もう死にたい・・・、と考えてしまう時に思い出して欲しい事

生きていると、つらいことや苦しいことがたくさんあります。私たちはこのような困難に出会うたびに立ち向かっていき、何とか乗り越えていきます。

しかしあまりに苦しみが大きかったり、つらいことが重なってしまうと、心が折れてしまうこともあります。

「もうどうでもいいや」
「もう死にたいな」

こう考えてしまうこともあるでしょう。

つらい事が重なり、「死にたい」という考えが頭をよぎってしまう事は何も異常な事ではありません。それだけ苦しい思いをしているのですから、そのように考えてしまう事もあるでしょう。

しかし、「死にたい」と思うだけではなく、「死にたい」という強い気持ちに捉われてしまうようになったり、実際に行動に移しかねないような状態であれば、これはやはり問題です。

つらさや苦しみに耐えきれなくなり、命を自らの手で絶ってしまう方は、残念なことに毎年後を絶ちません。

もしあなたが「死にたい」という気持ちを抑えられずにいるのであれば、ちょっとだけ時間を作って頂き、見つめ直して欲しい事があります。

この記事がつらい気持ちを少しでも和らげる助けになれば嬉しく思います。

1.「死にたい」という言葉に隠れた真意に気付いてください

私たち精神科医は、「死にたい」という訴えを聞く機会の多い職業です。私自身、今まで多くの方の「死にたい」という言葉と向き合ってきました。

「死にたい」という言葉と向き合っていると、この言葉には「死にたい」とは別の意味が込められている事に気付きます。そして「死にたい」を発している本人でさえも、その真の意味を見失っていることは少なくありません。

ちょっと理屈っぽい話になってしまいますが、「〇〇したい」というのは通常、積極的な意味で使われます。

「将来のために勉強したい」
「楽しそうだから遊びに行きたい」

などのように、「〇〇したい」は自分の積極的な希望を叶えるために使われます。

しかし、あなたが今感じている「死にたい」という気持ちは、これと同じ意味で発されているでしょうか。

「死後の世界に興味があるから、見てみたいんだ」
「この世でできることは全てやりきったから満足で、次に行きたいんだ」

とか、そういった意味で発される「死にたい」を少なくとも私は聴いたことがありません。つまり「死にたい」という言葉は、あなたの本来の気持ちを表しているわけではないことが分かります。

ほとんどの方の「死にたい」という言葉は、実は「死にたい」ではありません。

本当は、

「今のつらい気持ちから解放されたい」
「今の苦しみから逃れたい」

というのが本当の気持ちではないでしょうか。しかしそのための方法が自分ではどうしても見つからないから、「死ぬ以外に方法はない」=「死にたい」と考えてしまっているのではないでしょうか。

あなたの本当の気持ちは「死にたい」ではないのです。まずはこの事を思い出してください。

今「死にたい」と本気に考えている方は、こんな理屈っぽい事を言われても聞く気になれないかもしれません。しかしあなたの命が懸かっている大切な事なのですから、しっかりと自分の真の気持ちを問い直してみてください。自分の本当の気持ちを見失ったまま、自らの命を絶つなどという事があっていいわけがありません。

本当は「この苦痛から解放されたい」「苦しみから逃れたい」という気持ちから「死にたい」と発していたのに、つらい日々があまりに続いて「死にたい」「死にたい」と考え続けていると、次第に自分の真意が「死にたい」なんだと錯覚してしまう事があります。「死にたい」という言葉は強い言葉ですので、繰り返し聞いているうちに次第にこの言葉に洗脳されてしまい、死ぬことが自分にとっての唯一の解決法だと考えてしまうのです。

しかし正確なあなたの気持ちは「死にたい」ではありません。「もう自分では、死ぬ以外に楽になる方法が見当たらない」というのが本当の気持ちでしょう。

積極的な意味で「死にたい」と言っているのであれば、それを引き留めるのは難しいかもしれません。しかし、今のつらい状況から抜け出す手段として「死にたい」と考えているのであれば、死ぬ以外の方法を見つけることが出来ます。

