適応障害はしばしば「甘え」だと誤解されてしまうことがあります。
適応障害はその疾患概念が分かりにくいため、甘えと誤解されやすい側面があることは確かです。「適応する努力もせずに病気だなんて、それはおかしいんじゃないか」と批判する方の気持ちも分からないわけではありません。
しかし適応障害の「適応できない」という事がどういった状況を指しているのかを正しく理解して頂ければ、適応障害はただの甘えではないという事が分かって頂けるはずです。
適応障害を誤解して「甘えだ」「努力が足りない」と叱ったところで誰にも何のメリットもありません。それどころか当人をより精神的に追い詰めてしまったり、職場のメンタルヘルス環境をより悪化させてしまったりと害ばかりになります。
今日は適応障害が甘えではない理由と、そもそも病気とはどんな状態を言うのかというのを改めて考えてみましょう。
1.適応障害は甘えなのか?
「適応障害なんて、ただの甘えだ」と批判されることがあります。果たして適応障害は甘えなのでしょうか。
結論から言ってしまえば、適応障害は甘えではありません。
適応障害を「甘えだ」と考える方の言い分多くは、「環境に適応する努力もせずに、安易に病気に逃げるのはズルいのではないか」というものです。
確かに誰もが環境に適応するために努力をしています。
人は皆、それぞれ違う価値観を持っています。全く同じ人生を歩む人などいないのですから、生きていく中で形成される価値観だって皆それぞれ異なるはずです。そのため、ある環境に身を置けば、その環境と自分の価値観は必ず異なる部分があるため、どんな人であっても必ずストレスが生じます。
ある環境に身を置けば、誰だってストレスを感じるのです。そして誰もがストレスに耐え、努力や工夫をすることでその環境に少しずつ適応しているのです。
皆は頑張ってなんとか適応しているのに、あの人は適応する努力もしないで病院に行って「適応障害」という病名をもらって休職している。更に自分の好きな職場に異動させてもらっている。そんなの不公平だ、というわけです。
こう批判したくなる気持ちは理解できない事はありません。不満を感じる理由も十分理解できます。
しかしこの不満は、適応障害に対する誤解から生じているものです。
適応障害というのは、ある環境の価値観と自分の価値観が大きくかけ離れており、それが本人の努力だけでは修正不能であった時に診断されるものです。つまり、その環境に適応するための本人なりの努力を十分に行ったと医師が判断し、それにも関わらず適応に失敗しているのが適応障害なのです。
このような場合は、それ以上本人だけで努力を続けさせるのではなく、第三者による介入を行い、適応のお手伝いをすべきです。
ある環境に身を置いて、それに適応する努力もせずに「この環境は合わないからイヤだ」と逃げているだけであれば、確かにそれは適応障害とは言えません。この場合は「甘え」と言ってもよいでしょう。
しかしそういった状態を適応障害と診断しているわけではないのです。
適応障害の難しいところは、「適応するための一定の努力」がどれくらいのものなのかを具体的な指標で示せない事です。努力は数値化できませんので、具体的な数値として表すことは難しく、診察した医師が個々に判断していかざるを得ません。
このような曖昧さも「適応障害は甘えだ」と誤解されやすい原因の1つなのでしょう。
しかし皆さんに知って頂きたい事は、適応障害というのは合わない環境からすぐに逃げている人に対して付けられる病名ではなく、合わない環境に対して一定の努力を行った上でも適応できない方に対して付けられる病名だということです。
2.そもそも病気とはどんな状態のことを言うのか
適応障害が「甘え」か「病気」かを考えるに当たって、そもそも「病気」というのはどういう状態を指すのかを改めて考えてみましょう。
「病気」という概念は人が作ったものです。その概念ははっきり決まっているものではありませんが、一般的に「このまま放置しておけば、その人に重大な問題が生じる可能性が高い心身の状態」を病気だと考えます。
血圧が高い方に「高血圧症」の病名を付けるのは「このまま血圧が高い状態が続くと、将来脳梗塞になったり心筋梗塞になったりといった重大な問題が生じるよ」ということで、そうならないために食事指導や生活指導をしたり、お薬によって血圧を下げたりするわけです。
肺に炎症が生じて苦しい思いをしている方に「肺炎」という病名を付けるのは、「このまま放置してしまうと、呼吸出来なくなってしまい、命に関わってくる危険があるよ」ということで、そうならないように、抗生物質を投与したり、点滴をしたりするのです。
同じように考えれば、適応障害はこの「病気」という概念を十分満たしていることが分かります。
ある環境に対して、その人なりに適応しようと頑張ったけども、適応できずに心身が疲弊してしまった。これが適応障害ですが、この状態を続けていればいずれ心身が壊れてしまう危険性は高いと考えられます。
ストレスに押し潰されてしまい、心身症やうつ病などを発症したり、社会に対して過剰な恐怖を持ってしまう恐れもあります。そのため、医療による適切な介入をし、適応できるように援助していく必要があるのです。
3.適応障害を甘えと誤解するデメリット
適応障害の病態を誤解し、「甘え」だと考えてしまっている方はまだまだいらっしゃると感じます。しかし適応障害を甘えと誤解してしまう事は多くのデメリットがあります。
そのため出来るだけ多くの方に「適応障害は甘えではないんだ」という事を知って頂きたいと思っています。
では適応障害を「甘え」だと誤解している方が多いと、どのようなデメリットが生まれてしまうのでしょうか。
みなさん、何かを一生懸命頑張ったのに、残念ながら結果が出なかったことってありませんか?
