こころの不調があって精神科やメンタルクリニックへの受診を考えた時、「出来るだけ良い先生に診てもらいたい」というのは誰もが希望する事です。
しかし受診するクリニックの先生の人柄や特徴について調べようとしても、得られる情報量というのは多くはありません。せいぜい、クリニックのサイトに掲載されている先生のプロフィールくらいではないでしょうか。
自分を診察してくれる先生がどんな人なのかは、実際に診察室に入ってみないと分かりません。そのため「怖い先生だったらどうしよう」「先生に話したい事を話せるだろうか」と、はじめての診察の前はみなさん不安を感じていると聞きます。
先生について少しでも情報を得ようとプロフィール欄を見ると、保有資格に「精神保健指定医」と書かれている事がよくあります。
この精神保健指定医ってどんな資格なのでしょうか。
普段から精神科領域に携わっていない一般の方からすると、「精神保健指定医って何?」「この資格ってどんな意味があるの?」「この資格を持っているというのはどういう事なの?」とこの資格を持っている先生がどのような特徴を持っているのかが良く分かりません。
精神保健指定医を持っている先生が良い先生なのでしょうか。やっぱり精神保健指定医を取得している先生に診てもらった方がいいのでしょうか。
ここでは精神保健指定医という資格がどのような資格であり、精神保健指定医の先生に対してどのような事が言えるのかをお話させていただきます。
目次
1.精神保健指定医って何?
精神保健指定医とは、どのような資格なのでしょうか。
結論から言ってしまうと精神保健指定医とは、「法に基づいて強制入院をさせる権限を持つ精神科医」になります。
強制入院というのは、患者さんが入院を拒否しても、精神保健指定医が入院の必要があると判断した場合、患者さんの意向に反して強制的に行われる入院です。
具体的には、
- 応急入院
- 医療保護入院
- 緊急措置入院
- 措置入院
などが強制入院に該当します。
精神疾患は他の身体疾患と異なる特徴があります。それは患者さんが「自分が今、病気の状態であるという事を認識できない」ことがある事です。
例えば統合失調症という疾患では、症状として被害妄想が出現する事があります。被害妄想は、「(実際はそんな事ないのに)自分が何らかの被害を受けている」と確信してしまう事です。
「自分は〇〇さんからイヤがらせを受けている」という現実的なものから、「自分は米国のスパイに狙われている」といった現実味の低いものまで、被害妄想の内容は人によって様々です。
この被害妄想は周囲にとっては妄想ですが、本人にとっては「事実」に映っています。そのため「それは被害妄想だから治療して治しましょう」と患者さんに提案しても、納得してくれる事はありません。
被害妄想の内容は、患者さんにとっては確かな事実として映っているのですから、治療なんて必要ないと考えます。むしろ「病気じゃないのに病気扱いしやがって!」と怒ってしまう事も珍しくありません。
しかし本人が「治療は必要ない」と言っているからとそのまま疾患を放置してしまったら、患者さんは「イヤがらせを受けているから」と被害妄想の対象者を攻撃してしまうかもしれませんし、被害妄想から自宅に引きこもりになってしまったりするかもしれません。その被害は小さくありません。
このような場合は、本人の将来を保護し、周囲の安全を確保するために、本人が治療を拒否していたとしても強制的に入院させて治療をすべきです。
このような時に発動するのが強制入院です。
強制入院は、本人の「入院したくない」という権利を剥奪する行為であり、人権の侵害に当たります。そのため一般的な医師はこのような強制入院を行ってはいけません。
しかし精神疾患の治療を考えた場合、このような強制入院を行える権限を持った医師は必要です。そこで作られたのが「精神保健指定医」なのです。
医師の中でも精神保健指定医だけ、法律に基づいて強制入院をさせる事ができます、ただし、どんな患者さんにでも強制入院を行えるわけではありません。あくまでも法律に則って、対象となる方にのみ、発動する事が出来ます。
医師には精神保健指定医の他にも、専門医・認定医などと呼ばれる専門資格が数多く存在します。
精神科領域で言えば、精神保健指定医の他にも「精神科専門医」という資格を持っている医師もいます。
また精神科領域以外でも医師の専門資格は数多く存在し、一例を挙げるだけでも、
- 内科認定医
- 麻酔科標榜医
- 母体保護法指定医
- 総合内科専門医
- 小児科専門医
- 産婦人科専門医
- 呼吸器科専門医
- 循環器科専門医 ・・・
などなど、数えきれないほどたくさんの資格があります。
精神保健指定医もこのような専門資格の1つなのですが、他の専門資格とは異なる点がいくつかあります。
まず精神保健指定医は「国家資格」であり、その点で他の専門資格と異なります。ちなみに他の専門資格のほとんどは各学会において認定されている民間資格になります。
また他の専門資格のほとんどは、持っていれば「箔が付く」「自分がその領域の専門家だとアピールできる」といった効果はあるものの、それによって行える診療の範囲が広がったり、他の医師が出来ないような特殊な診療が行えるようになるなどといった実質的な権限の追加はありません。
しかし精神保健指定医は「強制入院」という他の医師には行えない医療行為を行う事が認められ、持っているかどうかで行える医療行為に差が出てくる資格になります。
そのため特に精神疾患の入院治療を行うような病院に勤務している精神科医にとっては、精神保健指定医は実務上必要な資格になります。反対に入院治療を行わないクリニックのような医療機関に勤務している精神科医にとっては、精神保健指定医の実務上の必要性はあまりありません。
2.精神保健指定医はどうやったら取得できるの?
