「真面目」というのは素晴らしい性格です。
何事も一生懸命頑張り、他者に迷惑をかけないようにルールを守り、いつも誠実である方は、「真面目な人」と呼ばれます。このような生き方は、本当に素晴らしいと感じます。
私たちは集団生活の中で生きています。たくさんの人の中で生きていくためには、個々人がルールを守り、他者を配慮していくことは必須のことです。多くの真面目な方々がこのような努力を続けてくれるからこそ、社会生活は成り立っているわけであり、これは多くの方が見習うべき生き方でしょう。
しかし一方で、「真面目な方」というのはこころが疲弊しやすいという面もあります。実際、精神科・心療内科を訪れる方の中には「真面目な方」が非常に多いのです。ルールを守り、他者を気遣い続けているため、自分を犠牲にしてこころが疲れてしまいやすいのです。
真面目さが一因でこころが疲弊しまった方の診察をさせて頂くと、その方が自分のこころをすり減らしてまで頑張ってきたことに敬意を感じずにはいられません。しかし「もうちょっと肩の力を抜いてもいいのになぁ」「もう少し適当になってもいいのに・・・」とも感じてしまいます。
真面目は素晴らしい性格です。それを非難・否定するつもりは全くありません。しかし「真面目すぎる」と、その真面目さが自分を追い込んでしまうこともあります。この場合、「真面目すぎる性格」から「ほどほど真面目な性格」に変えると、自分へのストレスも少なくすることができます。
今日は、「真面目すぎる性格」で悩んでいる方が、その苦しみから解放されるためにはどのような方法があるのかを考えてみたいと思います。
1.真面目は素晴らしい性格
まず大前提として、「真面目は素晴らしい性格」である事を再度強調させて頂きます。
一般的に「真面目」というのは、
- 規範・ルールを守る
- 言われたことをしっかりとやる
- 誠実、ウソをつかない
などの傾向を持った性格を指します。
この性格が素晴らしい性格なのは、疑いようもありません。真面目と反対である性格、例えば「ルールに従わない」「言われたことをやらない」「ウソをつく」といった人と仲良くしたいと思う人はいないでしょう。このような人は信用できませんよね。
ちなみに時々、「真面目」を
- ユーモアがない
- 魅力がない
- 人として面白くない
など悪い意味で使う人もいますが、これは基本的には誤解だと私は考えています。
確かに、「ルールをしっかりと守る真面目な人はユーモアがなさそう」というイメージを持ちやすいのは理解できます。しかし、ルールから外れることが「ユーモアがある」「人間として深みがある」ことになるはずがありません。少し考えれば分かることです。それは表面的に「普通の人がしないことをしている」というだけで、ユーモアがあるわけでも人間として深みがあるわけでもありません。
ルールを守ったり、誠実に生きている中でもユーモアを持つことは十分出来るし、人としても深い魅力だって十分得られます。そして実際、真面目な方で人間としての深い魅力がある人も人間的な面白さを持った人もたくさんいらっしゃいます。私は精神科の診察でたくさんの「真面目な人」を見てきましたが、その経験からもはっきりとこれは断言できます。
「真面目」という性格はとても素晴らしい性格なのです。
しかし精神科・心療内科で患者さんの診察をさせて頂くと、「真面目」によってこころが疲弊してしまっている方が少なからずいらっしゃいます。本人自身もそれを自覚していることも多く、「この性格を何とかしたい」とおっしゃることもあります。
もしあなたが「真面目な性格」で悩んでいるとしても、「真面目な性格は良くない」とは考えないようにして頂きたいと思います。真面目は素晴らしい性格ですが、どんな性格でも良い面も悪い面もあるのです。真面目な方は、真面目な性格の悪い面だけを修正すればいいのです。
今日まで真面目に生きてきたことは、立派に誇れることで、何も問題なことではありません。
2.真面目な性格の欠点
どんな性格でも良い面もあれば悪い面もあります。「真面目」という性格も例外ではなく、良い面がたくさんある一方で、やはり悪い面もあります。
では今度は真面目な性格の欠点を見てみましょう。
Ⅰ.ストレスを溜め込みやすい
真面目が過ぎてしまうと、「こころにストレスを溜め込みやすい」という傾向があります。これは「真面目」の1つの欠点と言ってもいいでしょう。
ではなぜ、真面目な人というのはストレスを溜めこみやすいのでしょうか。
「真面目」というのは、精神科的な性格傾向でいうと、「メランコリー親和型性格」と非常に共通点の多い性格です。
メランコリー親和型の性格というのは、
- ルールや秩序を守る、几帳面
