忘れられない辛い過去の記憶は、どのように癒していけばいいのか

こころの病気は時に治療が長期化してしまう事があります。このようになかなか治らない疾患に対しては「難治性」「治療抵抗性」などといった名称が付くこともあります。

難治性・治療抵抗性の患者さんの診療をさせて頂いていると、なかなか治らない理由の1つとして、根本の原因となるような「辛い過去の体験」に対する気持ちの整理がついていないことが見受けられます。

辛い過去の体験によって精神に不調をきたしてしまった場合、その過去の体験をなかなか忘れられなかったり、気持ちの整理がつかなかったりすれば心の傷はいつまでも癒えません。

このような場合、心の傷はどのように治していけばいいのでしょうか。

今日は、辛い過去の体験によって出来てしまった心の傷を癒すための方法について考えてみたいと思います。

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1.心の傷が癒えにくいのは何故か

心に大きなダメージを受けるような辛い経験をすると、それによってこころの病気を発症してしまう事があります。

例えば、

  • 信頼していた人から裏切られた
  • 小さい頃、親から暴力を受けていた
  • 子供の頃、ひどいいじめにあった
  • 大震災や大事故など心に傷を負うような辛い経験をした

といった過去があれば、その傷は簡単には癒えないでしょう。中にはこのような精神的ダメージからうつ病などの精神疾患を発症してしまう事もあります。

心の傷であっても軽いものであれば時間が経てば自然と治っていきます。しかし辛い体験によって心に大きな傷が出来てしまっている場合、これは放っておけば自然と治っていくようなものではなく、癒し方を間違えてしまうといつまで経っても治らないままになってしまいます。

ではこのような心の大きな傷はなぜいつまで経っても癒えないのでしょうか。

身体に生じた傷と違って、心に生じる傷には治りにくい特徴があるのです。

心の傷を正しい方法で癒すために、まずは心の傷が持つ特徴について考えてみましょう。

Ⅰ.過去は消すことが出来ない

心の傷の多くは、辛い過去の体験によって生じています。

しかし、私たちは過去に戻ることはできません。どんなに努力しても、この根本の原因である「過去の体験」はなかったことには出来ないのです。

このように、どんなに努力してもこの過去自体を消す事が出来ないということが、心の傷は癒えにくいという理由の1つになります。

つらい過去の体験を持っている方にとって、過去に戻ってやり直すことが出来ればどんなに有難い事かは計り知れません。しかし、それは現実的には不可能な事なのです。

Ⅱ.辛い記憶は忘れることが出来ない

過去自体を消すことが出来なくても、それを「忘れる」ことが出来れば自分の中ではその事実をなかった事に出来ます。

私たちの脳はすべての出来事を記憶しているわけではありません。一部の情報のみを記憶して、その他ほとんどの情報は忘れています。という事は、もし辛い記憶があっても、それを忘れさせることが出来れば、心の傷が癒えない事はないでしょう。

実際、長く心の傷が癒えない人に対して、「もう忘れなさい」というアドバイスをする方は多くいらっしゃいます。

しかし心の傷を負わせるような辛い体験というのは、脳に強烈に刻み込まれるような情報になります。そのため時間が経っても忘れることが出来ません。

脳が「この情報は記憶しよう」と判断すような情報の特徴として、

  • 繰り返し入ってくる情報
  • 強い情動を伴っている情報

が挙げられます。このような情報に対して、脳は「この情報は重要だから保存すべきだ」と考え、記憶を脳に固定します。

例えば私たちは自分の電話番号や住所をしっかりと記憶しています。これは「繰り返し入ってくる情報」だからです。また、一般的に私たちは大人になってからの記憶よりも子供の時の記憶の方が鮮明に覚えています。これは子供の時の方が感情豊かに生活していたからです。脳のこのような記憶システムは、私たちが普段効率よく生きていくためには大いに役立ちます。このように記憶を取捨選択してくれることで、私たちは大事な事を忘れずに生きていけるのです。

しかし心の傷に関していえば、この脳の記憶システムが悪い方向に働いてしまいます。

心の傷がなかなか癒えないのは、心に傷を受けるような体験というのは非常に強い情動を伴ってしまっているからなのです。その体験は「ものすごく怖い思いをした」「死にそうなくらい悲しい思いをした」というものがほとんどでしょう。このような非常に強い情動を伴った記憶は深く脳に刻まれてしまいます。

