漢方薬の中には精神に作用するものがあります。
穏やかに効き、副作用が少ないという特徴を持つ漢方薬は患者さんから好まれることも多く、精神科領域でもしばしば用いられます。
イライラや不眠、動悸といった精神症状・自律神経症状に対して用いられる漢方薬の1つに「加味帰脾湯(かみきひとう)」があります。
加味帰脾湯は上記の精神・神経症状の他、女性の月経症状や食欲不振に対しても用いられる事があります。
漢方薬は多くの生薬が配合されているため、どのように使えばいいのか分かりにくいものです。しかしその特徴をしっかりと知れば、こころの健康を助けてくれる強い味方になります。
ここでは加味帰脾湯にはどんな効果や副作用があるのか、どんな人に向いているお薬なのかについてお話していきます。
1.加味帰脾湯の成分とそれぞれのはたらき
漢方薬は様々な生薬(しょうやく)が配合されています。加味帰脾湯も同様で、なんと15種類もの生薬が配合されたお薬になります。
加味帰脾湯について知るためには、まずは配合されている生薬とその代表的な作用を知りましょう。たくさんあるため分かりくく感じるかもしれませんが、それぞれの主な作用は次のようになります。
生薬 | 含有量 | 主な作用 |
人参(にんじん) | 3.0g | 胃腸を整える(健胃)、身体を温める |
黄耆(おうぎ) | 3.0g | 血圧を下げる、 尿を出す(利尿)、疲れを取り活気を与える(強壮) |
当帰(とうき) | 2.0g | 血液の流れを改善する、腸の動きを促進する |
竜眼肉(りゅうがんにく) | 3.0g | 血液を補う(養血)、疲れを取り活気を与える(強壮)、精神を鎮める(安神) |
白朮(びゃくじゅつ) | 3.0g | 胃腸を整える、水分循環を整える、精神を鎮める |
木香(もっこう) | 1.0g | 胃腸を整える、精神症状を改善させる(理気) |
茯苓(ぶくりょう) | 3.0g | 体力を増強する、尿を出す(利尿)、精神を鎮める(安神) |
遠志(おんじ) | 2.0g | 精神を鎮める(安神)、炎症を鎮める |
酸棗仁(さんそうにん) | 3.0g | 眠りに導く、精神を鎮める(安神)、疲れを取り活気を与える(強壮) |
生姜(しょうきょう) | 0.5g | 代謝を良くする(発汗)、胃腸を整える(健胃)、食欲を上げる |
甘草(かんぞう) | 1.0g | 緊張を和らげる事で痛みやけいれんを抑える |
大棗(たいそう) | 2.0g | 身体を温め緊張を和らげる、胃腸の動きを穏やかにする |
柴胡(さいこ) | 3.0g | 熱を下げる(解熱)、炎症を抑える(消炎)、肝臓の解毒作用を整える(疎肝)、気分を安定させる(解鬱) |
山梔子(さんしし) | 2.0g | 熱を取り(清熱)、のぼせやイライラ、不眠を改善する |
牡丹皮(ぼたんぴ) | 2.0g | 熱を取り(清熱)、血液の流れを改善する、イライラを鎮める |
加味帰脾湯はこれら15の生薬が配合されており、これらの作用があります。
これらの生薬を全て合計すると33.5gになりますが、これらを混ぜて乾燥させたもののうち5.0gを取り、それに添加物を加える事で計7.5g(1日使用量)としたのが加味帰脾湯になります。また製薬会社によっては「白朮(びゃくじゅつ)」の代わりに同系統の生薬である「蒼朮(そうじゅつ)」を使っているものもあります。
ではこれら15種類の生薬を配合した加味帰脾湯は、どのような漢方薬なのでしょうか。
加味帰脾湯というのは「帰脾湯(きひとう)」という漢方薬に牡丹皮、山梔子という清熱作用を持つ生薬を「加えた」ものになります。