- 自分に厳しく、完璧主義、責任感が強い
- 他者に対しては律儀で誠実。衝突や摩擦を避ける
といった性格傾向を持つ方です。メランコリー親和型はうつ病になりやすい性格傾向として知られています。
メランコリー親和型の方がうつ病になりやすいのは、この性格の背景には「負い目への過剰なまでの恐怖」があるからだと考えられます。「他者に迷惑をかけられない」「ルールを破ったら世間に申し訳ない」という強い気持ちがあるのです。
だからこそ秩序を守り、仕事などにも強い責任感を持ち、他者へも配慮します。メランコリー親和型というのは、まさに社会における「模範」のような素晴らしい性格です。
しかし「負い目を避けたいという強い気持ち」というのは、言い換えれば「他者からの悪い評価を極度に恐れる」と言う事も出来ます。
ここにメランコリー親和型の問題点があります。
メランコリー親和型性格はこのような背景から、「自分がどうしたいか」よりも「他者に迷惑をかけないのはどれか」「他者に悪く思われないのはどれか」という視点で行動をしていくようになっていきます。
自分がやりたくない仕事でも、「自分が断れば他者が大変な思いをしてしまうだろう」と考えると引き受けてしまいます。ちょっと手を抜いても許されるような場面でも「自分がサボッてしまう事で他者に迷惑がかかるのではないか」と考えて、全力でやってしまいます。
これらの行動は何も悪いことはなく、素晴らしいことなのです。しかし、「自分」よりも「周囲(他者)」を優先した行動基準となるため、自分の限界を考えず、自分のキャパシティーを超えてでも頑張り続けてしまうという危険をはらんでいます。
何かをやる時、自分のペースでやれるのであればこころに不調を来たすことは多くはありません。しかし自分のペースではなく「他者に迷惑をかけないため」という基準のペースで行動するメランコリー親和型は、ストレスを受けやすい性格であり、同時にうつ病にもかかりやすい性格になってしまうのです。
そして「真面目な方」にもほとんど同じことが言えます。
真面目な方というのは、よくよく自分の行動を見直していただくと、「自分がしたいから」「自分のために」という基準よりも、「やらないといけないから」「言われた仕事だから」といった理由で行動することが目立ちます。そして、その理由を掘り下げてみていくと根本にあるのは、「やらないと他者に迷惑がかかるから」「やらないと他者から悪い評価を受けてしまうから」という他者基準の行動である事が多いのです。
これは自分のキャパシティーを無視した行動になるため、こころに無理な負担がかかりやすいと言えます。
Ⅱ.どんどん作業が増えていく悪循環に陥りやすい
世の中をみていると、どうも真面目な人というのは損をしやすいように感じます。
真面目な人は、他者に迷惑をかけないようにと必要以上の仕事を請け負います。一方で要領の良い人というのは、自分のペースを崩さないように上手に仕事を割り振り、自分が無理をしないようにします。
真面目な人と要領のいい人がいる職場にどんどん仕事が舞い込んで来れば、途中までは仕事量は同じ程度でも、ある一定のラインを超えると、真面目な人の仕事の量だけがどんどん増えていくようになります。
真面目な人は、負荷が自分の限界を超えても、「自分がやらなければ他者に迷惑がかかる」と考えて頑張り続けます。すると周囲は「この人は、このくらい仕事は出来るんだ」「あまり負担に感じてないのかな」と誤解してしまうため、もっと仕事を振ってしまいます。これに対して真面目な人は「期待してくれているんだから頑張らないと」と更に無理をするようになります。
悪循環が重なり、いつかはこころが根を上げてしまうのです。
3.真面目すぎる性格から脱却するには
真面目は素晴らしい性格です。
しかしどんな性格にも長所と短所があります。そして真面目な性格の一番の短所は、「ストレスを溜め込みやすい事」です。
あなたが「自分の真面目すぎる性格がつらい」と感じるのであれば、この「ストレスを溜めこみやすい点」は修正してもいいかもしれません。真面目さを全て変える必要なんてありません。
「真面目なんかやめて不真面目になった方がいいよ」という方もいるかもしれませんが、それは違います。
「真面目」は良い面もたくさんあり、それはあなたの大きな長所なのです。それを捨てる必要なんてありません。真面目という性格の中で、あなたを苦しめてしまっている点だけ修正すればいいのです。
では、真面目の問題点だけを修正するためには、どのようなことを意識していけば良いでしょうか。
私が診察で「真面目な」患者さんにご提案していることをいくつか紹介します。
Ⅰ.本当に他者に迷惑をかけているのか?