更にその体験を何度も思い出してしまったり、フラッシュバックしてしまうようになると「繰り返し入ってくる情報」にもなるため、その体験は更に忘れにくくなるのです。

このような辛い過去の体験の特徴を考えると、この記憶を「消す」という事はまず不可能だという事が分かります。

Ⅲ.時間が経っても受け入れらない事が多い

軽い心の傷を生じるような体験というのは、大抵の場合でそこまで受け入れられないものではありません。

例えば友人とつい口論になってしまって落ち込んだとしましょう。最初は落ち込んだとしても、しばらくすれば「友人もたまたま機嫌が悪かったのかな」「自分も言い過ぎたしお互い様かも」「色々な考え方の人がいるんだし仕方ない」と、その体験を徐々に受け入れることが出来るようになります。また、しばらく経って友人の方から「あの時は悪かった。言い過ぎてしまって反省しているよ」と言われれば、気持ちの整理も付きやすくなるでしょう。

しかし重い心の傷となるような体験は、いつまで経っても受け入れられないようなものがほとんどです。

例えば、「唯一、信頼できると思っていた人からひどい裏切りにあった」という事であれば、これは時間が経ったからといって一概に「裏切るのも仕方ないよな」と思えるものではありません。「小さい頃、親から毎日暴力を受けていた」という経験に対して、「親が子供に暴力をふるっても仕方ないよな」とは時間がいくら経っても思えるものではないでしょう。

時間が経てば、気持ちの整理がつくような出来事もありますが、あまりに自分の中の常識とかけ離れている事に関しては、時間が経ったからといって気持ちの整理がつくものではないのです。

Ⅳ.心の傷は周囲に理解されにくい

心の傷というのは身体の傷と違って目に見えません。また身体の傷と異なり、同じ出来事を体験しても、それによって受ける精神的ダメージの大きさは異なります。そのため心の傷は周囲から理解を得られにくいという問題があります。

例えば身体の傷であれば、ひどい傷があってそれがなかなか傷が治らなかったら「大変だね」「つらいよね」と周囲の方も理解し、協力をしてくれるでしょう。

しかし心の傷だと治っているのかどうかが周囲から分かりにくいため、しばらく経つと「もう治ってもいいのではないか」と周囲は主観的に判断してしまうのです。そのため、一定期間経っても心の傷が治らなかった場合、「もう忘れなさい」「いつまでもクヨクヨしてないの!」とあやまった対応をされてしまいます。

このようなあやまった対応をされてしまうと、本人は「周りにも理解してもらえない」「自分の味方はいないのだ」と考えてしまい、心の傷は更に悪化してしまいます。

2.心の傷を癒すために知っておくべきこと

身体の傷は時間が経てば徐々に消えていきます。数か月もすれば、傷がどこにあったのかも分からなくなるほどに傷は薄くなっています。

心の傷も、軽いものであれば同じように一定の期間が経てば癒えていきます。軽い心の傷であれば、時間が経つにつれてその体験を受け入れられるようになったり、自分の中で気持ちを整理することが可能になります。

しかし心の大きな傷ではそうはいきません。

先ほどもお話ししたように、重い心の傷を負うような体験というのは、

  • なかった事に出来ない
  • 忘れる事が出来ない
  • いつまで経っても受け入れられらない

という特徴があります。

いつまで経っても「忘れられない」「受け入れられない」という事は、心の傷を負っている本人にとっては非常に辛い現実です。しかし重い心の傷の原因となるような体験の多くには、このような側面がある事はしっかりと理解しなければいけません。

この事実に目を向けずに

「時間が経てば癒えるはず」
「いつか受け入れられるようになる」
「いつか忘れられる」

と考えてしまうと、いつまでも苦しみから解放されないからです。

ここから考えると、何か辛い体験によって心の傷を負ってしまった時、

「忘れよう」
「何とか受け入れよう」

と考えるのはあまり得策ではないという事が分かります。状況によってはこのような方法が有効な事がないわけではありませんが、基本的にはこのような解決策には無理があると考えるべきです。

心の傷を負ってしまっている方の中には、このような解決法で何とか治そうとしている方が少なくありません。しかしこのような方法で治療すべきではないのです。

過去の辛い体験に対して、

「何とか忘れなければ」
「考えないようにしよう」
「何とか受け入れられるようにしよう」

と頑張っている患者様は非常に多くいらっしゃいます。しかしその結果として、

「忘れようとすればするほど思い出してしまって辛い」
「考えないようにするために、その体験を思い出すような状況・場所に一切行けなくなってしまう」
「受け入れようとしてもどうしても受け入れられない」