今の苦しみから逃れる方法として「死ぬ」という方法は、たくさんある選択肢の中のたった1つに過ぎないのです。あなたは精神的に追い詰められていて、実は「死ぬ」以外にも選択肢はあるのに、他の有効な選択肢が見えなくなってしまっているのです。

あなたは今、「死ぬ以外に楽になる方法はない」と信じているかもしれません。でも本当にそうなのでしょうか。

2.「死にたい」という言葉には「生きたい」という気持ちが隠れている

「死にたい」という言葉は、かんたんに発することが出来るものではありません。それでも今「死にたい」と強く思ってしまう方は、本当につらい事があったのだと思います。

しかし一方で「このつらい気持ちを楽にする方法がないのだろうか」と必死にもがいている自分も今いるのではないでしょうか?

「死にたいから、死ぬ方法が知りたい」という方は恐らくこの記事を読んでいないでしょう。ここまで読んでいるあなたは「死にたいほどつらい」のですが、どこかで「死ぬ以外の方法はないのか」と探してもいるのだと思います。

そしてこれは、あなたの「生きたい」という気持ちです。あなた自身から発されている、紛れもない「生きたい」という気持ちなのだと気付いて下さい。

私たち生物は本来、自分で自分を殺すような行動は出来ません。それを現実的に考えてしまっているあなたには、よほど辛い事があるのです。しかし、「死にたい」という気持ちが強くなればなるほど、本能としての「生きたい」という気持ちも「死にたい」に負けないように頑張り出します。

自分の中にまだ「生きたい」という気持ちがある事に気付いてください。「生きたい」という自分が確かに自分の中にいるのだという事を分かってください。

そして、その「生きたい」という気持ちにも目を向けて下さい。

3.なぜ死にたいのかを考えてみましょう

あなたの中にまだ「生きたい」という気持ちがある以上、「死ぬ以外の方法は本当にないのか」という事は最後まで考えて欲しいと思います。きっと方法はあります。

死にたいほどつらい時、その原因というのは1つではない事がほとんどです。

一見、何か1つの事が原因で「死にたい」と感じたように見えたとしても、それは最後のひと押しになっただけだという事がほとんどです。実はそれ以外にもつらい原因がたくさんあり、それらが積み重なった結果、「もう嫌だ」「死んでしまいたい」と考えてしまうのです。

死にたいと考えてしまうほどの原因となるものはたくさんあります。家族や同僚などとの人間関係であったり、あるいは経済的な問題であったり、病気などの健康問題も原因となることがあるでしょう。

これらのうち複数の原因を一気に背負う事になると、自分のキャパシティーを超えてしまうため、「もう死にたい」「死ぬ以外に方法はない」と考えてしまいやすくなります。私たちの脳は、複数のストレス因が重なって自分の処理能力を超えてしまうと、考える事をあきらめてしまう事があるのです。

職場の人間関係が非常につらくても、それだけであれば何とか持ちこたえられます。家族の人間関係に大きな問題があっても、それだけであれば何とか頑張ります。大きな借金があっても、それだけであれば何とか生きようとします。

しかしこれらが複数生じてしまうと、自分だけでは対処しきれなくなってしまいます。

これは当たり前の事です。私たち人間はスーパーマンではないのですから、どんな人でも一人で出来る事はたかが知れています。一人で何でもできるわけがありません。

でもよく考えてみれば、これは同時に起こっているから処理できなくなっているだけで、もしかしたら1つずつに分ければ地道に解決していけるかもしれないのです。また自分では解決できないと思えるものでも、誰かと一緒に解決できたり、自分以外の人間が解決できることもあるかもしれません。

一人で対処できないほどのつらさを、一人で無理して抱え込むことはありません。

取りあえず他のものは置いといて、ゆっくりと一つずつ解決していってもいいのです。仕事と家族の人間関係で悩んでいるのであれば、まずは仕事をお休みしたっていいでしょう。簡単に出来ることではありませんが、命を落としてまで頑張り続けることではありません。