医師のプロフィールに「精神保健指定医」と書かれていると、何だか立派な資格を持っている先生のように見えます。
もちろん精神保健指定医は「強制入院」という他の医師には認められていない権限を持つ立派な資格なのですが、ではこの資格はどうすれば取得する事が出来るのでしょうか。
精神保健指定医を取得するためには、次の条件を満たす必要があります。
- 医師として5年以上、精神科医として3年以上の実務経験
- 精神保健指定医研修会の受講
- 代表的な精神疾患の入院患者さんの診療レポートを提出(8症例)
まず「医師として5年以上の経験を積んでいる事」「精神科医として3年以上の経験を積んでいる事」が第一条件です。医師になったら最初の2年間は研修医となりますので、その後精神科で3年以上の経験を積まないと精神保健指定医の受験資格は得られません。
必要な年数に達したら、次に「精神保健指定医研修会」という3日間の講習を受けないといけません。この講習では精神科領域の現状や精神保健指定医申請の方法、精神疾患に関係する法律についてなどを学びます。精神保健指定医は精神保健福祉法という法律に基づいて強制入院を行う資格ですので、法律についてもしっかりと理解する必要があるのです。
講習を受けたら、その後1年以内に主要な精神疾患の入院患者さんを担当医し、8つの症例レポートを提出しないといけません。
主要な精神疾患とは、統合失調症、気分障害、中毒性精神障害(アルコール、薬物、覚せい剤など)、児童思春期症例、老年期精神障害(認知症など)、器質性精神障害(脳腫瘍など)などがあり、これらの症例に対して医療保護入院例のレポートを書く必要があります。またそれ以外にも措置入院または医療観察法入院の症例レポートも必要になります。
ちなみにこの症例レポートは、ただ一生懸命患者さんを診察して治療したという事を記載しただけでは合格できません。精神保健指定医に重要なのは医療的能力だけでなく、精神保健福祉法を正しく理解し、法に基づいて強制入院を正しく理解・実行出来ているかです。
症例レポートを書いている時点では、まだその先生は指定医ではありませんので強制入院をさせる事はできませんが、精神保健指定医の資格を持つ指導医が強制入院を発動し、その担当医として精神保健指定医の取得を希望する先生が治療を行い、その経過のレポートを書きます。
精神保健指定医の合格率は50~60%と言われており、これは他の専門医試験の合格率より低めです。不合格者の多くは医療的能力が低いというわけではなく、法律に対する理解不足が原因だと言われています。
受験するのは5年以上の臨床経験を積んでいる医師達ですから、みなさん医療的な能力は低くはありません。しかし医師は医学知識には優れていますが、どうも法律知識などには疎いようです。
3.「精神保健指定医取得」から患者さんが分かる事
「精神保健指定医を取得しています」という先生がいたとして、患者さんはそこから先生の情報について何を得る事が出来るのでしょうか。
「精神保健指定医を持っているという事は、〇〇な先生」と主治医を決めるに当たって有用な情報となるのでしょうか。
精神保健指定医は「法律に基づいて患者さんを強制入院させる事が出来る資格」です。
逆に言えば強制入院が発動されない状況においては、精神保健指定医とそれ以外の精神科医には何も実質的な差はありません。また仮に強制入院が発動される状況であったとしても、その先生以外にも病院に別に精神保健指定医がいれば、その先生に発動してもらえばいいだけですので、そこまで困る事はありません。
つまり精神保健指定医を持っているからといって、
「精神科医としての能力が高い先生」
「患者さんの話をしっかり聞いてくれる先生」
「精神科の治療薬について精通している先生」
というわけでは必ずしもないという事です。
「この先生は精神保健指定医を持っている」という事から患者さんが分かる事は、
「この先生は医師として5年以上、精神科医として3年以上の経験がある先生なんだ」
「この先生は代表的な精神疾患の入院治療をひと通り経験している先生なんだ」
という事くらいです。
先生の専門分野や得意分野、キャラクターなどが分かるような資格ではありません。
誤解しないでいただきたいのは、精神保健指定医を持っていれば上記の事が確実に言えるけど、逆に精神保健指定医を持っていないからといって上記を満たさないという事にはならないという事です。
精神科医として3年以上の経験があっても、代表的な精神疾患の入院治療をひと通り経験していても、精神保健指定医の取得に興味がなく、敢えて取得しない先生もいらっしゃいます。
精神保健指定医は精神科医であれば必ず取らないといけない資格ではなく、取得するかどうかはあくまでも任意だからです。
何十年の精神科医としての経験があっても精神保健指定医を取得していない先生もいらっしゃいますし、入院治療の経験が豊富でも精神保健指定医を取得しない先生もいらっしゃいます。
4.精神科専門医と精神保健指定医は何が違うの?