帰脾湯は、
- 養心安神(心臓を元気にすることで精神を安定させる)
- 益気補血(血液を補う事で気力を高める)
といった作用を持ちます。
非常にざっくりと言ってしまうと、「血液を増やす」「心臓の機能を高める」という2つが帰脾湯の主作用になります。
漢方医学では、「心臓は神明(精神状態)をつかさどる」と考えられています。これは、気分が不安定になると胸が苦しくなったり動悸がしたりと、心臓の症状が出やすい事から、このように考えられるようになったのでしょう。そのため心臓を整える漢方薬は精神状態も整えると考えられるのです。
また漢方医学では、脾臓は統血(血液が血管から漏れないようにすること)をつかさどっていると考えられています。したがって脾臓のはたらきが弱ると貧血になったり不正出血が多くなり、脾臓を整えることでこれらの症状の改善が得られます。
帰脾湯は、主に心臓と脾臓のはたらきを高めることで、「養心安神(心臓を元気にすることで精神を安定させる)」「益気補血(血液を補う事で気力を高める)」を目指す漢方薬になります。
そして、これに「牡丹皮(ぼたんぴ)」と「山梔子(さんしし)」を加えたものが「加味帰脾湯」です。牡丹皮と山梔子は清熱(悪い熱を改善する)に優れる生薬です。不調の原因になる悪い熱(肝火、鬱熱など)を和らげる作用があります。これを「清熱涼血(肝臓の鬱熱を冷ますことで、気分を安定させること)」と呼びます。
*肝火:肝臓に熱がこもることで、イライラや易怒性などが出現すること
*鬱熱:身体に熱がこもることで、落ち込み・意欲低下などのうつ症状が出現すること
この清熱作用により悪い熱が取れるため、これらで生じる、
・イライラ
・不眠
・めまい・発汗などの自律神経症状
をより強く改善させてくれます。
まとめると、加味帰脾湯という漢方薬は、
- 心臓のはたらきを高める事で精神を安定される
- 脾臓のはたらきを高める事で血液を補う
- 清熱作用によって悪い熱を和らげ、上記作用をより高める
といった作用を持つお薬になります。
またそれ以外にも、脾臓は消化吸収に関係していると考えられるため、食欲不振などに用いられることもあります。
2.加味帰脾湯の証は?
漢方薬には「証」という概念があります。証は西洋医学には無い漢方独特の考え方なので、慣れないと分かりにくい概念かもしれません。
証とは、かんたんに言えば「あなたの体質」のようなものです。同じような症状でも、証(体質)が異なれば適した漢方薬も違ってくる、というのが漢方医学の考えなのです。
証にはいくつかの分け方がありますが、ここでは代表的な2つの証を見てみましょう。
まずは「虚実」という考え方があります。漢方医学では、実とは体力が強いこと、虚とは体力が弱いことを表します。「実」「虚」、そしてそれらの間である「中間」に分けられます。
次は、「寒熱」という考え方があります。これは代謝の良さや患者さん本人が自覚する身体の熱感を表します。寒熱は体温の高さではありませんので間違えてはいけません。この証も「熱」「中等」「寒」の三段階に分けて考えます。
このうち、加味帰脾湯は、
虚実:虚証
寒熱:寒証
の方にもっとも効果があると考えられています。
つまり体力が弱く、代謝が低めで熱感がないような方に向いている漢方薬だという事です。
実際に加味帰脾湯の適応には、
虚弱体質で血色の悪い人
と書かれています。虚証、寒証に向いた漢方薬だという事がここからも分かりますね。
なお漢方医学には多くの流派があり、証の考え方はそれぞれで違いがあります。「実虚」「寒熱」以外にも証はいくつかあります。しかし、このコラムは「証」を専門的に説明するものではないため、証の概念の説明はこれくらいにさせて頂きます。
