最近はあまり聞かなくなりましたが、昔の精神医学には「精神病(せいしんびょう)」という概念がありました。
古い概念であるため、医学の発展とともにほとんど使われなくなりましたが、現在でも一部の診断基準には「精神病」という概念が残っており、
「精神病性の特徴を伴ううつ病」
「気分に一致する精神病性の特徴を伴う双極性障害」
などのように使われています。
「精神病」というと「精神科の病気の総称(=精神疾患)」だと誤解されがちですが、実は「精神病」と「精神疾患」というのは正確には異なる概念になります。
ではこの「精神病」というのは、どのような状態なのでしょうか。そして「精神疾患」とはどのように異なるのでしょうか。
「精神病」という概念はどのような意味があって作られ、なぜ現在では使われなくなってきたのでしょうか。
ここでは「精神病」という概念について詳しく説明させていただきます。
1.精神病とは
精神病とは何でしょうか。
答えから言ってしまうと精神病とは、「幻覚や妄想といった症状をきたしている状態」を表しています。
幻覚というのは、「本来であれば、ないはずの知覚を体験する」症状の事で、幻の知覚全てを含み、
・幻視(本来ないはずのものが見える)
・幻聴(本来聞こえないものが聞こえる)
・幻臭(本来臭わないものが臭う)
・幻味(本来感じないはずの味を感じる)
などがあります。
妄想というのは、「本来であればあるはずのない事をあると思い込むこと」です。どこからを「妄想」と判断するのかは難しいところなのですが、その文化における一般的な常識と照らし合わせて非現実的・非合理的なものが「妄想」になります。
例えば今の日本で「私は神の生まれ変わりなのだ」と突然訴える人がいれば「妄想」だと判断される可能性は高いでしょう。しかし同じ内容を、宗教の影響が強い国の偉い人が突然訴えたのであれば、場合によってはこれは妄想とはされないかもしれません。
幻覚も妄想も、「現実見当識が低下している状態(現状を正確に認識できない状態)」です。このような状態になってしまうのが「精神病」なのです。
本来見えないものが見えるようになったり(幻視)、本来聞こえないものが聞こえるようになったり(幻聴)、一般的な常識で考えれば明らかにありえない事を信じ込んでいる(妄想)人というのは、周囲から見ると全く理解できない言動をとります。
そのため、医学が発展していなかった当時は「精神がおかしくなっている」と考えられ、そこから「精神の病気」=「精神病」と呼ばれるようになったのです。
ちなみに「精神病」という用語が使われていた時代では、精神疾患は大きく「神経症」と「精神病」の2つに分けられていました。
神経症(Neurose:ノイローゼ)というのは「神経衰弱症」とも呼ばれ、こころが衰弱してしまっている状態です。こころが疲弊してしまう事で、不安や抑うつ、イライラなど種々の精神症状が認められ、これは現在でいう不安障害やうつ病などに該当します。
神経症でも精神的な症状は認めますが、周囲にとって全く理解不能な症状を取る事は少ないため、精神病よりは重篤ではない状態と考えられていました。
一方で、「精神病(Psychosis)」というのは神経症よりも重篤な状態であり、周囲にとって理解困難な症状をきたすようになる状態の事です。幻覚や妄想などが認められ、これは現在でいう統合失調症や双極性障害などが該当します。
しかし、この「神経症」「精神病」というざっくりとした分類は、様々な原因で生じる精神疾患を無理矢理に二分したものに過ぎず、精神医学が発展した現代においてはほとんど用いられなくなっています。
原因や治療法が異なる様々な精神疾患を「精神病症状があるか」「重症度が高いかどうか」で分けており、医学的に見てあまり意義のある分類法とは言えません。
そのため現在では「精神病」という用語は使われなくなっているのです。同様に「神経症」という用語もあまり使われなくなってきています。
