希死念慮(きしねんりょ)とはどのような症状なのか

希死念慮(きしねんりょ:Suicidal Ideation)は、うつ病をはじめ多くの精神疾患で認めうる症状の1つです。そして数々の精神症状の中でも、もっとも見逃してはいけない症状の1つでもあります。

うつ病をはじめとした精神疾患は治療に時間がかかる事があります。そしてその経過中でもっとも生じさせてはいけないのが、患者さんが自ら命を断ってしまう事です。

自ら命を断ってしまうという最悪の事態を防ぐためには、患者さんに希死念慮が生じていないかを見逃さない事が大切です。また患者さん自身も希死念慮を自分の中に溜め込まず、信頼できる人に打ち明けられる環境も重要です。

希死念慮を早期に発見し、増悪しないように適切に治療する事で、その人の大切な将来を守る事が出来るのです。

ここでは希死念慮が生じる背景と、希死念慮に対して本人や周囲の方々が取るべき適切な対応法などについて考えていきましょう。

1.希死念慮とは

まずは希死念慮とはどのような症状なのかを正しく理解しましょう。

簡単に言えば希死念慮とは「死んでしまいたい」という考えが浮かんでしまう事になります。

とても辛い事があったり辛い日々が長く続いていると、誰でも「もう何もかもがイヤだ」「いっその事、死んでしまいたい」と考えてしまう事があります。

広く言えばこれも「希死念慮」になります。

ちなみにこのような考えが頭をよぎってしまう事はあまり好ましい事ではありませんが、このように感じてしまう心理自体は異常というわけではありません。

実際、健常者の中でも「今まで本気で死にたいと思った事があるか」という問いに対して「ある」と回答する人は2割はいらっしゃる事が報告されています。

「死にたい」という気持ちが極々少数の人にしか生じない異常な感情だというわけではない事がここからも分かります。

しかし「死にたい」が誰にでも生じる感覚であったとしても、この気持ちは決して軽く扱ってはいけません。本来、精神状態が健康であれば「死にたい」などと考える事はありませんので、誰にでも生じうる症状だとは言っても、全く問題のない症状というわけではないのです。

そして、このような気持ちを放置してしまう事は精神衛生上好ましくありません。

つらい事があって、一時的に「死にたい」と考えてしまう事自体はそこまで異常ではありません。しかしそれを改善させようとせずに放置してしまっていると、次第に死にたい気持ちが強くなっていき1日中「死にたい」とばかり考え続けるようになってしまいます。これは正常な思考とは言えません。

臨床的な希死念慮というのは、「死にたい」という気持ちが一時的に認められるだけでなく、その気持ちが一定期間・持続して生じ続けている状態を指します。

このような希死念慮が続いていると、日々が辛いだけでなく、「死」以外の道が段々と見えなくなってきてしまうという状況に陥るようになってしまいます。

その状況を放置し続けてしまうと、希死念慮は徐々に増悪していき、「自ら命を断つ」という最悪の結果を引き起こしてしまうリスクが高まってしまうのです。

2.なぜ死んではいけないのか

希死念慮は「死にたい」と考え続けてしまう症状だとお話ししました。

この症状はあらゆる精神症状の中でももっとも注意すべき症状の1つです。

では、なぜ「死んでしまいたい」と考えてしまう事が問題なのでしょうか。一般的な倫理観として「死にたいと考えるのは良くない事」という事は多くの方が賛同するでしょう。しかしそれがなぜいけないのかを説明できるでしょうか。

実際、患者さんの中には「先生は死ぬなというけど、そんなの本人の自由じゃないか」とおっしゃる方もいらっしゃいます。

もちろん「あなたは死んではいけない」「あなたは生きないといけない」と、全くの他人が人の人生を強制するのはおかしい事かもしれません。

しかしそれでも私たち医師は、「死にたい」という気持ちを持っている人がいれば「死んではいけません」と、その方の「死にたい」という希望を否定します。

なぜならば患者さんの「死にたい」という気持ちは、その人の根本的な希望というわけではないからです。

例えば「この世ですべき事はすべてやりきったし、人生に満足したからそろそろ死にたい」という根本的な希望としての死を希望している場合、それは確かに他者が止める権利などないのかもしれません。

しかしそのような理由で「死にたい」と訴える方はまずいらっしゃいません。

「死にたい」と訴えるほとんどの方は、何らかの苦痛や絶望によって、死ぬ以外の方法が見当たらないくらい辛い状況が続き、段々と正常な判断が出来なくなり、唯一の逃げ道として「死ぬこと」を選ぼうとしてしまうのです。

現状を脱出するための消極的な方法として「死にたい」と言っており、積極的な・前向きな希望として言っているわけではありません。これは「死にたい」と訴える当人も分からなくなっている事がありますが、よくよく考えていただければほとんどの方の「死にたい」はこのような消極的な理由であるはずです。