3.加味帰脾湯はどのような疾患に効果があるのか
加味帰脾湯はどんな疾患に効果があるのでしょうか。
添付文書を見ると、
虚弱体質で血色の悪い人の次の諸証:
貧血、不眠症、精神不安、神経症
と書かれています。
加味帰脾湯の主な作用は、
- 養心安神(心臓を元気にすることで精神を安定させる)
- 益気補血(血液を補う事で気力を高める)
- 清熱涼血:肝臓の鬱熱を冷ますことで、気分を安定させる
の3つだと考えられています。
精神的な効果は「心臓」に作用することで得られます。先ほども説明したように漢方医学では、心臓は精神状態をつかさどると考えられているからです。また血液を補う作用は「脾臓」に作用することで得られます。これを清熱作用が更に後押しします。
心臓が弱り心血不足となると、動悸、不眠、多夢(眠りが浅くなり夢が多くなる)が出現します。脾臓が弱ると食欲低下、倦怠感、出血傾向となります。また清熱が得られなくなると、イライラや不安などが生じます。
このような特徴から、加味帰脾湯は、
- 不眠症
- 自律神経失調症(動悸、呼吸苦、胸痛、めまいなど)
- 不安障害
- 貧血
- 月経不順、不正出血
などに用いられます。
また胃腸を整える作用から、
- 食欲低下
- 倦怠感
に用いられることもあります。
もちろん、これ以外の疾患でも主治医の判断によっては使用することもあります。
4.加味帰脾湯の実際の効果
加味帰脾湯が効く疾患についてみてきましたが、実際の精神科臨床での加味帰脾湯の効果や評判はどうなのでしょうか。
「漢方薬に興味があるんですが、これって実際に効くんですか?」という事は患者さんから非常に多く頂く質問です。みなさん、安全性の高い漢方薬に興味を持っている方は多いのですが、「本当に効くのだろうか?」という不安から使用に躊躇してしまう事も多いようです。
まず、これは漢方薬全体に言えることですが、漢方薬は効果の個人差が非常に大きいです。西洋薬と異なり、特定の疾患を対象に開発されたお薬ではなく、あくまでも自然界にある生薬を配合したものであるため、ピンポイントの効果ではなく、広い効果を持つお薬だからです。
効く人には著効することもあります。しかし効かない人には全く効果を示しません。特に証から大きくはずれている患者さんや、症状の程度があまりに重度な患者さんは効果が乏しいことが多いと感じます。
強さとしても穏やかであり、飲めばガツンと不安が治まる、というものではありません。緩やかに自律神経症状を和らげていくという印象です。
即効性も乏しく、緩やかに効き始めます。抗不安薬のように即効性があって、すぐに発作をバシッととってくれるような作用は期待できません。ゆっくりと穏やかに、自然に症状を取っていってくれる印象を持ちます。
含有される生薬のうち生姜(しょうきょう)などは即効性があるのですが、これは加味帰脾湯の主作用ではないため、全体的には即効性は乏しいお薬です。生姜はいわゆる「しょうが」です。風邪を引いた時にしょうがを飲むと、すぐに身体がポカポカして食欲が出てくることがありますが、ここからも分かるように生姜には即効性があるのです。
対象患者さんは、心臓系の自律神経症状(動悸・胸痛・呼吸苦など)がある方や不眠症の方が多くを占め、どちらかというと女性に多く用いられるお薬になります。
5.加味帰脾湯の効果的な使い方
加味帰脾湯に限らず、漢方薬は食前に服薬することが推奨されています。ほとんどのお薬は食後に服薬するのに、なぜ漢方薬は食前なのでしょうか?