ただし現在でも昔の名残として、「精神病」という用語が使われる場面がいくかあります。
例えば、通常のうつ病は幻覚や妄想を伴わない事が多いのですが、中には幻覚・妄想を伴ううつ病もあります。このようなうつ病は「精神病性の特徴を伴ううつ病」と表現されます。
「精神病性の特徴を伴う」というのはつまり、「幻覚や妄想を伴う」という意味になります。
また、統合失調症の治療に使われるお薬は「抗精神病薬」と呼ばれます。実はこの名称も元々は「精神病を治療するためのお薬」という意味で名付けられています。
統合失調症は精神病性の症状を伴う事が多いのですが、統合失調症以外でも精神病は生じます。厳密に言えば「統合失調症」=「精神病」ではないため、統合失調症の治療薬を「抗精神病薬」と呼ぶのは本来はおかしいのですが、昔からの流れがあり、現在でもこのように呼ばれているのです。
2.「精神病」と「精神疾患」は同じ意味ではない
精神病というのは昔の概念で、「幻覚や妄想をきたすような状態」を指します。
対して、精神疾患というのは、精神科的な疾患全般を指します。
精神病は精神疾患の中の一部に過ぎませんが、「精神病」=「精神疾患」という意味で用いられてしまっている事があります。これは正確に言えばあやまりです。
精神疾患は、精神科的な疾患を総称する用語で、
- 統合失調症
- 双極性障害
- うつ病
- 不安障害
- 強迫性障害
- 外傷後ストレス障害
- パーソナリティ障害
- 解離性障害
- 器質性精神障害
などなど様々な疾患を含みます。
対して精神病というのは、上記の疾患の中で「幻覚・妄想といった症状を認める状態」に対してのみ使われます。
そもそも精神病という概念が昔の概念であり、現在ではあまり用いるべきではありません。
3.精神病に該当する疾患
精神病は幻覚や妄想が認められる状態です。
幻覚や妄想というのは、周囲から見ればそれが幻覚や妄想だというのは明らかですが、患者さん本人はそれを「本来は存在しないもの」だとは思っていません。本人にとっては実在している感覚や現象なのです。
幻覚や妄想が生じている人というのは「現実見当識(現状を正しく認識する力)」が障害されていると言えます。
ではどのような状態をきたす疾患にはどのようなものがあるのでしょうか。
精神病は精神疾患であればどの疾患でも出現する可能性がありますが、特に精神病をきたす事が多い代表的な疾患をいくつか紹介します。
Ⅰ.統合失調症
精神病症状をきたす代表的な疾患として統合失調症が挙げられます。
統合失調症では、何らかの原因によって脳のドーパミンが過剰になってしまい、幻覚や妄想が出現すると考えられています。
統合失調症は、急性期はドーパミン過剰となり幻覚妄想状態となりますが、慢性期になると反対にドーパミン量が低下し、活動性が低下してこもりがちになってしまう「無為自閉」や、感情表出が乏しくなる「感情鈍麻」、意欲消失などが認められるようになります。
統合失調症で認められる精神病症状としては、
- 幻聴・・・本来聞こえないはずの声が聞こえる
- 被害妄想・・・自分が他者から被害を受けているという妄想
- 誇大妄想・・・自分を過剰に高く評価する妄想
などがあります。
Ⅱ.双極性障害
双極性障害(いわゆる躁うつ病)も、精神病症状が認められる事の多い疾患です。
双極性障害は気分が異常に高揚する「躁状態」と、気分が異常に低下する「うつ状態」、そして気分が正常範囲内に治まる「寛解期」を繰り返す疾患です。
このうち精神病症状がもっとも顕著になるのが躁状態です。
躁状態では、爽快気分(気分が晴れ晴れとする)や万能感(自分は何でもできるような気分になる)などから、
- 誇大妄想・・・自分は過剰に高く評価する妄想
が多く認められます。皇室妄想(実は皇室の血を引いている)や血統妄想(自分は有名な由緒正しい家系の人間だ)といった妄想に至る事もあります。