冷静に考えれば、「死ぬ」以外でも現状を脱出させる他の方法があるのであれば、「死ぬ」という方法でなくても別によいわけです。しかも「現状から脱するためには死ぬ以外の方法はない」という本人の考えは、たいていが苦痛や絶望によって視野が狭くなってしまったがために生じているものであり、正常な判断力に基づいたものではありません。

つまり、「死にたい」と訴える方に対して、それを達成させる事は、決して最善の方法ではないのです。

消極的な「死にたい」という選択肢を選ばなくても、最善の解決法は他に必ずあります。これは治療者・周囲の協力者と一緒に探していく事で解決していくべきなのです。

患者さん本人は、その時は「死ぬ以外に方法なんてない」「周りにいくら助けてもらっても無駄だ」と思うかもしれません。しかし精神状態が落ち着き、正常な判断が出来る状況に回復したら、「あの時、死ぬという方法と取らなくて本当に良かった」と必ず思える時が来ます。

3.希死念慮と似た症状について

「死にたい」という気持ちが生じてしまう症状は希死念慮以外にもいくつかあります。

具体的には「自殺念慮(自殺願望)」「自殺企図」などがあります。これらは希死念慮とどのように違うのでしょうか。また「死にたい」という気持ちが生じる症状をこのように別々に分けている意味は何なのでしょうか。

まずこれらの症状を重篤度で分けると、低い順から、

  1. (消極的)希死念慮
  2. (積極的)希死念慮
  3. 自殺願望(自殺念慮)
  4. 自殺企図

となります。

希死念慮というのは「死んでしまいたいな」と漠然と考える事です。希死念慮の「死にたい」は「この世から消えてしまいたい」というニュアンスが強く、自分で自分の命を絶つ(=自殺)などの方法を具体的に考えているわけでなく、「消えてしまえたらどんなに楽だろうか」という感情が浮かんでくるような状態です。

希死念慮は「消極的希死念慮」と「積極的希死念慮」に分ける事があります。消極的希死念慮とは「今、この世から消えてしまえたらいいのにな・・・」という漠然とした死への気持ちの事です。

一方で積極的希死念慮とは「事故に遭って死んでしまってもいいかな」「誰か、私の事を殺してくれないかな」と、より具体的に死に至る方法を考えてしまう事です。

「死にたい」という気持ちは、その方法の具体性が高ければ高いほど、実行するリスクも高くなる事が分かっています。消極的な希死念慮よりも具体性のある積極的な希死念慮の方が一段階リスクは高まるという事です。

「自殺願望(自殺念慮)」は更に「死にたい」という気持ちが強くなる事で生じます。自殺願望は希死念慮の「消えてしまいたい」「死んでしまいたい」が、「自分の手で自分の命を絶つ事を考える」と、より具体性の高い方法を考えるようになっている点が特徴です。

積極的希死念慮の「事故に遭わないかな」「誰かが刃物を持って襲ってこないかな」という感情は、具体的ではあるものの日常生活の中でそのような状況に巻き込まれる確率は極めて低いと言えます。対して「自分で自分の命を断つ」という方法は、本人さえその気になればいつでも実現可能だという点で希死念慮と比べてリスクが飛躍的に高まります。

更に進行すると「自殺企図」に至る事があります。自殺企図では「〇〇という方法で自殺しよう」と更に具体性を持って死ぬ方法について考えます。

自殺企図まで進むと、実際に自殺行動に至ってしまうリスクは低くはなく、極めて慎重な対応が必要になります。

4.希死念慮を確認する意義

私たち精神科医は、精神状態が良くない患者さんの診察をする時、希死念慮があるかどうかについて出来る限り患者さんに聞きます。

「死にたい」という気持ちがあるかどうかというのは、一般的に考えれば聞きずらいものです。また聞いてしまう事でかえって死にたい気持ちを後押ししてしまうのではないかと考える方もいらっしゃるかもしれません。

もちろん安易な軽い気持ちで「死にたいか」と聞く事は望ましくありません。しかし、その気持ちに誠心誠意向き合う覚悟があるのであれば、希死念慮があるかどうかは積極的に確認すべきです。

なぜでしょうか。

まず「死にたい」という極限の感情は、無意味に出ている事はありません。何も理由がないのに「死にたい」と苦しんでいる方はほとんどいません。

「死にたい」とまで考えてしまっている方には、そう考えてしまうだけのつらい気持ち・つらい出来事があるのです。そして、それに対して少なからず「助けて欲しい」という気持ちを持っています。

現実的にすぐに助けられるような事ではなかったとしても、その辛い気持ちを受け入れ、力になってあげたいという気持ちを精一杯伝える事は、「死にたい」と絶望的になっている方にとって希望や生きるエネルギーを与えてくれます。