「一生懸命勉強を頑張ったけど、入試に落ちてしまった」
「一生懸命仕事を頑張ったけど、成果が出なかった」
生きていれば、こういった事も経験するでしょう。
この時、「それってただの甘えだよね」と冷たく言い放たれたら、あなたはどのように感じるでしょうか。
大きく傷付き、自信をなくしてしまうと思います。やる気も余計なくしてしまうでしょう。
結果は出なかった事に対しては、確かに反省するところもあるかもしれません。でも「頑張った」ところは評価してもらいたいものですよね。
「頑張っていない」=「甘え」なら分かりますが、「結果が出ない」=「甘え」と判断されてしまうと、それ以上頑張る事も出来なくなってしまいます。
適応障害の方に「甘え」という扱いをすることは、これと同じように適応障害の方をただ傷付け、余計に自信を無くさせてしまう行為なのです。
適応できなかったという事に対しては、確かにその人の価値観や考え方に改善が必要なところもあるかもしれません。しかし適応するために自分なりに精いっぱい努力してきた人に対して「甘え」と切り捨てるのはあまりに乱暴ではないでしょうか。
一生懸命努力してきたところは評価しつつ、「では適応するためにはどのように考え方を変えていけばいいだろうか」「適応するためにはどのような工夫が有効だろうか」と言う事を専門家(精神科医)を考えていく事が、当人にとっても周囲にとっても、一番有意義な解決法でしょう。
適応障害を正しく知れば、周囲の方も患者さんをただ傷付けるだけの接し方はしなくなるでしょう。周囲が正しく接することが出来れば、それだけで適応障害の治りだって早くなるのです。
4.適応障害から甘えに移行しないよう注意は必要
適応障害は甘えではありません。これはここまでのお話で理解して頂けたでしょうか。
最後に適応障害は甘えではないのだけど、適応障害から次第に「甘え」に変わっていってしまう危険はありうるという事をお話しさせてください。
そうならないよう、本人・治療者・周囲の人も注意が必要で、そのような傾向がある場合は、周囲の人も指摘をしてあげても良いでしょう。
適応障害の治療は大きく分ければ、
- 自分が環境に適応できるように訓練する
- 環境が自分に合うようにする(異動、転職、退職など)
の2つの方向があります。
この時、後者の治療法を選ぶときには注意が必要です。
適応できない環境を自分に合うようにする、という治療法は間違った治療法ではありません。前者の治療法が理想的ではありますが、現実的にはしばしば後者も選択される治療法です。
しかし適応できない事に対して、環境を変えるという方針に安易に流れるようなクセがついてしまうと、いつの間にか「適応障害」が「甘え」に変わっていってしまう事もあります。
「この環境も自分に合わない」
「ここもダメ」
が安易に繰り返されるようになってしまうと、次第に適応する努力を忘れてしまう事があるのです。
こうなってしまうと、これは適応障害ではなく「甘え」と捉えられても仕方なくなってしまいます。
環境を変えるという選択肢自体が間違っているわけではありません。しかし、安易に環境を変えることを繰り返してしまうと、それは将来的には自分自身のためにはなりません。環境を変えるという選択肢を選ぶ場合は慎重に判断する必要があるのです。
これは当人自身も気付かない事があります。客観的にみて、あまりに安易に環境に適応する事から逃げている様子がある場合は、「それだと逃げているだけになっちゃわないかな」「退職するという手段は本当にダメだった最後の手段にした方がいいんじゃないかな」と指摘してあげても良いでしょう。