何か悪いことをしたら「反省」を求められる事があります。特に日本ではこの傾向が強く、「反省しなさい!」と怒られた経験のある方は多いのではないでしょうか。
反省とは自分の言動を振り返ることで、「あの時はあの人に迷惑をかけてしまった」「ここはこうすべきであった」と自分の言動の問題点を明確にし、将来に同じような過ちを犯さないようにする行為です。
反省は有意義に生きていくため、また皆がお互いに気持ちよく協調していくために非常に大切な行為です。反省はこころ豊かに生きていく上で必要不可欠な行為だといっても過言ではありません。
しかしこの有意義な反省の意味を誤解してしまっており、本来人生を豊かにするはずの反省が自分のこころを傷付けるだけの間違った反省になってしまっている方がいらっしゃいます。
特に心が疲弊しやすいような方の考え方を見ていると、反省という行為を正しく行なえていないケースが少なからず見受けられます。
自己嫌悪に陥りやすい方、心が疲弊しやすい方は自分の反省は間違った反省ではないのかを見直してみてください。少なくとも反省によって自己評価が低下するようだったり、気持ちが暗くなるようであればそれは正しい反省ではありません。正しい反省は、むしろあなたの気持ちを安定させるものだからです。
今日はよく見られがちはあやまった反省と、本来すべきである正しい反省についてお話しします。
1.何故、反省が必要なのか
そもそも私たちは何故、反省するのでしょうか。
それは自分の言動を省(かえり)みる事で、将来同じようなあやまちを犯さないようにするためです。
例えば、自分の不注意が原因でミスをしてしまい、それで自分に被害が生じてしまった時、「自分のこの行動に問題があった」と振り返り、「次はこうしよう」と対策を立てなければ、これからも同じ過ちを繰り返し続けるでしょう。
カッターの刃をしまい忘れてしまい、それによって自分の手をあやまって傷付けてしまった時、「カッターの刃という危ないものを出しっぱなしにしていた自分の行動は問題だったな」と振り返り、「カッターを使い終わったらすぐに刃をしまおう」という対策を立てなければ、将来も同じ過ちを繰り返す事になります。
あるいは、自分の言葉の配慮が足りなかったせいで他者の気分を害してしまった場合、「自分のこの言い方には問題があった」と振り返り、「次は同じ状況になったらこのように話してみよう」と対策を立てる事で今後は相手の気分を害さないようにする事ができます。
反省する事は、自分の人生を豊かなものにする行為なのです。また、それだけでなく反省は他者とお互いが気持ちよく接していくためにも欠かすことが出来ない行為です。
私たちは反省するからこそ成長し、人生を豊かにできるといっても過言ではありません。
2.蔓延している間違った反省法
このように反省というのは、本来有意義で建設的な行為です。
しかしみなさんの反省を見渡してみると、この有意義さや建設的な要素が欠けており、ただただ自分を傷付けるだけで終わっている誤った反省が多い事に気付かされます。
みなさんはこのような間違った反省をしていないでしょうか。特に落ち込みやすい方や自分に価値を感じられないような方は、自分の反省をしっかりと見直してみる必要があります。
反省があやまったものになりやすい要因は、特に我が国では反省が「他者から強要されるもの」であることが挙げられます。
誰でも「反省しなさい!」と言われた事があるでしょう。それはどのような状況だったでしょうか。
他者から反省を求められるのは、
- 人に迷惑をかけた時
- 社会的に悪いと判断される行為をしたとき
- 怒られている時
などといった状況です。
反省というのは本来、自分の言動の中で問題があったものを振り返り、問題点を明確にする事で将来同じ問題が生じないように対策を取っていく行為です。
しかし、このような状況での反省は「自分が悪いのだと認識する」「自分が人に迷惑をかけた事を認識する」と「悪を正す」いうものになりがちです。
もちろんこれ自体は悪いものではありません。
自分が悪かった・間違っていたと反省し、そこから「ではこれからはどうすればいいだろうか」と考え抜き、それを今後に生かす事が出来ればその反省はあなたの人生を豊かにする反省になるでしょう。
しかし「私が悪かったです」「私は人に迷惑をかけました」という事実だけを認めさせることで終了してしまうことを「反省させる」としているケースが多いのです。これは表面的な反省であり、ほとんど意味をなさない反省です。
「反省しなさい!」と言う人の中には、「自分が悪い事をしたんだと認めろ」という意味合いで「反省」という言葉を使っている事があります。この場合、「私が悪いです」という言葉だけで「分かればいいんだ」と反省が終わってしまいがちです。これは不十分で無意味な反省でしょう。
この不十分な反省は、何も得ることはないどころか自分のこころを傷付ける「害」となり、
「自分は悪い人間なんだ」
「自分は社会に迷惑をかける存在なのだ」
「自分は必要ないのだ」
という自己否定の感情を生むだけになってしまいます。
本来人生を豊かにするための建設的な行為である反省が、ただただ自分を傷付けて終わるだけの無意味な行為になってしまっているのです。
こころが疲弊して精神科を受診する方の中には、このような誤った反省によって自己評価が低下し、自分を傷付け続けている方が少なくありません。
あなたの反省はこのような間違ったものになってはいないでしょうか。
3.人生を豊かにする反省とは
では人生を豊かにする建設的な反省とはどのようなものでしょうか。
それは、
- 自分の行為に問題があったことを認めて
- 今後の対策をしっかりと考える
ような反省になります。
まず大切なのは自分の「行為」に問題があった事をしっかりと認める事です。
ここで間違えてはいけないのが、「自分は問題である」と認識するのではないという事です。問題は「自分」そのものではなく「自分が行った言動」である事を間違えてはいけません。
誰だって間違った行為をしてしまう事はあります。今回はあなたの行為がそうであっただけで、あなたという人格すべてが問題なわけではありません。
あやまった反省にはこの間違いが顕著に見られます。「あなたという人間は本当にダメだ。反省しなさい」とその人そのものを否定する行為は反省にはなりえません。これはただの暴言です。
反省はその人が行った「行為」に対して向けられるものです。
「自分がとった〇〇という行動は、他の人を不快にさせてしまった。これは申し訳ない事だった」というのが正しい反省であり「自分は他の人を不快にさせる人間だ。申し訳ない」というのはあやまった反省です。
そして、自分の行動の非を認めたら次は「ではこれからどうすればいいのか」という事を考えます。
「自分の行動が悪かったです」だけで終わる反省も見受けられますが、これはあまり意味がありません。これは「反省しなさい」と言った方がただ「間違った行為を正した!」という自己満足を得るだけで、何の益もない行為です。
自分の行動が悪かったから、次はどうすれば自分や周囲が問題とならずに済むか。
ここまで考える事で初めて、今後の自分の人生が豊かになり、他者ともより気持ちよく接していくことができるようになるのです。