これは漢方薬に含まれる「配糖体」という成分が関係しています。
配糖体には糖が含まれていますが、これはこのままでは体内に吸収できない構造になっています。腸管で腸内細菌によって糖がはずされると、体内に吸収できる構造に変化し、これによって腸管から血液内へ吸収されていきます。
腸内細菌が糖をはずしてくれないと、配糖体は吸収されずにそのまま排泄されてしまうのです。
漢方薬を食後に服薬すると、腸内細菌は食物を処理するのに大忙しのため、漢方薬の配糖体をはずすヒマがありません。そのため、漢方薬の吸収効率が落ちてしまいます。空腹時であれば、食べ物がないため腸内細菌は漢方薬の配糖体をしっかり処理してくれるので、空腹時の方が好ましいと考えられているのです。
そのため、漢方薬は可能であれば食前に服薬しましょう。
しかし他のお薬のほとんどは食後に服薬するため、漢方薬だけ食前だと服薬の手間が煩雑になってしまいます。この場合は主治医と相談の上、漢方薬も食後に服薬することもあります。上記のように理論上は食前の服薬が良いのですが、実際には食前でも食後でもそこまで大きな効果の差はないと指摘する専門家もいます。
また、服薬回数は1日2~3回に分けて服薬することが推奨されています。
6.加味帰脾湯の副作用
漢方薬には副作用がないから安全と考えている方がいますが、本当にそうなのでしょうか。
確かに漢方薬は化学的な物質ではなく生薬から作られているため、副作用が少ないのは事実です。
しかし副作用が全く生じないわけではありません。
それどころか、頻度は稀ですが命に関わるような副作用が発現してしまう事もあります。
「漢方薬だから絶対に安心」という考えは間違いで、漢方薬は副作用は少ないけども、お薬であるため副作用には一定の注意は必要です。「安全だ」と安易に考えるのではなく、その効果と副作用をしっかりと理解したうえで使うようにしましょう。
では加味帰脾湯で注意すべき副作用にはどのようなものがあるのでしょうか。
報告のある副作用としては、
- 発疹、蕁麻疹
- 食欲不振
- 胃部不快感
- 悪心
- 腹痛
- 下痢
などがあります。頻度は多くなく、また程度も軽いものがほとんどです。
胃腸系の副作用は、加味帰脾湯に含まれる「当帰(とうき)」「山梔子(さんしし)」「酸棗仁(さんそうにん)」が原因です。これらは食欲低下、吐き気、腹痛、下痢といった副作用を時々起こすことが知られています。
また発疹や蕁麻疹は加味帰脾湯に含まれる「人参(にんじん)」で生じる可能性のある副作用です。
また稀ですが注意すべき重篤な副作用として「偽性アルドステロン症」を知っておく必要があります。偽性アルドステロン症は臨床でたまに見かける副作用で、見逃してしまうと患者さんに苦しい思いをさせることになってしまいます。
偽性アルドステロン症は、「甘草(かんぞう)」を含む漢方薬に認められる副作用です。甘草は「グリチルリチン」という成分を含みますが、このグリチルリチンは「アルドステロン」というホルモンと似たようなはたらきをします。
アルドステロンは身体の中のナトリウムを増やし、反対にカリウムを減らす作用があります。
甘草によってこのアルドステロン様の作用が強くなりすぎてしまうと、身体のカリウムが必要以上に失われ、「高ナトリウム血症」「低カリウム血症」になります。
ナトリウムは水を一緒に引っ張る作用があるため、高ナトリウム血症になると血圧が上がり、むくみ(浮腫)が強くなります。カリウムは筋力や心臓の収縮に関わっているため、低カリウムになると力が入りにくくなったり、けいれんするようになったり、尿がたくさん出るようになってしまったり、不整脈が出るようになってしまいます。
これが偽性アルドステロン症です。
偽性アルドステロン症を見逃さないためには、何よりもまず服用している患者さんが偽性アルドステロン症について知っておくことが大切です。その上で、むくみや血圧上昇、力の入りにくさやけいれんなどが出るようになったらすぐに主治医に報告することです。
また加味帰脾湯を服用の間は定期的に血液検査をしてナトリウムやカリウムの値をチェックすることも大切です。