など、かえって精神的な苦痛が大きくなってしまう事は珍しくありません。

このような場合、この解決策自体に無理があることに気付かなければいけません。

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3.心の傷を薄めるという意識が大切

心の大きな傷の原因となるような辛い過去の体験に対して、私たちはそれを忘れることはできません。またあまりに自分の常識とかけ離れたものであった場合、それは時間が経てば受け入れられるようになるものでもありません。

ではどのようにすれば、このような心の傷を癒やす事が出来るのでしょうか。

  • 忘れることも出来ない
  • 消すこともできない
  • 受け入れることも出来ない

このような心の傷に対して取れる最良の方法は、その傷を何とか消そうとするのではなく「薄めていくこと」になります。

その辛かった過去の体験を、信頼できるような人(医療者や家族、親友など)を共有したり、話したり、受け入れてもらう事によって自分の中にある辛い体験に「安心」や「元気」「信頼」を加えていくのです。

自分を理解してくれる人に辛かった体験を話すことで、「自分は一人ではない」「自分の気持ちを受容してもらえた」という気持ちが少しずつその辛い過去の体験に上乗せされていきます。すると辛い部分が徐々に徐々に薄まっていくのです。このように、辛い過去の体験を安心できるような体験に徐々に置き換えていくことが心の傷の治療においては大切な考え方になります。

近年では記憶に関する脳の研究が進歩し、記憶に関する様々なメカニズムが分かってきています。

記憶は短期記憶と長期記憶に分けられます。何か情報が入ってきたとき、その情報はまずは脳の「海馬」に送られ、そこで数週間ほど保管されます(短期記憶)。短期記憶のうち、何度も入ってくる情報や、強い情動を伴うような情報は、その後大脳皮質に送られ、長期記憶としてしっかりと固定されます。長期記憶が脳のどこに保管されているのかははっきりとは解明されていないものの側頭葉が大きく関係している事が報告されています。

辛い過去の体験というのは、長期記憶として大脳皮質に保管されている記憶になります。短期記憶であれば忘れることも可能でしょうが、長期記憶としてしっかりと保管されている以上、これを忘れさせたり消去することは極めて難しいと言えます。

しかしこの長期記憶として保管されている情報には面白い特徴があります。

脳が情報を長期記憶として保管する時、1つの細胞に1つの情報を保管するという1対1の方法はとっていないようです。このような方法を取ってしまうと、記憶に必要な細胞が非常に多くなってしまいます。そうではなく、脳はもっと効率的に多くの情報を保管するような方法を持っています。

私たちがある1つの情報を思い出そうとした時、脳の複数の細胞が活性化することが分かっています。また、Aという情報があって、それによく似たBという情報があったとき、Aという情報を思い出そうとしたときに活性化する細胞は、Bという情報を思い出そうとした時に活性化する細胞も一部活性化することが分かっています。

ここから言えることは、私たちの記憶というのはそれぞれ単独に保管されているのではなく、関連するような近い情報をグループ化して保管しているのではないかという事です。これはイメージとしては、パソコンのフォルダによく似ています。「辛い過去の体験」というフォルダがあり、その中にそれに関連する記憶が1グループとして保管されているようなイメージです。

このような長期記憶の保管方法を知れば、その中にある辛い過去の記憶を和らげるにはどのようにしたらいいのかが見えてきます。

この「辛い過去の体験」を和らげるためには、この「辛い過去の体験フォルダ」に安心・勇気・元気を与えてあげるような情報をたくさん入れていけばいいのです。辛い記憶を消すことは出来ないとしても、その辛い記憶以上の量の良い記憶をフォルダの中に入れていけば、総合的に見れば徐々にその記憶は辛いものではなくなっていきます。

今は「辛い過去の体験フォルダ」に辛い記憶しか入っていません。そしてその記憶は削除できません。

そこに、

「○○さんに辛かった過去の話を聞いてもらったら気持ちが安らいだ」
「受け入れられない過去に対して○○さんに勇気づけられる言葉をもらえて元気が出た」

このような辛い過去の記憶に関連するような、なおかつ安心や勇気・信頼などといった「良い情報」をどんどん入れていくことが、長引いている心の傷を癒していくための最良の方法なのです。

「辛い過去の体験」フォルダに入っている記憶が、良い情報の方が多くなると、その辛い記憶自体は残っていつつも、

「辛かった事はあったけど、でも今は仲間がいる」
「辛かった事もあったけど、でも良い事もあった」
「辛かった事もあったけど、それをバネにして多くの人を助けたい」

といった前向きな気持ちの整理が出来るようになってくるのです。

辛い過去の体験によって心の深い傷を負ってしまい、それがなかなか治らないという方は、このような考え方をぜひ取り入れてみて下さい。

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