うつ病の原因。神経可塑性仮説とは

うつ病はどんな原因で発症するのでしょうか。

様々な要因が合わさって発症すると考えられていますが、その原因はまだ完全には解明されていません。うつ病は、何かひとつ特定の原因があって発症するものではなく、いくつのもの要因が合わさって発症するというのが現在の医学の見解です。

うつ病の原因のひとつとして「脳内の変化」が挙げられます。気分に影響を与える神経や物質の脳内バランスが崩れてしまうことです。これはストレスで起こることもあるし、原因不明で起こることもあります。

どのような脳内変化が起こるのかは、まだすべてが解明されているわけではなく、様々な仮説が提唱されています。

近年提唱されたうつ病の原因として「神経可塑性仮説」があります。この仮説は、モノアミン仮説から派生した仮説です。まだこの仮説でうつ病のすべてを説明できるものではありませんが、現時点では一番、うつ病の原因に近づいている仮説だと考えられています。

今日は神経可塑性仮説について紹介します。

1.神経可塑性仮説とは

神経可塑性仮説は、1990年ごろより提唱されている仮設です。

この仮説では、BDNFという物質がカギを握っています。BDNF(Brain Derived Neurotrophic Factor:脳由来神経栄養因子)はtrkB受容体という部位に結合することで、新しい神経を作ったり、神経を成長・発達させたりする「神経の栄養」のようなものだと考えられています。

神経可塑性仮説では、うつ病はBDNFが減少することが原因だ、と考えています。

BDNFが減少すると、神経の新生や発達が弱まるため、神経から分泌されるモノアミン(セロトニンやノルアドレナリンなど)も少なくなくなります。モノアミンは気分に関係する物質だと考えられており、これらが少なくなると気分が落ち込み、うつ病になってしまうという理屈です。

1950年代に「モノアミン仮説」がうつ病の原因として脚光を浴びました。モノアミン仮説は「うつ病はモノアミンの減少で生じる」という仮説ですが、神経可塑性仮説はモノアミン仮説をも含んでいる仮説であることが分かります。

違いは、モノアミン仮説ではモノアミンが減ることがうつ病の原因のすべてでしたが、神経可塑性仮説ではBNDFが減った結果のひとつとしてモノアミンも減少する、ということです。

神経可塑性仮説の方がモノアミン仮説よりも、より広く脳内変化を捉えた仮説だと言えます。

神経可塑性仮説を支持する根拠はいくつか報告されています。

動物を用いた実験では、脳にストレス負荷を与えると、BDNFが減少することが報告されており、また抗うつ剤を投与すると脳の海馬のBDNFが増加することも報告されています。

うつ病モデルのラットにBDNFを脳内投与すると抗うつ効果を発揮することも実験で示されており、抗うつ剤だけでなく、双極性障害に使う気分安定薬や電気けいれん療法などでも脳内BDNFは増加することが報告されています。

人においても、うつ病患者さんの血中BDNFは健常人と比べて有意に低いという報告がありますし、受けているストレスが高い人ほど、血中BDNFは低くなる傾向があると言われています。

2.神経可塑性仮説が生まれた背景

神経可塑性仮説はモノアミン仮説から派生して生まれた仮説です。

1950年ごろ「うつ病はモノアミンの減少によって生じるのだ!」というモノアミン仮説が提唱され、大きな話題となりました。モノアミンとはセロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンなどの総称でこれらは気分に関係する物質です。

当時から、モノアミンを減らすおくすりはうつ状態を引き起こし、モノアミンを増やすおくすりは気分を上げることが医師の間では経験的に知られていたため、この仮説は広く受け入れられました。

それまで、うつ病は原因不明で起こる病気でした。しかしモノアミン仮説によって、正体不明の病の原因が見え始めたため、多くの関係者がこの仮説を支持しました。

それからはモノアミン仮説をもとに「モノアミンを増やす作用を持つおくすり」が開発され、抗うつ剤として売り出しました。50年以上経つ現在においても、抗うつ剤のほとんどはモノアミン仮説に基づいて作られています。

しかしモノアミン仮説には矛盾点もありました。

抗うつ剤を投与すると数時間で脳内モノアミンが増加することが研究では確認されていますが、抗うつ剤の実際の効果を感じるには数週間~数か月を要します。モノアミンが増えればうつ病が治るのであれば、このタイムラグはおかしいわけです。

そのためモノアミン仮説は、「確かにうつ病の原因のひとつかもしれないけど、これが全てではなく不十分な仮説」と現在は考えられています。

その後、このタイムラグの矛盾を解決する仮説として「モノアミン受容体仮説」が提唱されましたが、この仮説にもまた別の矛盾点があり、広く普及するには至りませんでした。

1990年代になると、うつ病に関係する因子としてBDNFが注目されるようになりました。その中で生まれたのが「うつ病はBDNFの減少で生じる」という神経可塑性仮説です。

この仮説のすごいところは、モノアミン仮説の矛盾点を見事に解決し、またこの仮説自体に大きな矛盾点が見当たらないことです。先ほど、脳内モノアミン上昇と実際の抗うつ効果にタイムラグがあるのがモノアミン仮説の矛盾点だとお話しましたが、神経可塑性仮説で考えると、このタイムラグは説明できます。

抗うつ剤はモノアミンを増やす作用があります。モノアミンが増えると間接的にBDNFの産生を増加させますが、この過程には数週間かかると言われており、実際に抗うつ剤が効果を発揮するまでの期間と一致します。

しかし、神経可塑性仮説がうつ病の原因として間違いないかと言われると、それは断定できません。

大きな矛盾点は無いとは言えますが、実際に脳内変化を目でみて確認したわけではなく、あくまでも「仮説」だからです。

3.神経可塑性仮説の可能性

神経可塑性仮説は、うつ病の原因として絶対に正しいと言えるものではありません。しかし、うつ病とBDNFの関係を支持する研究結果は多く報告されており、少なくともうつ病の真実に近づいてきている仮説だと感じます。

現時点ではうつ病の真の原因にまだたどり着いていなかったとしても、神経可塑性仮説はうつ病治療への大きな可能性を秘めています。

医学が進歩した現代においても、抗うつ剤の効果はまだまだ十分とは言えません。
モノアミン仮説という不十分な仮説に基づいて作られたおくすりなのだから、不十分なのは当然と言えば当然です。

モノアミン仮説から50年以上経った今までも、抗うつ剤はモノアミンを増やすものしかありません。しかし今後は、例えばBDNFを増やす作用を持つおくすりやtrkB受容体を刺激するおくすりなどが新しい抗うつ剤として誕生するかもしれません。

そしてそれらのおくすりで、うつ病の苦しむ患者さんをより多く救えるようになるかもしれません。少しずつうつ病の治療が進歩していく可能性を秘めているのです。