精神科保健指定医の他に精神科の先生がよく持っている専門資格に「精神科専門医」があります。
精神保健指定医と精神科専門医は何が違うのでしょうか。
まずは認定元が違います。
精神保健指定医は先ほどもお話した通り「国家資格」です。国が「あなたは精神保健指定医ですよ」「あなたには強制入院を発動する権限がありますよ」と認定しています。
一方で精神科専門医は「民間資格」です。日本精神神経学会という医師の団体が「あなたは精神科専門医ですよ」「あなたが精神科医として専門的な能力を持っていますよ」と認定しています。
次に実務上の違いがあります。
精神保健指定医は取得している事で、法に基づいて強制入院を行う事が許可されます。これは精神保健指定医の資格を持っていないと行えない医療行為です。
一方で精神科専門医は実務上、これを持っていないと行えないという医療行為はありません。国家資格ではなくあくまでも民間資格であるため、特殊な医療行為が認められる事はないのです。
このような背景から、精神保健指定医は精神科医であればほとんどの医師が取得しようとします。特に入院治療をするような精神科病院では、持っていないと業務上困る事があるため、必須といっても良いでしょう。また精神保健指定医を持っていると一般的な精神科医よりも診療報酬を多少高く設定する事が出来るというメリットもあります。
そのため精神保健指定医を持っている先生の給料も、そうでない先生と比べると多少増える傾向にあり、これも多くの精神科医が精神保健指定医を取得する理由の1つです。
一方で精神科専門医は「精神医学をもっと深く勉強したい」「専門医を取得する事で箔をつけたい」といった目的で取得される先生が多いです。持っているからといって、給料が上がったり、何か特殊な治療を行う事が許されるといった資格ではありません。
実務上は精神保健指定医だけあれば十分であるため、精神科専門医までは取得されない先生もいらっしゃいます。しかし精神科医として確かな知識や能力があるという事をある程度客観的に保証してくれる資格ではあるため、深く精神科を勉強している先生は取得されている方もいらっしゃいます。
5.精神保健指定医を持っている先生にかかった方がいいの?
精神保健指定医という資格の意味について説明してきました。
患者さんが一番知りたいのは、「精神保健指定医を持っている先生にかかった方がいいの?」「私の主治医は精神保健指定医を持ってないけど、医師を変えた方がいいの??」といったところではないでしょうか。
最後に「精神保健指定医を持っている先生の方が良いのか」について考えてみましょう。
結論から申しますと、主治医が精神保健指定医を持っているかどうかを患者さんが気にする必要は全くありません。
精神保健指定医を持っているから良い先生、持ってないから良くない先生という事は全くありません。
精神保健指定医はあくまでも「強制入院を発動できる」という資格であり、それ以上でもそれ以下でもありません。そのため強制入院を発動する状況においては、精神保健指定医がいないと困りますが、その他の日常的な診療場面で精神保健指定医の有無が何か診療上の支障となる事はありません。
みなさんは、先生が精神保健指定医を持っているかどうかよりも、
「自分と相性が良い先生か」
「自分の話をよく聞いてくれ、自分の事を理解してくれている先生か」
「安心して相談する事ができる先生か」
このような点を意識して主治医を選ぶようにしましょう。精神保健指定医の有無を気にするより、その方が何倍も有意義です。そして、これらを満たしている先生であれば精神保健指定医の有無を気にする必要など全くありません。
そもそも精神保健指定医は、主要な精神疾患の入院患者さんを担当しないと取得する事はできません。という事はクリニックなどで外来専門に経験を積んでいる先生は、精神保健指定医は取得できないという事です。
精神保健指定医を取得せず、クリニックで何十年も地域密着型で患者さんに寄り添った温かい医療を提供している先生もいらっしゃいます。このような先生は精神保健指定医を取得はしていませんが、では「良くない先生」なのかというとそんな事はありませんよね。
もちろん精神保健指定医を持っていて悪い事は何もなく、ないよりは合った方が良いものではあります。しかし精神保健指定医を持っていないから良くない先生だという事は全くありませんので、患者さんはこの点を誤解しないようにして下さい。
ちなみに「自分は時々統合失調症が増悪するから、強制入院を発動できる先生じゃないとまずいのではないか」と心配される方もいらっしゃるかもしれませんが、これも心配はいりません。
入院治療を行う病院には、毎日必ず1人は精神保健指定医が出勤しています。そのため、主治医が精神保健指定医でなくても、強制入院が必要な時は院内にいる精神保健指定医に連絡して、その精神保健指定医に強制入院を発動してもらえばいいだけの話です。
ただし精神科医の間では、「精神科医ならば精神保健指定医を取ってこそ一人前」という暗黙の了解もあります。精神保健指定医は国家資格である事や、出来る医療行為に差がある事、取得すると多少ですが給料も上がるという面もあるため、精神科を専門でやっていこうと考えている先生であれば、多くの先生が取得されます。
しかしこれは医師たちの間での暗黙の了解に過ぎず、実際は精神保健指定医を持っているから診療能力が高い、持っていないから低いという傾向は全くありません。