真面目な方が無理して頑張っている時、私はいつもこれを患者さんと考えるようにしています。
明らかに自分の限界を超えた作業量があったとしても、真面目な方は「自分しかやるしかないから」「自分がやらないと部下に迷惑がかかる」と「周囲への迷惑」を第一に考えて頑張ろうとします。。
このように他者を配慮するのはとても素晴らしいことですが、そもそもその他者が本当に迷惑と感じるかどうかは、よく考え直してみなければいけません。
というのも「自分がやるしかない」「自分がやらないと他者に迷惑がかかる」というのは、ほとんどの場合で誰かにそう言われただけでなく、自分で勝手にそう思っているだけだからです。
つまり、正確には、
「(私は)自分がやるしかない(と思っている)」
「(私は)自分がやらないと他者に迷惑がかかる(と思っている)」
というのが正しい表現になります。
これはたくさんの人が関わっている中での、あなた一人の意見でしかないのです。相手の意見は全く聞いておらず「あの人に迷惑がかかる」というのはあくまでも自分の視点からみた想像でしかないのです。
このような自分の視点だけでなく客観的な視点でみても、本当に
- あなたがやるしかない事なのか
- 他者に任せることは本当に迷惑なことなのか
という事を冷静に考えてみて下さい。
これは自分だけだと分からないこともありますので、第三者に相談するのが良いでしょう。私も診察で時々患者さんから相談を頂き、第三者からの客観的な意見をお答えすることがあります。
Ⅱ.他者からの期待と自分の限界は別物だと理解する
真面目な方は、「他者からの期待」が行動の基準です。
しかし、このような「他者からの期待」と「自分の限界」というのは全くの別物です。この2つが同じであるはずがありません。
しかし真面目な方というのは、ここをあまり深く意識していないように見受けられます。他者に迷惑をかけない事が最優先になっているため、「自分の限界はここ」という視点が乏しいのです。
これが真面目な方がこころを壊しやすい大きな原因になります。
「他者はここまでやってほしいと言ってきている」ということを1つの事実として理解することは意味のあることです。しかし、それと合わせて「自分の限界はどこらへんなのか」という事も必ず考えるようにして下さい。
Ⅲ.休むことも仕事の1つ、と考える
真面目な方は、休むことに過剰な罪悪感を持っている方が多いように思われます。
もちろん学校や仕事をズル休みする、などといった「休む」は悪いことですが、そういう事ではなく、
「仕事が大変だから、ちょっと一服する」
「営業回りで疲れたから、ちょっとカフェで一休みする」
などといった、一般的な感覚では「まぁ、それくらいはいいよね」というような「休む」にも罪悪感を感じてしまうのです。
しかし、休まずに頑張り続けられる人などいません。
「休む」という行為は、その後の作業を効率よく行うために必要なものなのだ、という認識を持たないといけません。
10時間休みなく作業し続けるよりも、間に適度な休憩を入れた方が総合的な効率は上がります。通常、学校では50分程度の授業を受けたら10分程度の休憩があります。これも適宜休憩をした方が結局は能率が上がるから、このようにしているわけです。
休憩というのは広く考えれば、「一生懸命に作業をするために必要な行動の1つ」だと言えます。適度に休むことに罪悪感を持つのはおかしいことなのです。