あるいは一人で背負わず、誰かにも一緒に背負ってもらってもいいのです。「迷惑がかかる」などと考えてはいけません。私たちは元々、誰かに迷惑をかけながら支え合って生きているのです。あなたが元気でその人が疲れている時は、今度はあなたが恩を返せばいいのです。

「死にたい」と強く思っている時、色々と考えることはしんどいでしょう。しかしあなたの命がかかっているのです。どうか精一杯、「自分は何故死にたいのか」を考えてみてください。

自分が死にたい理由を明確にし、それは本当にどうにもならない事なのかを再検討しなければいけません。それをせずに死んでしまうなんて、あまりに命を粗末にしすぎています。

4.全てを話そう

「死にたい」と考えた時、誰にも相談せずに一人で悩み続ける方は、驚くほど多いものです。「死にたい」とまで考えてしまっている方が、今までどのくらい一人で頑張り続けてきたのかを聞かせて頂くことがありますが、「そんなに一人で頑張り続けていたのか」と毎回毎回驚いてしまいます。

みなさん、一人で頑張りすぎです。そして失礼ですが、そのやり方はやはり間違ってます。

一人で抱えきれないほどの事を一人で頑張り続けるなど、そもそもおかしいのです。死ぬほどつらいのですから、必ず誰かに相談して下さい。

「死にたい」とまで考えている方のこころの状態というのは、当人が自覚しているよりも危険なものです。こころは目に見えないため、どれほど危険な状態なのか分かりにくいのですが、身体で例えれば、あちこちから出血していて、骨も折れていて臓器も傷んでいるような状態でしょう。この状態を一人で治すのは極めて困難です。一人で治そうとするならば、「もう死ぬ以外の方法はない」となってしまうかもしれません。

しかし誰かが助けてくれたらどうでしょう。誰かがこれ以上出血しないように傷口抑えてくれて、誰かが骨がくっつくまで生活を手伝ってくれれば、助かる可能性は大きく上がるのではないでしょうか。自分ひとりでは絶望的だと思えた状況でも、そこから回復する事は十分に可能となるのです。

一人で「死にたい」と向き合ってはいけません。必ず誰かを頼ってください。自分の弱さを見せる事を恥ずかしがってはいけません。「迷惑をかけたらいけない」なんて思ってはいけません。迷惑をかけずに生きている人などいないのですから。

家族に「実は今、死にたいくらいつらいんだ」と打ち明けて下さい。もちろん家族は最初はびっくりするでしょう。しかしあなたが本気でつらい思いをしている事に気付けば、精一杯力になってくれるはずです。

家族がダメなら、友人に「つらくて仕方ないんだ」と伝えて下さい。それもダメなら急いで病院を探して先生に相談しましょう。どうしても受診もできないのでしたら、「いのちの電話」や「こころの健康相談ダイヤル」などに電話しましょう。

どんな方法であっても、自分のつらい気持ちを誰かに話すことです。これを必ずしなくてはいけません。

「話したってつらい現実が変わるわけではない」と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかしそれは間違いです。

先ほど、あなたはなぜ死にたいのかをよく見直してくださいとお話しました。そしてそれをすべて誰かに話して欲しいのです。誰かに自分の「死にたい」という気持ちを話すことは、次のような効果があります。

Ⅰ.孤独感から解放され、安心感が得られる

誰かに自分の気持ちを話すことで得られる一番大きな効果は、

「自分の事を理解してもらえた」
「自分を分かってくれる人がいる」

という安心感を得られることです。

私たち人間にとって、一番辛い事は「孤独」だと言われています。つらいことにずっと一人で向き合っている方は、ほぼ例外なく孤独感を感じています。そしてこの孤独感は、「自分なんて必要ない」「自分なんてこの世にいなくてもいい」という気持ちを生み出し、「死にたい」気持ちを加速させていきます。

