醜形恐怖症はどのような原因で生じるのか

醜形恐怖症(身体醜形障害)は、自分の容姿に対して偏ったこだわりが生じてしまい、一般的に見れば全く問題のない容姿であるにも関わらず「自分は醜い」と感じてしまう疾患です。

醜形恐怖症では、ただ「自分が醜い」と感じるだけではありません。それにより精神的に大きな苦痛が生じ、また日常生活にも支障を来たすようになります。

醜形恐怖症の症状は、一般的な感覚からすると「何でそう感じるのか分からない」と理解に苦しむかもしれません。全く問題のないような容姿の方が「私は醜いんです」と真剣に悩んでいるからです。

しかし多くの場合、醜形恐怖症が生じる根本を探っていくと、発症してしまうような確かな原因があります。

今日は醜形恐怖症がなぜ発症してしまうのか、その原因についてお話させて頂きます。

 

1.なぜ自分を「醜い」と感じるのか

醜形恐怖症は客観的に見れば問題のない容姿の方が、「自分は醜い」と悩み苦しむ疾患です。「身体醜形障害」と呼ばれる事もあります。

本人は自分が醜い事をひどく悩み、恥ずかしくて学校に行けなくなったり、外に出ることが出来なくなってしまいます。また「少しでも治したい」という気持ちから、本来であれば不要な美容手術を繰り返す事もあります。

一般的に見れば醜い容姿でもないのに、「自分は醜い」と悩んでいる。これは周囲からすると理解に苦しむかもしれません。

そのため周囲は、

「別に醜くなんてないじゃない」
「全然普通だと思うよ」

と本人に伝えますが、このように伝えても本人の心に届く事はありません。むしろ「この人はお世辞を言っているんだ」「この人は私の事を何も分かっていない」と思われてしまう事もあります。

醜形恐怖症は、ものの見え方がおかしくなって発症する疾患ではありません。もしそうであれば、自分だけでなく他者も醜く見えるはずです。そうではなく、自分の容姿「だけ」を正常に認識できなくなってしまうのです。

この醜形恐怖症はどのように形成され、発症していくのでしょうか。

醜形恐怖症は、何らかの原因によって自分の容姿に対する客観的な評価(一般的な評価)と主観的な評価(自分の中での評価)のズレが大きくなっていくことで、その下地が形成されていきます。そしてズレの大きさがある水準を超えると発症します。

そのため、元々主観的評価が低くなりやすい傾向のある方や、主観的評価が低くなってしまうような体験をした方というのは、醜形恐怖症を発症しやすくなるという事になります(その詳しい原因については次章で詳しく紹介します)。

自分に対して否定的な傾向を持つ方が、容姿を否定される(と本人が感じる)体験をすることで、「自分は醜いのではないか」が次第に「自分は醜いに違いない」に変わっていき、徐々に醜形恐怖症が顔を出してくるのです。

このように醜形恐怖症は、ある日突然に発症するものではありません。徐々に徐々に自分の容姿に対する認知(ものごとのとらえ方)が歪んでいき、気が付いたら発症しているのです。

ちなみに醜形恐怖症の患者さんは日本でどのくらいいるでしょうか。

調査によって報告される数には差があるため、正確な人数を知ることは難しいのですが、おおよそ人口の1~2%ほどは醜形恐怖症の診断に該当するのではないかと考えられています。

醜形恐怖症というと稀な疾患のように考えられがちですが、病院を受診せずに悩んでいる方が多く、実際は少なくない患者さんがいらっしゃいます。

2.醜形恐怖症が発症する原因

醜形恐怖症は、自分の容姿に対する客観的な評価(一般的な評価)と主観的な評価(自分の中での評価)のズレが大きくなっていくこと発症するとお話しました。

では、そのズレが生じる原因としてはどのようなものが挙げられるでしょうか。

ここでは、醜形恐怖症を発症させてしまう要素について考えていきましょう。

Ⅰ.自分の容姿を否定されるような体験

醜形恐怖症の直接の発症要因として最も多いのは、自分の容姿を否定されたような経験が挙げられます。

明らかに容姿をバカにされたような経験に限らず、言った本人には悪気がなかったり軽い冗談のようなものであっても、本人が「私が醜いからこのように言われるのだ」と感じ取ってしまうと、それも発症原因になりえます。

例えば、

「○○に似ているよね」
「ちょっと太った?」
「〇〇ってちょっと歯並びが悪いよね」
「〇〇って鼻が小さいよね」

といった言葉を本人が「容姿を否定された」と捉えることで、「自分の容姿はおかしいのではないか」と不安を感じるようになります。

特に親や親友などの信頼しているような人からこのような発言を受けると、こころは大きく傷つきます。

また思春期など過敏な時期は容姿について否定されると特に大きなショックを受けてしまうため、この時期に容姿を否定されるようなエピソードがあると醜形恐怖症を発症しやすくなります。