希死念慮がある方は、将来について絶望していたり、耐えがたい孤独感の中で苦しんでいる事が少なくありません。希死念慮について問う事で、周囲の人はその思いを受け入れ、支援していく事ができるようになります。そうする事によって「自分は一人ではない」という安心感や希望を少しでも分けてあげる事ができるのです。

もし希死念慮の有無について聞かなければ、ここまで深くは踏み込む事は難しいでしょう。しかし「死にたいほど辛いんだ」という悲痛な訴えを聞き、それを受け入れる事で、その人の辛い気持ちに寄り添う事が出来るようになるのです。

もう一つ、希死念慮の有無を確認する事は、自殺リスクの評価にもつながります。希死念慮は「自殺」に至る初期症状だと考える事が出来ます。

つまり希死念慮を見落とさない事で、適切な対処法が出来るようになり、万が一にも自殺に至ってしまう可能性を低下させる事が出来るのです。

先ほど、「死にたい」という気持ちの重症度について

  1. (消極的)希死念慮
  2. (積極的)希死念慮
  3. 自殺願望(自殺念慮)
  4. 自殺企図

の4段階がある事を紹介しました。

これは重症度が上がれば上がるほど、自殺に至る率が高くなる事が分かっています。

先ほど、一時的な希死念慮は健常者の2割ほどに経験があるという調査を紹介しました。しかし、その一時的な希死念慮から実際に自殺に至る人はほとんどいません。

一方で自殺企図までに至っている方の中の少なくない率が、実際に自殺あるいは自殺未遂に至ってしまいます。

自殺企図まで至ってしまうと、そこから「死にたい」という気持ちを軽減させるのはかなり大変になります。一方で希死念慮の時点で適切な治療・介入を行えば多くのケースで「死にたい」という気持ちは軽減させる事が出来ます。

「死にたい」という気持ちが生じている方に対して、希死念慮の時点で適切にその症状に周囲や治療者が気付く事はとても大切な事なのです。

5.希死念慮が出現してしまった時の対処法

希死念慮を認めた時にもっとも大切な事は、この「死にたい」という気持ちをこれ以上進行させない事です。より具体的に死について考えてしまう「自殺願望(自殺念慮)」や「自殺企図」に進行させない事が何よりも重要になります。

では希死念慮を軽減させるためにはどのような方法があるのでしょうか。

残念ながらその方法は1つではありません。「死にたい」と考えるまでに辛い思いをしている人に対して画一的に「これをすればその気持ちがなくなるよ」というような魔法の方法はありません。

「死にたい」とまで考えるようになってしまった背景は人それぞれで異なり、有効な対処法も当然人それぞれで異なってきます。

しかし大きな視点で見れば「死にたい」という気持ちに対して、有効な方法というのはいくつか存在します。

ここでは「死にたい」と考えてしまっている当人や、そのような方が周囲にいらっしゃる方に向けて、有効な対処法について紹介します。

Ⅰ.希死念慮が生じる背景を知る

私たちは健常な精神状態にある時は「死にたい」と強く思う事はありません。例え思ったとしてもそれは一時的であり、長時間にわたって続くものではありません。

私たちは「生き物」であり、その名の通り本能的に「生きようとする」力を持っています。しかし何らかの理由でその力が弱まってしまうと「死にたい」という気持ちが生まれます。

「死にたい」という気持ちは、様々な辛い出来事が重なる事で生じます。

ただ辛い事があっただけであれば、私たちは周囲に助けを求めたり、自分で自分のこころを休める事で回復していく事も多いのですが、次の3つの状態があると「辛い」から「死にたい」に進行しやすくなる事が知られています。

その3つとは、

  • 将来への絶望・無力感
  • 孤独感
  • 死や自傷に対する慣れ

です。

希死念慮が生じてしまっている時、この3つの要因の有無を評価し、その人にとって希死念慮の主な原因となっているものを出来るだけ取り除く工夫をする事が有用です。

この3つの要因について1つずつ詳しく説明していきます。

Ⅱ.将来への絶望・無力感を改善させる

私たちは未来に希望を感じられれば、今が多少辛くても頑張る事が出来ます。

どんなに平日の仕事が辛かったとしても、それを乗り越えた土日にはとても楽しみなイベントが控えているという状況であれば頑張れる、という方は多いのではないでしょうか。

これは将来に希望を感じられる事の大切さを表しています。

「死にたい」という希死念慮を持っている方の多くは、自分の将来について絶望的になっています。またそれに対して自分が出来る事は何もないという無力感も感じており、その結果「もう死ぬしかない」という考えに至りやすくなっているのです。

しかし本当に将来は絶望的なのでしょうか。誰の助けを借りても将来に希望は全くないのでしょうか。

もちろん簡単には片付かない事も多いと思いますが、多くの場合は全く打つ手がないというのは本人が苦しさのあまり視野が狭まってそう感じてしまっているというところがあります。

