗精神病薬)と呼ばれる様々な受容体をブロックする作用に優れるお薬、DSS(ドーパミンシステムスタビライザー)あるいはDPA(ドーパミン部分作動薬)と呼ばれるドーパミンの量を適量に調節する作用に優れるお薬などがあります。
それぞれ長所・短所があるため、患者さんの状態に応じて使い分けます。
いずれの抗精神病薬も「脳のドーパミンのはたらきをブロックする」作用を持つという意味で、向精神薬だと言えます。
しかし近年では、統合失調症の事を「精神病」と呼ぶことはありませんし、抗精神病薬は統合失調症だけでなく双極性障害など他の疾患にも有効な事が分かってきています。そのため「抗精神病薬」という名称自体、実は時代遅れの名称になってきています。
統合失調症は昔、「精神分裂病」と呼ばれていました。しかしこの名称は患者さんへの偏見・誤解につながるという理由から、統合失調症に名称が変わりました。同じ理由で抗精神病薬という名称も今となっては適切な名称だとは言えません。
Ⅴ.気分安定薬
気分安定薬は気分の波を取る作用に優れるお薬で、主に双極性障害(躁うつ病)に用いられるお薬です。
気分安定薬はその作用機序が明確には分かっていないものが多いのですが、脳に何らかの作用を来たして気分の波を抑えていることは間違いありません。
脳神経を保護するはたらきがあり、それによって気分の波を抑えられているのではないか、などとも指摘されています。
気分安定薬も、脳に何らかの作用を来たして気分の波を抑えているという事から向精神薬という事が出来ます。
Ⅵ.その他
その他、精神科以外でも扱われる治療薬ですが、
- 抗認知症薬
- 抗パーキンソン病薬
- 抗てんかん薬
- 精神刺激薬
なども、精神に作用するお薬だと言えますので、向精神薬になります。
抗認知症薬は認知症の進行を緩やかにするお薬です。
コリンエステラーゼ阻害薬と呼ばれる、脳のコリンエステラーゼという「アセチルコリン」を分解する酵素のはたらきをブロックするお薬は、脳のアセチルコリン量を増やすことで認知症の進行を緩やかにします。
またNMDA受容体拮抗薬と呼ばれるお薬は、脳のグルタミン酸のはたらきをブロックすることで神経を守り、認知症の進行を緩やかにします。
抗パーキンソン病薬は、パーキンソン病の治療薬として使われます。パーキンソン病は脳のドーパミンが少なくなりすぎて生じるため、脳のドーパミンを増やしてあげるお薬になります。
抗てんかん薬は、てんかんを抑えるお薬です。これも脳に作用して脳神経を保護することでてんかんを抑えます。
精神刺激薬は、脳のはたらきを活性化させるお薬のことです。ナルコレプシーやADHD(注意欠陥・多動性障害)などに用いられます。覚せい剤と似た機序を持つものもあり、使用には注意が必要です。
いずれも精神に作用するお薬だと考えられ、これらも向精神薬と言えます。
3.向精神薬と抗精神病薬の違い
向精神薬と混同しやすい用語として「抗精神病薬」があります。両者は名前が良く似ていますね。
向精神薬と抗精神病薬は何が違うのでしょうか。
先ほどもお話した通り、向精神薬は「精神に作用するお薬」の全てを指します。
対して抗精神病薬は、向精神薬の中でもドーパミンをブロックする作用に優れるお薬のことで、主に統合失調症の治療に使われるお薬の事を指します。
つまり向精神薬の中の1つに抗精神病薬がある、という位置づけになり、両者はまったく意味が異なる用語となります。
先ほども書いたように「抗精神病薬」という名称は、現在においては適切な名称ではないため、本来であれば今後は変えていくべきものになります。