Ⅱ.低い自尊心

自尊心が低いと、醜形恐怖症が発症しやすくなります。

自尊心というのは「自分を大切だと思える気持ち」のことです。自尊心があると、自分にある程度の自信を持つことができ、自分にある程度の価値があるという事を無意識で感じることができます。

反対に自尊心が低いと、「自分なんていなくてもいい存在」「自分に生きている価値はない」と考えてしまいやすいため、自信を持つことができません。

自信がないと、ちょっと人から否定されるような事を言われただけでも「やはり自分はおかしいのだ」「自分は劣っているのだ」といった考えになりやすいのです。

自尊心を形成する要素は様々ですが、自尊心は幼い頃から親から十分な愛情を受け、伸び伸びと育っていく事で形成されていきます。親から大切にされ、自分の話に耳を傾けてもらえ、自分の意見を尊重してもらえる事で、「自分は意味のある存在なのだ」「自分は価値がある存在なのだ」と無意識に感じ取っていくのです。

何らかの理由で、親からこのような十分な愛情を受けることが出来なかった場合、自尊心が十分に育たず、その結果として醜形恐怖症を発症しやすくなります。

また一見すると自尊心があるような方でも、それが「偏った自尊心」「条件付きの自尊心」であった場合、これも醜形恐怖症の要因となります。

醜形恐怖症の方の中には、親からも「あなたは顔が綺麗ね」「この子は本当にかわいい」と言われて育っている事もあります。本人も「自分の容姿は良いのだ」と無意識に感じ取っていきます。この場合、一見すると自尊心は高そうです。

しかし一概にそうとも言えません。

このような、「顔がいいからあなたには価値がある」「容姿が優れているからあなたは素晴らしい」といった親の愛情は、「容姿」という条件を前提とした条件付きの愛情になってしまうからです。

条件付きの愛情だと、「顔のいい私は価値があるのだ」「容姿が優れているから価値があるのだ」と条件付きの自尊心が生まれます。

これは裏を返せば、容姿が優れていなければ自分には価値がないという事です。

このような価値観を植え付けられてしまうと、自分の容姿に過敏にならざるを得ません。容姿が悪くなるという事は、それはすなわち自分の価値がすべてなくなってしまう事を意味するようになるからです。

「自分の容姿は劣っていないだろうか」「そういえばこの鼻のバランスが悪い気がする」と過剰に考えるようになってしまい、結果として醜形恐怖症を発症しやすくなってしまうのです。

Ⅲ.性格

醜形恐怖症は発症しやすい性格があります。

醜形恐怖症は、客観的に見れば問題がないのに、自分の容姿を隅々までチェックし、

「自分の鼻がおかしい」
「自分の太ももは他の人と比べて醜い」

と主観的に悪く評価し、苦しみます。

これは、こだわりが強かったり、完璧主義であったりすると生じやすいと言えます。

このような性格傾向のあるかたは、自分の身体のわずかなものが目につきやすく、それが異常に見えて仕方なくなってしまいがちだからです。

もちろん、ある程度「自分は美しくない」と否定することは全く異常ではありません。そもそも私たちの中で、自分の容姿に対して「満足している」と感じている人は少ないでしょう。

「自分の容姿は完璧だ」
「自分はとてもカッコいい、美しい」

と自信を持っている人というのはどれくらいいるでしょうか。周囲を見渡してみてもそんな人はほとんどいません。恐らく10人に1人もいないのではないでしょうか。

つまり誰もが自分の容姿に満足しておらず、「もっと良くなりたい」と思っているという事です。

しかしほとんどの方はこのように思いつつも、生活に著しい支障を来たすまでには至りません。

生活に支障を来たすまでに「自分は醜い」と考えてしまうのは、上記のようにこだわりが非常に強い方であったり完璧主義の方が多いのです。

Ⅳ.年齢・性別

醜形恐怖症は発症する年齢・性別に偏りがあります。

具体的にいうと10代~20代(特に10代)に多く、男性よりも女性に多いのです。

この理由は、10代は自己意識が高まる時期だからだと考えられます。これは異常なことではなく、健常な人にもみられる傾向です。みなさんも中学生くらいから異性の目が気になるようになったり、外見に気を遣うようになったのではないでしょうか。

このくらいの年代は、誰でも他者からの評価が気になってくる時期なのです。

また環境的にも学校という常に他者の目がある集団で生活するため、他者からの目を意識しやすく、自分の容姿を気にしやすい時期だとも考えられます。

反対に40代以降になると、男女とも若い頃ほどには自分の外見を気にしなくなると言います。みなさんも自分の親などをみて思い当たる節があるのではないでしょうか。これと比例して、30代以降から醜形恐怖症の患者さんの数は急速に減り始め、40代以降で醜形恐怖症が生じることはあまりありません。

性別で言うと、醜形恐怖症は男性にも女性にも生じる疾患ですが、女性に特に生じやすい疾患になります。

その理由としては、男性よりも女性の方が容姿を評価される傾向があるためです。男性よりも女性の方が容姿に敏感になりやすく、それだけ容姿に気を遣うため醜形恐怖症に至りやすいのです。