学校でいじめに遭ってしまい「死にたい」と考え、実際に命を断ってしまう子がいます。その子は「このままこんな日々が続くなんてもう耐えられない」と将来に絶望してしまったのでそう。そしてこの現状を変える力は自分にはないと無力感も感じていたのでしょう。

しかし本当はそんな事はないのです。大人に助けを求めて学校を休んでもいいし、転校したっていいのです。もちろんどの方法も簡単ではありませんが、命を断つよりははるかに簡単なはずです。

でも当の本人は、辛い日々が続く中で正常な判断が出来なくなってしまい、本当は冷静に探せば解決法はあるのに、「死ぬ以外方法はない」と絶望してしまっていたのです。

仕事が辛くて「こんな日々がこれから何十年も続くんだったら死んだ方がいい」と命を断ってしまう方もいますが、これだって仕事を辞めたり、違う仕事に転職してみたりしたっていいのです。しかし本人は辛い気持ちによって、そのような事すら正常に判断できないほどになってしまっているのです。

極限まで辛い状態が続くと、視野はどんどん狭窄し、将来への絶望・無力感が生じやすくなります。

そのような時は、少し休んだり、周囲に相談したり、医療機関を受診して専門家に必要な治療を受ける事が有効です。

学校や仕事を一時的に休み、こころを休める事は、正常な判断力を取り戻すためにはとても有効です。また抗うつ剤などのお薬を用いる事で、気分が落ち着く事もあります。これも正常な判断力を取り戻すためには有効だと言えるでしょう。

Ⅲ.孤独感を改善させる

私たちは孤独であると生きる意味を見失ってしまいます。

一方で家族に囲まれていたり、仕事をしていたりと「どこかに所属している」と感じられるだけで、生きる意味は見失いにくくなります。

もしあなたが今孤独な状況なのだとしたら、孤独から脱するような工夫が希死念慮を和らげてくれるかもしれません。

また、もしあなたの周囲に孤独感によって希死念慮が出現している方がいたら、その孤独感を和らげてあげる事は、希死念慮を軽減させるために有効です。

できるだけ一緒にいてあげる。一緒に入れなくても「あなたがいなくなると私は悲しい」という気持ちを誠心誠意伝える事で相手に所属汗を感じてもらう。

このような事は、実は孤独感による希死念慮が生じている方にとっては非常に意味のある事なのです。

Ⅳ.自分を傷付ける行為をしない

希死念慮が生じると、「死にたい」という気持ちから自分を大切にしなくなりがちです。

リストカットなどの自傷行為をしてしまったり、一時的に楽になる事を求めてお薬を過量服薬したりする率が高まります。

また日常生活の中でも過食・偏食など不摂生になったり、アルコール摂取などに走りやすくなります。

しかし実はこのような自分を傷付けるような行為自体が、自殺のリスクを高めてしまう事が分かっています。自分を傷付ける行為は、自分を傷付ける事への「慣れ」を生じさせ、その結果、自殺に至らせやすくなるのです。これは様々な調査結果から明らかにされています。

希死念慮が出ている時こそ、

  • 自傷行為(リストカットなど)
  • 過量服薬
  • アルコールの過剰摂取
  • 拒食・過食
  • 暴力

などの行為を出来る限り避ける事が大切です。

Ⅴ.死にたい気持ちにフタをしない

「死にたい」という気持ちは誰にでも話せる事ではありません。そのため希死念慮があっても、それを隠して生活を続けている方は少なくありません。

しかしそれでは希死念慮を悪化させてしまいます。誰にでも話せる内容ではありませんが、自分を深く理解してくれる方や専門家(医師やカウンセラーなど)には「死にたい」という気持ちと、そう考えてしまうようになった背景は出来る限り話すべきです。

死にたいとまで考えてしまうようになったのには、かなりの辛い出来事があったはずです。それを誰かに理解してもらえるだけでも気持ちは随分と楽になるものです。

また話をする中で、自分自身で気持ちを整理する事が出来ます。すると冷静な判断をしやすくなるため、視野が狭まってしまった自分の状態を改善させる事も期待できます。

Ⅴ.少しでも心配なら受診・入院も考える

希死念慮が強く、自分でも抑えられる自信がない時は、決して一人になってはいけません。

万が一にも一人でいるときに「死にたい」という気持ちが抑えられなくなってしまったら、取返しのつかない事になってしまうからです。

しかし中には常に誰かがそばにいられないという状況の方もいらっしゃると思います。

そのような場合は病院に相談し、必要に応じて入院なども検討しましょう。希死念慮はそこから自殺する可能性は統計上は高くはないものの、絶対に自殺を引き起こさないわけではなく、決してあなどってはいけません。

最悪の場合を考えて、もっとも安全な方法を取るべきです。