実際は必要のない人なんていないのに、一人だけで闘っているから視野が狭くなってしまい、そのように感じてしまうのです。

この錯覚から解放されるには、誰かに話さないといけません。誰かに話し、理解してもらえると、例え現実は何も変わっていなかったとしても、あなたの孤独感は和らぎ、「死にたい」という気持ちは小さくなっていくはずです。

Ⅱ.気持ちを整理できる

話すことは、自分の気持ちの整理にもなります。

死にたいほどにつらい気持ちになっている時は、冷静な精神状態であるはずがありません。つまり、その時の「死にたい」は正確ではない判断のもとで感じられている感情かもしれないのです。

しかし、この「死にたい」という気持ちを誰かに話そうとすると、私たちは自分の気持ちを「分かってもらいたい」ため、相手に分かりやすいように精一杯考えて話します。私たちは誰もが「自分の事を分かってほしい」という気持ちがあるのです。

これは相手に理解してもらいやすくなるという効果以外に、「自分で自分の状況を冷静に判断できるようになる」ことにもなります。

冷静に自分の状況を見返せるようになると、死ぬ以外の選択肢もたくさんある事が見えてきます。

Ⅲ.他者の協力を得られる

死にたいまでにつらい思いを抱えている人がいれば、誰もが出来る限り助けてあげたいと思うでしょう。

相談された人も「自分が出来ることは何かないか」と一生懸命考えます。

自分一人では「死ぬ以外に楽になる方法は見つからない」と思ってしまうような事でも、みんなで一緒に考えて協力していければ、死ななくても楽になれる解決法が見つかる可能性は十分にあるのです。

この効果は意外と侮れません。

学校でのいじめがあまりに辛くて「死にたい」と訴えてきた中学生の子が私の元に来たことがあります。私はその子に親に話す事を勧めましたが、その子は「迷惑をかけたくない」と抵抗していました。しかしどうにか本人を説得して診察に両親も来ていただき、みんなでこの問題について相談をしました。

こんなに悩んでいることを初めて知った父親は即座に「家族皆で引越して違う中学校に行こう」と提案しました。そしてその後、本当に引越しをされ、その子は別の中学に行くことになりました。その後はいじめもなく、楽しく過ごせるようになったと聞いています。

またある30代の男性の方は勤務している職場の仕事内容や人間関係に大きなストレスを感じ、毎日「死にたい」と思うようになり私の診察室に訪れました。その方にも私は、「まずは奥様に話しましょう」と勧めました。真面目なその方は「妻に迷惑をかけたくない」と頑なに拒みましたが、「何も言わずに死んでしまう方が迷惑です。あなたはもし奥さんが何も言わずに死んでしまったらイヤではないですか?」と説得を続け、何とか同意していただきました。

その方は高収入の方であったため、「給料が低い仕事に転職したら妻は嫌がるだろう」と勝手に考えてしまっていたようなのですが、奥様はそんな事はまったく考えていない事が分かりました。診察室に来て頂き、話を聞いた奥様は「私も最近の夫を見て、今の仕事を辞めて、もっと自分が楽しめる仕事をしてほしいと思ってました。給料は生きていける分で充分ですし、私だって働けますから」とすぐに答えられました。ご主人様は驚いていましたが、その後まもなくお仕事をやめ、その後は数か月療養したあと、今度は自分にあった仕事を見つけたと聞きました。

このように、自分では「死ぬ以外の方法はない」と思っていても、それはあくまでも自分一人の力では解決できないというだけで、周囲の協力を得られれば解決出来る事もあるのです。「死にたい」という中にいる人は、つらい気持ちで精一杯になってしまい、それに気付かないだけなのです。

特に印象に残っているケースを紹介しましたが、同じようなケースは少なくありません。他者を巻き込んで「本当に解決できないのか」を皆で考えるのはとても大事なのです。

これをもし誰にも相談せずに、自分の命を絶ってしまっていたとしたら、とても残念なことだと思いませんか。「誰かに話す」というのは、あなたのためだけではなく、「周りのため」にもしなくてはいけません。

5.自分の大切な親友が「死にたい」と言ってたらどうしますか?