Ⅴ.社会的要因

醜形恐怖症の発症頻度は、社会的な傾向(流行など)にも左右されます。

「美しい」「醜い」といった評価の基準は時代とともに変わっていきます。その時代の社会における「美しい」から自分が外れている場合、「自分は一般的な美しいから外れている」=「醜い」と考えてしまいやすくなります。

特に男性と比べて女性は外見を評価されやすいため、この傾向は顕著になります。

例えば今の「美しい女性」というのは、スレンダーで細い女性だという風潮があります。女性に人気のある雑誌を見れば、驚くほど細い体型のモデルの方がきらびやかに載っています。

このような細い女性を毎日テレビや雑誌で見続けて、「細い女性が美しい」という常識を日々刷り込まれていれば、骨格的に細くない女性などは「私は美しくない」=「醜い」と感じてしまいやすいと言えるでしょう。

このような傾向はアメリカやヨーロッパ、日本などの先進国では顕著です。

一方で途上国では「ふくよかな女性の方が女性らしくて良い」という風潮の国もあります。このような国の常識で生きていれば、もしかしたら細い女性の方が「私は美しくない」=「醜い」と感じてしまうかもしれません。

このように「美しいかどうか」というのは、その時代や風土といった社会的な影響を強く受けるのです。

3.醜形恐怖症の根本にあるものとは

醜形恐怖症は一見すると、自分の容姿を正しく認識できていない疾患のように見えます。しかし、他の人の容姿は正しく認識できているのに自分の容姿だけ正しく認識できないという不思議な現象に陥ります。

例えば、一般的に見れば自分と同じくらいの容姿の人と自分を比べても、その人は「普通」で、自分は「醜い」と評価します。単に見え方がおかしくなっているだけであれば両方を「醜い」と判断するはずですが、そうはなりません。

醜形恐怖症は、「容姿を正しく認識できなくなっている」というだけでは説明がつかないのです。

では醜形恐怖症の方はどうしてこのような症状が出現してしまうのでしょうか。

醜形恐怖症の根本にあるものは「不安」だと考えられています。

つまり、根本にあるのは「自分は醜い」ではなく、「自分は醜いのではないか」という不安なのです。

前項で説明した様々な要素が、「自分は醜いのではないか」という不安をどんどん高めていきます。その結果「自分は醜いに違いない」という確信に変わった時、醜形恐怖症が発症します。

自分の容姿が「他者と比べて劣っているのではないか」という不安は誰でも感じた事があるでしょう。

私たちは基本的には集団生活の中で生きています。特に思春期は学校で、同じような年代の人と一緒に毎日の大半を過ごします。

集団生活の中で過ごしていると、どうしても出てくるのが「比べる」という概念です。比べること自体は悪いものではありません。学校では大々的に行われ、優劣がつけられる能力もあります。実際、学生時代は、勉強、運動、部活動など様々な能力を比較され、通知表という形で評価されます。

しかし容姿について大々的に優劣を付けられる事はありませんし、容姿に優劣をつけて評価する事は倫理的にも好ましくないと一般的に考えられています。

これは何故でしょうか。

勉強や運動などは、元々の能力も関係するものの、本人の努力によって変える事ができるからです。対して容姿は努力は関係なく、生まれつきのものであるため、比較してもそこから何かできるわけでもなく、比較する意義がないためです。また容姿の良し悪しは絶対的な基準があるわけではないため、その意味でも比較する意味はありません。

しかし容姿というのは、大々的に比べられることはありませんが、ひそかに比べる対象となりやすいものです。なぜならば容姿というのは他者の目にさらされ、目立つ特徴であるからです。

「あの子はかわいい」
「このクラスで1番可愛いのは〇〇さんで、2番目が〇〇さんだ」

と皆さんも他者の容姿を比べた経験があるのではないでしょうか。

このように容姿は努力で変えることができないのですが、比較されてしまう傾向を持っている要素なのです。

そしてこの「自分のものでありながら自分の努力でどうもならない」「でも比較されうる特徴」という要素を持つ容姿は、不安を引き起こしやすいものになります。

自分の努力で何とかなるものに対しては、対策を取ることで不安に対抗できます。勉強が出来ないから何とかしたいと不安に感じれば、「勉強する」「勉強を教えてもらう」「塾に行く」などの解決策が取れます。解決策を取る事で不安は小さくなっていきます。

しかし容姿が醜いから何とかしたいと思っても、何も解決策を取ることができません。という事は一旦そこに不安を感じたら、不安がどんどん膨らんでしまうか、誤った解決策(不要な美容手術など)に走ってしまう可能性が高くなってしまうのです。

不安は不安を呼び、どんどん悪化するという傾向があります。

「自分は醜いのではないか」という不安の芽は、

「そういえば昔、自分の容姿を笑われた事があった」
「この鼻は自分でも気に入らないと思っていた」

と新たな不安の要素を自ら呼び込み、不安を更に大きくさせていきます。

するといつしか「自分は醜いのではないか」が「自分は醜いに違いない」に変わっていき、醜形恐怖症が発症してしまうのです。