反対に、うつ状態では自己評価の低下から、
- 微小妄想・・・自分を過剰に低くする妄想
が認められます。
微小妄想は、「心気妄想(自分は何か重大な病気にかかってしまっている)」、「罪業妄想(自分は何か取返しのつかない罪を犯している)」、「貧困妄想(自分には全くお金がない)」といった3つの妄想が代表的です。
Ⅲ.うつ病
うつ病は、精神エネルギーが低下してしまい、気分が全体的に低下してしまう疾患です。
典型的には、
- 抑うつ気分・・・気分が落ち込む
- 興味と喜びの喪失・・・何にも関心を持てない。何も楽しめない
- 疲労感・・・疲れが取れない
といった症状が中核になり、精神病症状は認められない事が多いのですが、中には出現するケースもあります。
うつ病での精神病症状は、双極性障害のうつ状態と同じく「微小妄想」が認められる事が一般的です。
Ⅳ.覚せい剤精神病
いわゆる「覚せい剤」などの精神刺激薬を乱用する事によって生じる精神疾患です。
精神刺激薬とは、脳の覚醒度を高める作用を持つお薬です。その作用は脳のドーパミンを活性化させると考えられており、人工的に統合失調症のような状態を作り出してしまいます。
これによって精神病症状が生じる事があります。
精神刺激薬精神病によって生じる精神病症状は、統合失調症と類似しており、
- 幻聴
- 被害妄想
- 誇大妄想
などがあります。また、幻視(本来見えないものが見える事)を認める事もあります。
4.精神病の治療
精神病はどのように治療すればいいのでしょうか。
まず精神病は様々な疾患で生じるため、その治療法は一辺倒ではありません。どのような疾患が背景にあって生じているのかによって治療法も異なってきます。
基本的に精神病症状は病識がない事が特徴です。病識というのは「自分が病気だという認識」の事です。幻覚や妄想は他者から見れば明らかに幻覚・妄想なのですが、患者さん本人からすれば「真実」であり、自分が真実であり周囲こそおかしいのだと考えます。
そのため、説得やカウンセリングといった方法は精神病症状の急性期にはほぼ無効です。
急性期の精神病症状を治療するには「お薬」は有効ですが、それ以外でしっかりと効果が得られるものは少なく、基本的にはお薬で治療を行います。
治療が成功すると「あれは幻覚・妄想だったのだ」と患者さんが気付くようになる事もあります。このような状態になれば、疾患教育や精神療法(カウンセリングなど)といったお薬以外の治療法も有効になってきます。
では精神病にはどのようなお薬が有効なのでしょうか。
基本的には、統合失調症の治療に用いる「抗精神病薬」が有効です。
抗精神病薬は脳のドーパミンを抑える作用を持ちます。精神病症状の多くは、脳のドーパミン過剰によって生じていますので、これを抑える抗精神病薬は精神病の改善に効果が期待できるのです。
抗精神病薬にもいくつかの種類があります。
大きく分けると、1950年頃から使われている古い第1世代抗精神病薬と、1990年頃から使われている比較的新しい第2世代抗精神病薬があります。
両者の違いは、
- 幻覚・妄想を抑える力はどちらも同程度
- 第2世代の方が、統合失調症の陰性症状や認知機能障害にも効果が期待できる
- 第2世代の方が副作用が全体的に少ない
- 第2世代の方が重篤な副作用が起こりにくい
- 第2世代の方がメタボリックな副作用が起こりやすい
というものがあります。
全体的には第2世代の方が効果に優れ、副作用が少ないため、基本的には第2世代抗精神病薬から使うようにします。ただし第2世代のデメリットとしてメタボリックな副作用が多い(太ったり血糖やコレステロールを増やしやすい)ため、その点は注意が必要です。
また原疾患によっては、その疾患の治療薬が有効であることもあります。
例えば双極性障害で精神病症状を認める場合は「気分安定薬」が有効な事もありますし、うつ病で精神病症状を認める場合は「抗うつ剤」が有効な事もあります。