「死にたい」とまで考えていても、それを周囲に相談できないという方は本当に多いものです。

「迷惑をかけてしまう」
「相手だって忙しいのに」

と、こんなに自分がつらいのに相手を気遣ってしまうのです。

しかしそれは間違いです。こう考えてみてください。

あなたがとても大切だと思っている人が、もしあなたに何の相談もなく、ある日突然自ら命を絶ってしまったら、あなたはどう思いますか。

「なんで相談してくれなかったんだ」
「もし相談してくれたら何か力になれたかもしれないのに」
「せめて最後に話したかった」

こう思うのではないでしょうか。

「相談されたら迷惑だし、相談されなくて本当に良かった」と思いますか?そんな事思う人はいないでしょう。

であれば、あなたの事を大切に思っている人に同じことをしてはいけません。

あなたが「自分の大切な人が困っている時は力になりたい」と考えるならば、同じようにあなたが困っている時には、あなたを助けるチャンスをあげて欲しいのです。

6.人の温かさを思い出すこと

「死にたい」というつらい気持ちと闘っている患者さんと向き合う精神科医という仕事をしていても、「死にたい」を魔法のように解決してくれる治療法にはいまだ出会うことが出来ません。

「どうしたら患者さんは、生きる意味をまた感じてくれるだろうか」と考えますが、万能で絶対的な答えなどは全く見つかりません。

しかし、私自身が多くの「死にたい」と向き合ってきた中で思うのは、死を思いとどまってくれた方は、どこかで「人の温かさを思い出してくれた」方であると感じています。

  • 死のうと思っていたけど、家族がそれに気付いて、夜通しつらい気持ちを聞いてくれた。
  • 「死にたい」と電話で友人に漏らしたら、夜中に遠方からわざわざやってきて、一晩中一緒にいてくれた。

このように「人の温かさ」に触れ、忘れかけていた人の温かみを思い出すことが出来ると、「死にたい」は小さくなっていくような気がするのです。

診察で「死にたい」と患者さんが訴えた時、私たち精神科医はあまりに無力です。「死にたい」に医学知識や理屈は通用しないからです。死ぬ事がなぜいけないのかを延々と説明しても、そんな言葉が患者さんの心に届く事はありません。医学知識を総動員させても、「死にたい」に対する特効薬や確立された治療法などないのです。

「死にたい」と訴える患者さんと向き合う時、私は医師であると共に「一人の人間」として患者さんに向き合わないといけません。

「医者として患者さんを診察する」という姿勢で患者さんの「死にたい」という思いを消す事はできません。もちろん、リスクの評価や薬物の再調整の検討など、医師として考えなくてはいけない部分もあるのですが、根本の「死にたい」に対しては「1人の人間」として「死にたい気持ち」に向き合うべきなのです。

1人の人間として、相手の「死にたい」を一生懸命理解し、今までの苦しみを共感し、「それでは私はあなたに死んでほしくない」と精一杯の思いで伝えると、その時私の言葉は初めて相手の心に届く気がします。

それは、「医者」として「死にたい」と治療したのではなく、「一人の人間」として、多少ではありますが「人の温かさ」を患者さんに届けることが出来たからでしょう。

今「死にたい」という気持ちが消せない方は、「どうすればこの気持ちから解放されるだろう」と一生懸命方法を探していると思います。誰にでも共通するような万能の解決法は残念ながらありません。しかし「人の温かさ」は確かに私たちに生きるエネルギーを与えてくれます。

「人の温かさ」に触れてみてください。そのためにはまず、あなたの苦しい気持ちを誰かに話して下さい。

一人で苦しみ、誰にも相談せずに自らの命を絶ってしまうことだけは、どうかしないでください。